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【考察】伊藤計劃『ハーモニー』で理想的な職場環境を考える

はじめに:夭折の天才SF作家・伊藤計劃

ご閲覧いただき、誠にありがとうございます。イシカワ サトシです。
このnoteは『小説の価値を上げる』を目的とした一風変わった読書ブログです。

第五弾は伊藤計劃の『ハーモニー』

34歳で惜しくも亡くなった、日本が世界に誇る天才SF作家、伊藤計劃。活動期間はわずか2年ほど。伊藤計劃が執筆したオリジナル長編は『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』の3作だけですが、非常にクオリティが高く、日本SF史において絶大な影響力を持つ作家です。

「3回生まれ変わってもこんなにすごいものは書けない」と宮部みゆきに言わしめた才能を持つ作家であり、私も非常に好きな作家。
 しかしですよ。SF小説ってとっつきにくいですよね。。SF小説って好きな人は好きなのですが、場面設定が非常に細かく論理的な作品が多い。特に女性は苦手に思う印象があります。私の読書友達も、「SF小説って正直映画でよくない?もっと小説らしい人間描写が書かれている小説が読みたいんだよね〜」って一度言われたことあります。確かに言わんとしている事はわかりますよ。。
 そんなSFを苦手と思っている人!ぜひ伊藤計劃を読んでみて欲しい!病院内で書かれた、あの、自分の命を削るように、内臓をえぐるように、描写された尖った文体。人間業と思えないストーリー構成力。SF小説の枠を超え、日本文学史の代表作として通用できるレベルだと、私は思っております。

さて、今回紹介する『ハーモニー』ですが、第30回日本SF大賞、第40回星雲賞、フィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞した、日本SF小説史に残る傑作です。本来であれば、デビュー作である『虐殺器官』から紹介した方が綺麗なのですが、個人的に『ハーモニー』の方がとっつきやすいかなと思いましたので。いずれ『虐殺器官』も別の機会で解説します。

 これだけ評価が高いですが、一部の熱狂的なSF小説好きにしか評価されないのも悲しいですよね。なので今回は、少しでも親近感を持ってもらうために、誰もが考えた事がありそうな「理想的な職場環境」と交えて解説していきたいと思います。

導入部:理想的なビジネス組織とは?

それでは解説スタートです。今回も1つクエスチョン!

働く上で、理想的な職場環境とはどんな環境でしょうか?

この短文かつ、本質的な問い。世界中が頭を抱える難題です。人間誰しも働く上で人間関係に苦労し、中には転職を繰り返す人がいる。もし解決できたら、どんなに楽な日常を過ごすことができるか。

そんな職場環境にについて考えやすいように、2冊ビジネス書籍を用意しました。

『科学的な適職』著者:鈴木祐
『1兆ドルコーチ』著者:エリック・シュミット

個人的に職場環境を考える上で、名著だと思っているこの2冊。またこの2冊、理想的な職場環境を語る上で、同じ引用をしています。
 それはGoogle社が調査を行った、『チーム・アリストレテス・プロジェクト』です。どんな調査かというと、Google社内で「ピープル アナリティクス チーム」という研究チームを発足し、効果的なチームの特徴を明らかにするため、リサーチを実施する、といった内容です。詳しい詳細を知りたい人は下記リンクをどうぞ。

ではGoogle社が結論付けた理想的な組織の条件とはなんでしょう?Google社の研究チームは、こう結論づけました。

チームにとって、もっとも必要なのは「心理的安全性」であり、他には「相互信頼」「構造と明確さ」「仕事の意味」「社会的インパクト」が重要である。

つまり「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を、チームのメンバーから払拭する。心理学の専門用語である「心理的安全性(psychological safety)」をどうやってチーム内に育めるかどうかが、組織を成功させる上で鍵になる、とGoogle社の研究チームは結論づけました。

私もこの定義が大好きです。普段はWEBマーケターとして働いているのですが、『心理』だと思っていることが一つあります。それは、WEBマーケターは1人では絶対に仕事ができない、ということ。必ず組織としてプロジェクトを遂行します。その中でも心理的安全性が担保されていないチームはどうなるか。一部の人だけが発言・命令する環境なので、非常に組織として気まずい。そんな組織はすぐにでも抜け出したいと思うわけです。

このように心理的安全性が担保されていないチームにいたことがある人。一度は思ったことがないでしょうか。

早くみんなの意見が合わさって、意思決定できれば良いのに。。

またこんな場面を想像してみて下さい。

プロジェクトのメンバー達が争いを起こすことがなく、すんなりとチームの意思が固まる。またメンバー達が無意識にやることが把握し、勝手に仕事が進んでいく。

どうでしょう。Google社が生み出した結論を鑑みて、まさに夢のような組織ではないでしょうか。今回紹介する『ハーモニー』はこんな理想的な組織を考えるのに、うってつけな作品。

メンバー達が無意識にやるべきことを探して遂行する。このような、理想的な組織は、果たして本当に理想的な組織と言えるのか?

