Koizumi Satoshi

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、岡山神召キリスト教会、福山キリスト教会の牧師。…

Koizumi Satoshi

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、岡山神召キリスト教会、福山キリスト教会の牧師。礼拝説教の要約、今まで作成してきた教会のデボーションガイドやエッセイなどを掲載していきます。写真の転載はお断りします。

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記事一覧

エゼキエル16章1節ー14節

「生きよ」 多くの人は自分が洗礼を受けた記念日を記録にとどめて証しとします。今日の話もまた思い出のアルバムのようなものです。エルサレムの出自。それは望まれずに生…

テモテへの手紙第一5章3節ー8節

「弱い立場の方への配慮」 パウロは伴侶を失った身寄りのない女性について書くのです。手紙全体のバランスから実に長い文章なのは、当時の教会がこれらの女性に対して社会…

ヨハネの手紙第一3章1節ー2節

「神の子どもとされて」 自分が何者かを知ることは大切です。ここでヨハネが伝えようとしているのは、私たちが神の子と呼ばれている事実です。それがどれほど大きい恵みで…

使徒言行録8章1節ー13節

「サマリヤの町で」 ステファノの死がきっかけとなり、エルサレムの教会に迫害が起こります。信徒たちは散らされていきました。彼らはみ言葉を宣べながら巡り歩いたという…

Koizumi Satoshi
13日前

エゼキエル書15章1節ー8節

「枝となる時」 エゼキエルが注目するのは植物でもぶどうです。実でも果汁でもなく木の枝そのものです。そもそもぶどうは折れやすく、弱く、曲がっていて木材には向いてい…

Koizumi Satoshi
3週間前

ヨハネの手紙第一2章28節ー29節

「御子の現れるとき」 ヨハネは御子の現れる時について語っているのです。この手紙が書かれたのはキリストの再臨が語られ始めてから何十年も経った時代なのです。ところが…

Koizumi Satoshi
3週間前
1

テモテの手紙第一5章1節ー2節

「家族とされて」 教会は神の家族と呼ばれます。あらゆる年齢層が集う礼拝ですから、個々にふさわしい具体的な配慮が求められます。パウロは老人を叱るなと戒めます。年若…

Koizumi Satoshi
3週間前

使徒言行録7章44節ー60節

「神の家」 ステファノの説教が続きます。彼が訴えられた理由はモーセの律法と神殿を冒涜したとされたからです。今までステファノはモーセについて彼の信じるところを述べ…

Koizumi Satoshi
4週間前

ヨハネの手紙第一2章26節ー27節

「御子にとどまる」 誰から頂いたプレゼントなのかを確かめるものです。ヨハネはここで油について語るのです。しかも、それは御子から注がれた油だと言うのです。油とは聖…

Koizumi Satoshi
4週間前

使徒言行録16章1節ー5節

「母に注がれる神のあわれみ」 青年テモテと出会うパウロ。違う人種の結婚をよく思わない時代、母も白い目で見られましょう。この地はかつて激しい迫害で、パウロがいのち…

Koizumi Satoshi
1か月前

ヨハネの手紙第一2章24節ー25節

「初めから聞いていたこと」 心にとどめるようにとヨハネは言うのです。何をでしょうか。初めから聞いたことです。初めからとあるのですから、教会にとって初耳のことを今…

Koizumi Satoshi
1か月前
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使徒言行録7章17節ー43節

「主なる神の手の働きによって」 ステファノは、長い説教を語る中でイスラエルの歴史を振り返っていきます。ここからはモーセについて見つめられているのです。モーセを冒…

Koizumi Satoshi
1か月前

エゼキエル書14章

「のがれん」 人生には何が何でも逃げ切らないといけない事態があります。神は罪のおそろしさを誰よりもご存じのお方です。だからこそ、すぐに悔い改め、心を神に向き直し…

Koizumi Satoshi
1か月前

ヨハネの手紙第一2章22節ー23節

「主イエスはキリスト」 ヨハネの時代の教会は異端の教えの流行に悩まされていました。ヨハネはこういう人々をはっきりと偽り者だと告げています。具体的にどこがどう偽り…

Koizumi Satoshi
1か月前

使徒言行録7章1節ー16節

「栄光の神の約束」 最高法院に引き渡されたステファノは大祭司の前で説教を始めます。長い説教を何回かに分けて学びましょう。その殆どは旧約聖書に記されたイスラエルの…

Koizumi Satoshi
1か月前

ヨハネの手紙第一2章20節ー21節

「油を注がれて」 自分の信仰について自信を失ってしまうことがあるものです。この時の教会がまさにそういう状態だったのです。もっとも無理もない事情はありました。今ま…

