【考察】村上春樹『海辺のカフカ』は、大切な人を「失いそうな瞬間」に読むべき小説、なのかもしれない
はじめに:世界で高評価だが意味不明な小説の定番『海辺のカフカ』
ご閲覧いただき、誠にありがとうございます。イシカワ サトシです。
このnoteは『小説の価値を上げる』を目的とした一風変わった読書ブログです。
第七弾は『海辺のカフカ』
日本はもちろんのこと、世界でもおそらく一番知名度の高い日本人作家、村上春樹。世界中に村上春樹ファンがいます。毎回、ノーベル賞受賞式のタイミングでニュースに出てくる人ですね。笑
今回紹介する『海辺のカフカ』は、2002年に発行された村上春樹の10作目にあたる長編小説です。「ニューヨーク・タイムズ」紙で年間の「ベストブック10冊」および世界幻想文学大賞。海外で非常に評価の高い小説の一つです。
こんなに評価の高い小説ですが、村上春樹を知っている人なら毎度お馴染み。「何が言いたいのかさっぱりわからん」って人が続出する作品です。日本人が日本語で書いているのに、何が言いたいのかわからないって、ある意味すごいですよね。
確かに村上春樹をちゃんと読み解くのは難しい。村上春樹特有の「内容はファンタジーに近いけど、情景描写はリアリズムな文章」だったり、「メタファー」「メタフォリカル」など概念的な言葉が連発するので、いわゆる「村上春樹慣れ」が必要だと思います。また他の考察記事を読んでみると、みんな「謎解き」とか言っていますね。非常に読みやすく、心地よい文章で書かれた小説なのですが。
そこで私なりに「なんで村上春樹は難しいと感じるのか」を考えてみたのですが、、この作家の特徴として「この小説はどのタイミングで読めば良いの?」が圧倒的にわかりにくいんですよ。
よく「村上春樹ってどれから読めば良いの?」って質問を友達から受けますが、『騎士団長殺し』『1Q84』『ねじまき鳥クロニクル』などは正直なところ、「人生のどのタイミングで読めば良いの?」ってなります。少しわかりやすい作品として『ノルウェイの森』かなと。正直私は、「ファンだから頑張って読んでます」って答えていました。笑
しかしこのままだと、このブログの目的である「小説の価値を上げる」が達成できない!なので私なりに「『海辺のカフカ』をいつ読めば良いのか?」を考えていこうというのが、今回の趣旨です。
導入部:大切な人を「失いそうな瞬間」とはどういうことか
それでは解説スタート。理由から語ると眠くなる読者の方もいらっしゃると思いますので、最初に結論からお伝えします。私なりに『海辺のカフカ』はどんな小説かというと、、
『海辺のカフカ』は、大切な人を「失いそうな瞬間」に読むべき小説
こんな感じで思っています。この言葉にある「失いそう」が結構ミソです。
当たり前ですが、人間には寿命がありますよね。人間は大体100年くらい生き、必ず死ぬ運命にあります。もし仮に「必ず死ぬ運命」を伝えたいのであればタイトルに「亡くなった時」と書くでしょう。では、タイトルにもあるように「失いそう」とはどういうことか。
「失いそう」とは、「人が亡くなった」という物理的な意味ではなく、「ある人の存在が記憶から消滅している」ことを指しています。なので、「死んでいない人間」にも「失いそう」という言葉は通用します。
例えば、不幸にもご両親が亡くなってしまった時。確かにそのご両親は亡くなってしまいましたが、その両親に育てられた子どもの記憶には、一生かけて「ご両親と過ごした記憶」が存在するでしょう。この場合、現世界にご両親はいませんが、育てられた子どもの記憶の世界には「失わずに存在」しています。
反対にです。あなたは、真っ先に感謝を告げるべき人、実は自分を助けてくれた大切な人、などは、自分の記憶の世界から「失いそう」になっていませんでしょうか。
