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福山説教要約集

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福山キリスト教会での礼拝説教の要約です。
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記事一覧

ルカによる福音書1章5節ー25節

「黙して待つアドベント」音声はこちらからお聞きになれます。 クリスマスの物語には様々な人…

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エゼキエル書24章1節ー26節

「将来を生きる者」音声はこちらからお聞きになれます。 日記を見返すと、あの日、自分がどこ…

Koizumi Satoshi
12日前
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使徒言行録12章20節ー25節

「神に栄光を帰す」音声はこちらからお聞きになれます。 ここに描かれているのは教会に弾圧の…

Koizumi Satoshi
2週間前

エゼキエル書23章1節ー49節

「破滅と再生と」 今日の物語は神の夫としての側面を告げています。アホラとアホリバとは、ソ…

Koizumi Satoshi
3週間前

使徒言行録12章1節ー19節

「権力と教会」音声はこちらからお聞きになれます。 アンティオキアでクリスチャンという言葉…

Koizumi Satoshi
1か月前
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エゼキエル書22章1節ー31節

「破れ口に立ち」音声はこちらからお聞きになれます。 エゼキエル書にくどいほど繰り返される…

Koizumi Satoshi
1か月前
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エゼキエル書21章13節ー37節

「神が味方ならば」音声はこちらからお聞きになれます。 味方にすると頼りになるが敵に回すと手ごわい人がいるものです。神がまさにそうです。エルサレムは神が自分たちの味方だと信じ込んでいます。しかし、神の手で磨かれ、研がれている剣は、実はエルサレムに向けられているのです。神がエルサレムに敵対しているのです。いいえ、人間の罪がうちにある以上、罪が神と私たちの関係を隔て、神は人の罪と向かい合わざるを得ません。しかも、その剣は二度も三度も繰り返し、振り下ろされるのです。 信仰さえ持てば

使徒言行録11章1節ー18節

「賛美へと至る働き」音声はこちらからお聞きになれます。 エルサレムの教会がペトロを非難し…

Koizumi Satoshi
2か月前
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エゼキエル書21章1節ー12節

「新しい世界へ」音声はこちらからお聞きになれます。 自分の立ち位置がどこで、どこに顔を向…

Koizumi Satoshi
2か月前
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エゼキエル書20章32節ー44節

「荒野にて」音声はこちらからお聞きになれます。 神の民とはそもそもどういう存在なのでしょ…

Koizumi Satoshi
2か月前
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使徒言行録10章34節ー48節

「福音を証しする聖霊」音声はこちらからお聞きになれます。 使徒ペトロがコルネリウスの家で…

Koizumi Satoshi
2か月前
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使徒言行録10章1節ー33節

「越境する聖霊」 ストーリーの舞台はカイザリヤとヨッファです。50キロほど離れた町。ロー…

Koizumi Satoshi
3か月前

エゼキエル20章1節ー32節

「目的地がある」 つきあいが長くなると色々あるものです。今日のお話は主がイスラエルとの長…

Koizumi Satoshi
3か月前
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使徒言行録9章32節ー43節

「主が起こして下さる」 教会は聖霊に励まされて前進していくものです。その一環としてペトロの活動が証言されています。ペトロがリダにある教会を巡回するのも、聖霊による励ましをもたらすためです。教会とは絶えず聖霊からの励ましが必要とされているのです。ここで直面するのは病の問題です。中風で床についている寝たきり状態のアイネヤ。いつからそうなのか。8年間とも訳せますし、8歳からとも読めるのです。ある種の限界が出現するのです。 ここでペトロは聖霊のカリスマを宿した人物として描かれます。