そうです。この小説は、『人間の意識』がテーマの作品です。

あらすじ:高度な医療経済社会が舞台のSF小説

それではあらすじを振り返りましょう。今回もWikipediaのあらすじをさらに編集してみました。また詳細なあらすじはWikipediaをご覧ください。
 またこの先はがっつりネタバレしています!もし結論を知りたくない人は、ここから先は読まない方が良いです。まあ、仮にネタバレしたとしても十分面白く読める作品ですし、圧倒的に読み易くはなるかと思います。

1,  全世界で戦争と未知のウイルスが蔓延した「大災禍(ザ・メイルストロム)」によって従来の政府は破壊され、新たな統治機構「生府」の下で高度な医療経済社会が築かれた。この社会体制では、参加する人々が「公共のリソース」とみなされ、社会のために健康・幸福であることが義務づけられる。
2, 「ザ・メイルストロム」から半世紀を経た頃。主人公である女子高生の霧慧(きりえ)トァンは、生府の掲げる健康社会を敵対する御冷(みひえ)ミァハの考えに共感。友人の零下堂(れいかどう)キアンと共に自殺を図る。途中でキアンが生府に密告したため失敗。ミァハだけが死んでしまう。
3,  13年後、トァンは、WHO螺旋監察事務局の上級監察官として、生府の監視の行き届いていない辺境や紛争地帯で活動。ニジェールの戦場で生府が禁止する飲酒・喫煙を行っていたことが露見し、日本に送還されてしまう。
4,  日本に戻ったトァンはキアンと再会。昼食を共にするが、そこでキアンは「ごめんね、ミァハ」という言葉を残して自殺。同時刻に世界中で6,582人の人々が一斉に自殺を図る「同時多発自殺事件」が発生。螺旋監察事務局が捜査に当たることになった。
5,  トァンはこの事件に、死んだミァハが関係していると考えた。ミァハの遺体を引き取った冴紀ケイタを訪れた。そこでトァンは、自身の父親である霧慧ヌァザが【人間の意志を操作する研究】を行っていたことを聞かされる。
6, トァンは、ヌァザの研究仲間であるガブリエル・エーディンがいるバグダッドに向かう。その際トァンは、自殺直前のキアンがミァハと通話していたことを知り、ミァハが死んでいなかったことに驚愕する。
7,  トァンはバグダッドに向かう前、インターポール捜査官エリヤ・ヴァシロフと接触。人間の意志を操る「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」という組織が生府上層部にあり、同時多発自殺事件に関与していることを聞かされる。
8,  トァンが空港に向かう途上、同時多発自殺事件を実行した犯人の犯行声明がテレビ放送される。犯人は「健康・幸福社会を壊すため、1週間以内に誰か1人を殺さなければ、世界中の人間を自殺させる」と宣言。トァンは犯人の思考がミァハと同じであることに気づく。
9,  トァンはバグダッドに到着しエーディンと面会。またその日の夜に「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」の中心人物である父ヌァザと会う。ヌァザはトァンに、人間の意志を制御し「ザ・メイルストロム」の再来を防ぐ「ハーモニー・プログラム」の研究、及びその実験体としてミァハをバグダッドに連れて来たことを語った。また「ハーモニー・プログラム」には人間の意識が消滅してしまう副作用があり、同時多発自殺事件は「ハーモニー・プログラム」実行急進派のミァハが仕組んだことだと明かす。
10,  そこにミァハの仲間のヴァシロフが現れ、ヌァザを拘束しようと試みる。ヴァシロフはトァンと相打ちになって重傷を負い、トァンをかばったヌァザは死んでしまう。トァンはヴァシロフから「ミァハはチェチェンで待っている」と聞かされ、チェチェンに向かう。
11,  犯行声明から1週間の期限を迎えた日、トァンはチェチェンの山奥にある旧ロシア軍基地でミァハと再会。ミァハは「生府の健康・幸福社会によって居場所を失った多くの人々が自殺している」として、「人間の意識を消滅させて世界を“わたし”から救う」と真意を語った。
12,  トァンはキアンとヌァザの復讐のため「ミァハの望む世界を実現させるけど、それを与えない」と伝えて、ミァハを射殺。
13,  復讐を果たしたトァンは息絶える寸前のミァハと共に基地の外に出て、世界に別れを告げ「人間の意識=わたし」が消滅する。

いかがでしたでしょうか。長くなってしまい申し訳ないです。これでも頑張って削りました。。あらすじを編集していて思いましたが、あらすじだけを読んでも十分面白い。またここまでプロットがしっかりしている小説ですが、ページ数は文庫本サイズで355ページ。この長さでこのプロット構成ははっきり言って異常です。

場面解説:『意識がない世界』=ユートピア?

