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【考察】『限りなく透明に近いブルー』のタイトルの意味とは

はじめに:最も売れている芥川賞受賞作品

ご閲覧いただき、誠にありがとうございます。イシカワ サトシです。
このnoteは『小説の価値を上げる』を目的とした一風変わった読書ブログ。

第六弾は村上龍の『限りなく透明に近いブルー』

村上龍のデビュー作であり、代表作。第19回群像新人文学賞受賞、第75回芥川賞を受賞した、文壇においても非常に評価の高い作品です。
しかしですよ、この作品。その過激すぎるストーリー、暴力的な表現によって、芥川賞選考会では賛否が分かれ、2時間にわたる論戦が起こったと言われています。まさに『衝撃的なデビュー作』

また、この美しいタイトル、芥川賞の選考会で非常に揉めたことも相まって、現時点で最も売れている芥川賞受賞作品です。ちょっと古いデータしかなく恐縮ですが、発行部数は単行本131万部(2005年現在)、単行本・文庫本の合計で367万部(2015年現在)に達します。純文学でここまで売れるのは異常すぎます。

導入部:この美しいタイトルに騙された人達

この作品でまず目に付くのは、この綺麗なタイトル。私は普段WEBマーケターとして働いているため、タイトル文は人並み以上に気にします。中でもこのタイトルは、マーケティング視点で見ても素晴らしい。

このタイトルを何がすごいって、男性でも女性でも、小説に手が伸びやすいんですよ。『そういえば、限りなく透明に近いブルーって本が流行っているよね〜』って言いやすい。

このいかにも綺麗そうなタイトルですが、中身はドラッグ・性・暴力のオンパレード。タイトルに騙された人は本当に多かったと思います。私もこのタイトルと中身とのギャップに騙された人間の一人。村上龍としては「勝手に騙されただけじゃん。」と迷惑に感じていると思いますが。

しかしです。この本は159ページと割と短い作品ですが、暴力的な表現により、挫折者も多く出そうな作品。村上龍が伝えたい、『近代化の達成という大目標を成し遂げた後に残る「喪失感」』がちゃんと読み解けずに、未消化で終わりやすい作品かなと思います。そこでこのnoteでは、タイトルである『限りなく透明に近いブルー』に込められた意味について考察してきたいと思います。

あらすじ:ドラッグ・性・暴力を直視しすぎたリュウ

それではあらすじを振り返りましょう。普段でしたらWikipediaのあらすじを、ひたすら削っていく作業ですが、今回は反対にあらすじを増やしました。このnoteの目的である『限りなく透明に近いブルー』に込められた意味を探るために、絶対に必要だと思いましたので。

 またこの先はがっつりネタバレしています!もし結論を知りたくない人は注意です。仮にネタバレしたとしても十分面白く読める作品ですし、圧倒的に読み易くはなるかと思います。

1, 舞台は東京、米軍基地の町、福生。ここにあるアパートの一室、通称ハウスで主人公リュウや複数の男女がクスリ、LSD、セックス、暴力、兵士との交流などに明け暮れ生活している。リュウは仲間達の行為を客観的に見続る。彼らはハウスを中心にただただ荒廃していく。
2, アメリカ人との乱交パーティーが終わる。リリーはリュウに対して「リュウ、あなた変な人よ、可哀想な人だわ----目を閉じても浮かんでくるいろんな事を見ようとしてるんじゃないの?ねぇ、赤ちゃんみたいに物を見ちゃだめよ」と諭す。
3, リュウが、リリーとドライブした時の思い出を語る。ドライブ中に考えたこと、夢、読んだ本、記憶などを使い、大きな『宮殿』や『都市』『映画』のようなものを頭の中に作る話を、リリーに聞かせる。
4, リュウの話を聞いて、『薬が効いてきた』と感じたリリーは、リュウと一緒に「雨の中、ドライブに行こう」と提案。変電所近くのトマト畑に行く。途中、雷が光り、車の中に白い火花が充ちて、リリーは悲鳴を上げる。リリーは畑の中に入る。
5, リリーは寒くなり、近くにあった学校の校舎に逃げた。「早く帰ろうと」リュウを促したが、リュウは学校のグラウンドを全力で走り出す。プールを囲む金網を登り、プールに飛び込んだ。
6, リリーは、リュウに「わたしを殺してよ。何か変なのよ、あなたに殺して欲しいのよ。」と涙を流しながら叫び、鉄条網に体をぶつける。その途端、青白い閃光が一瞬全てを透明にした。リュウは透明だった彼方に、見たことのない、優しいカーブを描いた白い起伏を見た「リュウ、あなた自分が赤ん坊だってわかったでしょう?やっぱりあなた赤ん坊なのよ」と、リリーはリュウの服を脱がし抱きしめる。
7, そしていつの間にかハウスからは仲間達は去っていく。リュウの目にはいつか見た幻覚が『黒い鳥』として見えた。
8, リュウはブランデーのグラスを床に叩きつけ、床を転げ回って狂っている。そして絨毯の上にあったガラスの破片を拾い上げ、握り締め、震えている腕に突き刺す。
9, リュウは病院に搬送され、夜の病院の庭の草むらに倒れる。リュウはその時「ずっとわけのわからない物に触れていたのだ」と思う。
10, ポケットから親指の爪ほどに細かくなったガラスの破片を取り出し、その破片が明るくなり始めた空を写していた。地を縁に残したガラスの破片は空気に染まりながら透明に近い。限りなく透明に近いブルーだ。自分はアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そしてこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。