Koizumi Satoshi
1か月前
エゼキエル16章1節ー14節

エゼキエル16章1節ー14節

「生きよ」
多くの人は自分が洗礼を受けた記念日を記録にとどめて証しとします。今日の話もまた思い出のアルバムのようなものです。エルサレムの出自。それは望まれずに生まれてきた女児の捨て子だったという悲しい過去。父がアモリ、母がヘテとは不道徳で好戦的な嫌われ者の子として祝福されずに生まれてきたことを意味するたとえです。誰からも愛されず野原に遺棄されたのです。

身につまされます。今も多くの人が生きにくさ

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テモテへの手紙第一5章3節ー8節

テモテへの手紙第一5章3節ー8節

「弱い立場の方への配慮」
パウロは伴侶を失った身寄りのない女性について書くのです。手紙全体のバランスから実に長い文章なのは、当時の教会がこれらの女性に対して社会的奉仕に時間を惜しまなかったことが理由として挙げられるのでしょう。思い返すと最初のエルサレム教会でも身寄りのない女性に対する配慮は重要な奉仕と考えられていたことを思い出します。一方で、身寄りのない女性が時に教会で少なからず問題を引き起こして

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ヨハネの手紙第一3章1節ー2節

ヨハネの手紙第一3章1節ー2節

「神の子どもとされて」
自分が何者かを知ることは大切です。ここでヨハネが伝えようとしているのは、私たちが神の子と呼ばれている事実です。それがどれほど大きい恵みであるかを改めて思い起こさせようとするのです。もちろんこの恵みについては何度も聞いてきたことではありましょう。しかし、その素晴らしさに改めて気づかされてもっと感動を覚え、感謝をしてもいいのではないでしょうか。それは神の愛なしにはあり得ないこと

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使徒言行録8章1節ー13節

使徒言行録8章1節ー13節

「サマリヤの町で」
ステファノの死がきっかけとなり、エルサレムの教会に迫害が起こります。信徒たちは散らされていきました。彼らはみ言葉を宣べながら巡り歩いたというのです。迫害されたから黙ったとは書かれていないのです。あるいは圧迫のために隠れ信徒になったのでもありません。むしろ逆風をかえってバネにするようにして、巡回伝道旅行に切り替えたと言うのです。計画にはないことでもかえって教会は伝道を進め、第二段

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エゼキエル書15章1節ー8節

エゼキエル書15章1節ー8節

「枝となる時」
エゼキエルが注目するのは植物でもぶどうです。実でも果汁でもなく木の枝そのものです。そもそもぶどうは折れやすく、弱く、曲がっていて木材には向いていません。加工しても小さな木釘にさえできない役に立たない木。これがイスラエルの象徴です。

だからこそ不思議なのです。このような地味で目立たない木が豊かな実をつける事実が。私たちも決して立派な人間ではなかった。地味で平凡で時に人よりも劣るとこ

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ヨハネの手紙第一2章28節ー29節

ヨハネの手紙第一2章28節ー29節

「御子の現れるとき」
ヨハネは御子の現れる時について語っているのです。この手紙が書かれたのはキリストの再臨が語られ始めてから何十年も経った時代なのです。ところが、それまで再臨は来ませんでした。それなのにどれだけ月日が流れても、それでもなお、御子の現れる再臨の時について語られ続けているのです。それほど再臨信仰は大切で、私たち自身も再臨を意識する緊張感をもって歩むことが求められていると言ってもいいでし

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テモテの手紙第一5章1節ー2節

テモテの手紙第一5章1節ー2節

「家族とされて」
教会は神の家族と呼ばれます。あらゆる年齢層が集う礼拝ですから、個々にふさわしい具体的な配慮が求められます。パウロは老人を叱るなと戒めます。年若いテモテが軽んじられていたことが背景にあります。年配の信徒がパウロと比べて年下のテモテの欠点や未熟を批判するのです。その声を一喝するだけで済ませてはいけません。

むしろ勧めるのです。教え諭すのです。忍耐強く尊敬を込めて祝福を祈る。間違いは

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使徒言行録7章44節ー60節

使徒言行録7章44節ー60節

「神の家」
ステファノの説教が続きます。彼が訴えられた理由はモーセの律法と神殿を冒涜したとされたからです。今までステファノはモーセについて彼の信じるところを述べてきました。ここからは神殿について述べていきます。彼は神殿が建つ前の幕屋について振り返ります。神の命令通りに造られた幕屋は、モーセの時代からダビデの時代に存続しますが、その年数は神殿が造られてからバビロンに破壊されるまでの年数以上に長かった