あらすじを解説し終わったところで場面解説です。どの場面も非常に緻密な会話によって構成されているのですが、その中でもチェチェンの山奥にある旧ロシア軍基地で生まれた、ミァハとトァンの会話。『ユートピア』について語る、ミァハとトァンの会話を紹介したいと思います。

ミァハ:「ここはね、ロシア軍の売春基地だった。戦場で誘拐された女の子たちが、ここで毎日ロシア軍の兵士にやられてた」
ミァハ:「わたしにのし掛かってきた将校はね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、年代物のトカレフの先をわたしに触らせてた。これが銃だ、これが鋼だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつのペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口に銃口を突っこんで、何度も何度も突き入れてきた」
ミァハ:「そうして突き入れられて、銃をよだれでべたべたにしているときに、わたしの意識は生まれたの。ここのコンクリートには、精液も愛液も血液も涙も鼻水も汗も、すべての汁がたっぷりと染みついている。わたしは液体のなかでもう一度生まれた。いわゆる、意識ある人間としてね」
トァン:「ミァハはこの世界を憎んでるって。愛し愛され真綿で首を絞められるようなこの社会を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、このチェチェンよりひどい場所だったの……わたしたちの生きていた社会は、このバンカーよりひどい場所だったの……
ミァハ:「わたしが十二歳のとき、隣に住んでた男の子が死んだ。首を吊ってた」
ミァハ:「この世界を憎んで、この世界に居場所がないって言って、その子は死んでいった。わたしはそのとき思ったの。わたしは人間がどれほど野蛮になれるか知っている。そしていま、逆に人間が野蛮を──自然を抑えつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、この生府社会が、この生命主義圏の仕組みがおかしいんだって。何人もの人間の自死を目の当たりにして、わたしはこの、内部から、自分の裡からの規範を徹底して求める社会がおかしいんだって考えたの
トァン:「この社会にとって完璧な人類を求めたら、魂は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」
ミァハ:「わたしは笑わなかったよ」
トァン:「あなたは思ったのね。この世界に人々がなじめず死んでいくのなら──」
ミァハ:「そ、人間であることをやめたほうがいい
ミァハ:「というより、意識であることをやめたほうがいい。自然が生み出した継ぎ接ぎの機能に過ぎない意識であることを、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。『わたし』とか意識とか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、ハーモニーを目指したこの社会に、本物のハーモニーが訪れる

※伊藤 計劃. ハーモニー (ハヤカワ文庫JA) (Japanese Edition) 早川書房. Kindle 版から抜粋。

どうでしょう。この切羽詰まった文体。可能な限り抜粋しました。これでもごく一部です。伊藤計劃の魅力が凝縮された、まさに「死ぬ気で書かれた文章」です。

人がこれ以上、無駄な争いや自殺を起こすのであれば、いっそ『意識そのもの』を無くしてしまった方がいい。旧ロシア軍基地で銃口を口に突きつけられ、レイプされたミァハ。人間がどれだけ野蛮になれるかを知っているミァハだからこそ、非常に説得力のあるこの会話。

私は正直、この考え方に初めて出会った時、鳥肌が止まりませんでした。「ミァハの言う通り、意識がなくなれば本当に争いがなくなるじゃん!」と。「意識がなくなれば、世界が平和になっちゃうじゃん!」と。

おわりに:組織が絶対にやってはいけないこと

『ハーモニー』の解説は以上です。

おわりにお伝えしたいのが、『組織が絶対にやってはいけないことは何か』という点について。様々な意見があるかと思いますが、私が思う絶対にやってはいけない事は『人の意見を寛容せず、コントロールしようとすること』だと思います。いわば『マインドコントロール』です。

確かに意識を完璧に操ることができれば、その組織に争いがなくなるため、平和が訪れる確率が上がるでしょう。
 しかしです。このミァハが提唱する『意識を無くし、平和を実現しようとする考え』は、あくまでも一つの『正義』であり、一つの『視点』でしかありません。ミァハには他人の意見を尊重する寛容性が全くないのです。事実、全く罪を犯していないキアンが、ミァハのマインドコントロールによって命を落としています。
『意識を無くし、平和を実現しようとする考え』はあくまでもミァハの一意見でしかない。その一意見によって『人間の魂そのもの』である『意識』がなくなるのは、果たして正当な判断なのでしょうか。

心理的安全性がない組織のリーダーは、一意見でしかない『正義』の実現に躍起になり、『人の意見を寛容せず、コントロールすること』をやりがち。『ハーモニー』では、その究極である『ディストピアな社会』を映し出してくれています。

人の意見を寛容する組織を作り出すのは、正直ものすごく大変な営みです。しかしです。『人の意見を尊重しない、寛容性がなくなった組織には未来がない』という事は、人類の歴史が証明してくれていますよね。
 しかしですよ。もし私がミァハのように、旧ロシア軍基地で銃口を口に突きつけられ、レイプされた経験を持っていたら。。人が想像も絶するほどの野蛮な出来事に遭遇したら。。

気付いたら6,000字を超えていました。。個人的に思い入れの強い作品でもあり、書いていて非常に楽しかったです。
小説の価値を感じてくれる人が、一人でも増えてくれたら幸いです。


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