いかがでしたでしょうか。新しく追加したのは、2,3,4,5,6,8,9,10です。特に最後の10,は「原文そのまま」であらすじを書いています。実は芥川賞受賞作の中で一番売れた小説にも関わらず、Wikipediaのあらすじはかなり短いんですよ。正直もっと頑張れ!って感じです。笑

場面解説:リュウから見える幻覚『黒い鳥』とは

それでは場面解説です。最初は『黒い鳥』の解説。リュウはブランデーのグラスを床に叩きつけ、床を転げ回って狂っているシーンを想像してみてください。

リリー、あれが鳥さ、よく見ろよ、あの町が鳥なんだ、あれは町なんかじゃないぞ、あの町に人なんか住んでいないよ、あれは鳥さ、わからないのか? 本当にわからないのか? 砂漠でミサイルに爆発しろって叫んだ男は、鳥を殺そうとしたんだ。鳥は殺さなきゃだめなんだ、鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔しているよ、俺が見ようとする物を俺から隠しているんだ。俺は鳥を殺すよ、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ。リリー、どこにるんだ、一緒に鳥を殺してくれ、リリー、何も見えないよリリー、何も見えないんだ。

まさに名文。これぞ文学。小説という媒体を通したからこそできた表現だと思います。そしておそらくこの『黒い鳥』は『私たちが生きる現代社会』のことかと思います。

なかなか想像できないと思いますが、リュウが見ていた『日常生活』というのは、ドラッグ・性・暴力に塗れた世界。しかし世の中の『社会』は異なります。ここまで書いたのでわかると思いますが、この小説は、『リュウが想定する日常生活』と『私たちが生きる現代社会』が徹底的に隔離されています。

リュウは幻覚である『黒い鳥』を通して、自分が『客観的に狂ってきている』と思ったのでしょう。『社会という客観的な視点から、お前は狂っている』と突きつけられていることが。この「喪失感」がわかりますでしょうか。そしてリュウは病院に運ばれ、庭先でこう思うわけです。「ずっとわけのわからない物に触れていたのだ」と。

本題:『限りなく透明に近いブルー』の意味

それでは今回のテーマである『限りなく透明に近いブルー』とは何か、についてです。この言葉は様々な解釈ができる思いますので、ここからは私の主観で解説させていただきます。

私はこの『限りなく透明に近いブルー』という色彩は、『再生の色彩』として読んでいます。マテリアルな要素でいうと、青白い雷が光った後に残る、透明に近い、白味がかったような色彩。土砂降りの雨の中、青白い雷が光り、透明に光るような色彩。

大事なのは、いつ『限りなく透明に近いブルー』だと思ったのか。リュウは病院の庭先で「ずっとわけのわからない物に触れていたのだ」と感じた後に、この複雑な色彩を口に出します。なぜこの言葉が咄嗟に出たのかというと、リリーとのドライブで学校に行った際の雷を想像したから、でしょう。

ドラッグ・性・暴力を見続けたことにより、幻覚が見えるまで陥ったドロドロとした色彩から、病院に移り、その病院の庭先でポケットに入っていたガラスを見てこう思う。『限りなく透明に近いブルー』だと。

これは、リュウにとってのある種「脱皮」のようなものであり、今まで生きていた日常生活から脱却し再生する、言わば『どん底から再生へ向かう物語』ではないでしょうか。

おわりに:この小説は村上龍の実話なのか

解説は以上でございます。

おわりにお伝えしたいのが、この小説は村上龍の実話なのか、ということ。参考文献がなく大変申し訳ないですが、ネットの情報を見る限り、『村上龍の実話を元にしたフィクション』という説が濃厚でしょう。村上龍自身が20歳の頃、福生市で生活していた経験はありますし。そして、『限りなく透明に近いブルー』だ、と感じたシーンも村上龍自身の経験から抜粋していることでしょう。

でしたらなぜ、この本を執筆したのか。おそらくですが、村上龍が当時感じていた「喪失感のようなもの」を、本能のままに書きたくなったのでは、って思っています。理性やロジックでは、あのような文章はかけない。そしてあとがきに書かれた「リリーへの手紙」を見る限り、この頃の出来事を自ら肯定しているように思えるのです。あの頃に感じた経験が、村上龍作品の根幹になっているかのように。

 私が『限りなく透明に近いブルー』を読んだのは全部で3回。最初は大学2年生の頃、二回目は社会人2年目、三回目はこの解説を書いている時です。最初に読んだ時、衝撃が半端じゃなかった。「この作品が世に出て本当に良いのか?」と思いました。特に最後の数ページは何度も読みましたね。まるで神話を読んでいる感じがしたのです。

しかしこの本のタイトルがなぜ「限りなく透明に近いブルー」なのか、と尋ねられた時、私はうまく返せる言葉が無かったのです。なので私は、noteという場を使いました。『限りなく透明に近いブルー』というタイトルの意味を、私自身が納得のいくレベルまで、掘り下げてみたかった。私は自分のために、このnoteを書いていました。

1日使って解説文を書いてみましたが、非常に良い経験でした。noteありがとう!!

小説の価値を感じてくれる人が、一人でも増えてくれたら幸いです。


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