コスパ・コスパ・コスパ

文系なのになんでプログラミングやってるの?


 聞き飽きた質問。他にも「なんで理系に行かなかったの?」「SEで文系の知識役に立たなくない?」とか


うるせ〜〜〜〜〜〜〜!!!!

知らね〜〜〜〜〜〜〜!!!!

 

 大前提ね、こっちは好きだからやってるの。半分趣味なの。あと理系と文系を分けて考える時点でナンセンスなの。分かる?プログラミングだって勉強しようと思ったのはメディアと社会学を勉強し続けた結果。社会を形作ってるアーキテクチャをブラックボックスにしたままのなのに、その上で戦略練るのがアホらしいと思ったから。だってそれってルール知らないのに試合に臨むのと変わらないじゃん。ローレンス・レッシグのCODEを読みやがれ



 は〜〜本当もう嫌になっちゃう。何かにつけても「有益かどうか = 金を産むかどうか」で判断される。何か新しい趣味を始めるたびに「それが何の役に立つの?」と聞いてきた母親を思い出す(「じゃあお前の人生は何か役に立つの?」って聞き返してたらそのうち言わなくなったけど)

 てかさ、なんで勉強を仕事のスキルに直結させなきゃいけないわけ?えっ、てか仕事に役に立つ学問と役立たない学問があると思ってんの?寒いわ〜


そもそも何が有益で無益かなんて誰が判断できんの?


 いやね、キャリア積んだら分かるようになってくるかもしれないよ。でも俺たちまだ学生じゃん?仕事だってまだやったことないじゃん?小中高大と狭い世界の中で生きてきて、まだこの社会の数%しか見てないのに、何が有益か無益か本当に判断できるの?そしてその狭い視野の中で”自分が勝手に有益だと思ったもの”だけを拾い続けて、あとは放置。「これも面白いよ」と誘ってみても「自分には関係ないから」「興味ないから」の一言で終わり。自分の領域の外にあるものには目もくれず、線を引き、それで終了。浅はかすぎるでしょ。

 僕のいるメディア社会学科も半分くらいそんな人だった。みんな広告の講義とか映像制作の講義にはこぞって参加するのに、社会学の講義は適当。「興味ない」「私はマスコミ志望だから」いやいやいや、社会や事象を構造的に把握する手法を学ぶために社会学があるわけじゃん。社会のこと分かってないのに広告や映像の作り方だけ学んで、それでどうやって社会に訴えかけるの?そもそも自分が語るものがないのに表現方法だけ学ぶのおかしくない?

 そうやってコスパだけ追い求めた先に、本当に面白いもの作れるの?


結局は「選択と集中」


 いやまあこんなにコスパコスパ言われ続けて育ったらこうなるのも無理ないですよ。だって何しても「それ何かの役に立つ?」って大人に聞かれるんだもん。そうやって大人たちから迫られた「選択と集中」は知らず知らずのうちに身体化して、意識からハビトゥスへと昇華する。そして僕らは「有益なものだけ」拾おうと躍起になって、どの方法が一番コスパがいいか考え続ける。いやでもダメだって。何が有益かどうか分かんないし、価値観や社会情勢だって数年で激変するんだから、逆張りしたって意味ないじゃん。だからこそ無益なものとか関係ないものって勝手に決めつけて切り捨てるのはもったいないしそればかりかもはやリスクになるって。

 もうね「文系が〜理系が〜」とか言ってる場合じゃない。プログラミング言語だって「Javaはレガシー」とか「最強フレームワーク談義」とかもう時間の無駄。必要なものは全部使う。この世界のありとあらゆるリソースを、臨機応変に活用する。じゃないとバリューなんて生まれないって

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