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ヨハネの手紙第一2章26節ー27節

ヨハネの手紙第一2章26節ー27節

「御子にとどまる」
誰から頂いたプレゼントなのかを確かめるものです。ヨハネはここで油について語るのです。しかも、それは御子から注がれた油だと言うのです。油とは聖霊のことです。聖霊は主イエスキリストから私たちに注がれるのです。聖霊は何をするのかというと、御子イエス様がどういう方であるかを明らかに教えて下さいます。聖霊がキリストを離れて無関係に働くなどということはあり得ない話です。聖霊は御子を証しする

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使徒言行録16章1節ー5節

使徒言行録16章1節ー5節

「母に注がれる神のあわれみ」
青年テモテと出会うパウロ。違う人種の結婚をよく思わない時代、母も白い目で見られましょう。この地はかつて激しい迫害で、パウロがいのちの危機さえ感じた地域。ここで救われ留まった彼女の人生の苦労を思います。

わが子にいいところを見せたい親。しかし情けない親の姿を晒す現実もあります。完璧ではないことで後悔を引きずってはなりません。いたらない点があっても、主のあわれみによって

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ヨハネの手紙第一2章24節ー25節

ヨハネの手紙第一2章24節ー25節

「初めから聞いていたこと」
心にとどめるようにとヨハネは言うのです。何をでしょうか。初めから聞いたことです。初めからとあるのですから、教会にとって初耳のことを今から語ろうと言うのではありません。何しろ、伝えられた福音のことなのですから。しかも過去から連綿と手渡され続けてきた福音です。うわっつらだけの理解では困るのです。これが本当の意味で自分のものとなるようにしっかりと心にとどめる必要があると言うの

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使徒言行録7章17節ー43節

使徒言行録7章17節ー43節

「主なる神の手の働きによって」
ステファノは、長い説教を語る中でイスラエルの歴史を振り返っていきます。ここからはモーセについて見つめられているのです。モーセを冒涜すると訴えられているわけですから、彼がモーセをどのように理解しているかを伝える必要があるからでしょう。エジプトの王女に拾われ、当時の最高の教育を受けたモーセは、長じて同胞のために働こうとします。しかし、受け入れられずに挫折して都落ちし、私

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エゼキエル書14章

エゼキエル書14章

「のがれん」
人生には何が何でも逃げ切らないといけない事態があります。神は罪のおそろしさを誰よりもご存じのお方です。だからこそ、すぐに悔い改め、心を神に向き直し、罪からはなれるようにと望んでおられます。イスラエルの長老がエゼキエルに助言を求めても手放しでは喜べません。何故なら、彼らは偶像崇拝の罪を続けながら、二股をかけて神を求め、しかも自分に都合のいい助言が欲しいに過ぎません。神はその祈りに答える

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ヨハネの手紙第一2章22節ー23節

ヨハネの手紙第一2章22節ー23節

「主イエスはキリスト」
ヨハネの時代の教会は異端の教えの流行に悩まされていました。ヨハネはこういう人々をはっきりと偽り者だと告げています。具体的にどこがどう偽りなのでしょうか。主イエスがキリストであることを否定するからです。実際、彼らは主イエスの受肉を否定し、十字架の贖罪をも否定します。その結果、罪の力も過小評価し、罪からの救いも強調しなくなるのです。しかし主は私たちを肉体ごと救うために肉体ごと十

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使徒言行録7章1節ー16節

使徒言行録7章1節ー16節

「栄光の神の約束」

最高法院に引き渡されたステファノは大祭司の前で説教を始めます。長い説教を何回かに分けて学びましょう。その殆どは旧約聖書に記されたイスラエルの歴史です。死刑が待つ裁判の席で悠長にも思えます。しかしここに彼の信じていることが告白されています。まず語られるのは族長アブラハムです。大切なのは信仰とは旅立つことだという点です。物理的移動とは限りません。今までの考えから離れて約束のみ言葉

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ヨハネの手紙第一2章20節ー21節

ヨハネの手紙第一2章20節ー21節

「油を注がれて」
自分の信仰について自信を失ってしまうことがあるものです。この時の教会がまさにそういう状態だったのです。もっとも無理もない事情はありました。今まで信仰の仲間だと思っていた親しい人たちが教会を離れていく痛みがあったのですから。そういう危機に、冷静でおれるはずがないのです。しかもこの人たちは、教会とは別の集団を形成し、これこそが最新の教えであって、高尚な哲学思想だから親切に教えてあげま

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