様々な謎解きがWEB上で繰り広げられる『海辺のカフカ』ですが、「いつ読めば良いのか」を軸に考えると、大切な人を「失いそうな瞬間」に読むべき小説だと思っています。
あらすじ:四国に赴く、田村カフカとナカタさんの物語
いつ読めば良いのか、を提示したところで、早速あらすじ解説です。今回もWikipediaのあらすじを改変しています。
またこの先はがっつりネタバレしています!もし結論を知りたくない人は注意です。仮にネタバレしたとしても十分面白く読める作品ですし、おそらく何が言いたいのか、わからないと思います。笑
⒈ 「僕」田村カフカは東京都中野区野方に住む15歳の中学3年生。父親にかけられた呪いから逃れるために家出を決心し、東京発の深夜バスを四国の高松で降りる。
⒉ カフカは高松の私立図書館に通うようになるが、ある日目覚めると、自分が森の中で血だらけで倒れていた。カフカはその晩、深夜バスで出会った姉のように思うさくらの家に一泊させてもらう。
⒊ カフカは図書館の管理人をしている大島と親しくなり、翌日から図書館で寝泊まりするようになる。そこでカフカは、なんとなく自分の母親なのではないかと思っていた、図書館の館長である佐伯と関係を持つようになる。
⒋ ナカタもまた野方に住む、知的障害のある老人であった。通称「猫殺し」の男(ジョニーウォーカー)を殺害し、東京を離れた。この男はカフカの父親。ナカタはトラック運転手の星野の力を借りて「入り口の石」を探しはじめる。
⒌ その頃ちょうどカフカ少年は、図書館の司書の大島から父親が自宅で殺されたニュースを知らされる。やがて警察の手がのび、カフカは大島が提供してくれた森の隠れ家に移る。
⒍ 一方、「入り口の石」を探すナカタは図書館にたどり着き、そこで佐伯に会う。そしてナカタが帰った後、佐伯は机に突っ伏すように死んでいた。
⒎ 森の奥でカフカは、旧帝国陸軍の軍服を着た二人の兵隊と出会い、彼らに導かれて森を抜け、川のある小さな町にたどり着く。
⒏ 小さな町にたどり着いたカフカは、そこで佐伯と出会う。そして、彼女から元の世界に戻るように言われる。
⒐ マンションに隠れ住んでいたナカタは「入り口の石」を開いた後に静かに亡くなる。ナカタを失った星野は黒猫の助言を受け、ナカタがやり残した「入り口の石」を閉じる仕事にとりかかった。
10, 最終的にカフカは現実へ戻ることを決意し、岡山から新幹線に乗って東京への帰途につく。
いかがでしたでしょうか。あらすじを補足すると、この小説は『田村カフカにまつわる物語』と『ナカタさんにまつわる物語』が交互に繰り広げられます。そして、カフカとナカタさんがお互いに出会うシーンはありません。
前述したように、あらすじだけを読んだだけだと、「何が言いたいのかさっぱりわからん」って人が続出する作品。読者側にも、ただプロットだけを追うのではなく、その背後に隠された意味をちゃんと汲み取ることが求められます。
場面解説:よく本作で登場する『メタファー』とは何か
それでは、各論パートです。全場面を解説すると今回の趣旨からだいぶ逸れてしまいますので、このパートでは本作で大事な概念である『メタファー』について考察していきましょう。村上春樹といったらとりあえず『メタファー』か『やれやれ』です。笑
まず『メタファー』とはどういう意味か。一言で言うと、暗に意味する(=隠喩)という意味。つまり「あるもの」「ある人物」「ある出来事」「ある言葉」が、常に何かを意味する、と言うこと。
ここでは詳しく述べないですが、『海辺のカフカ』はギリシャ神話である「オイディプス王」が下地になっています。簡単にまとめるとこんな作品。
テーバイの王オイディプスは、国に災いをもたらした先王殺害犯を追及する。しかし殺人を実行したのは、オイディプス本人。しかも産みの母と交わって子を儲けていたことを知る。そしてオイディプス自ら目を潰し、王位を退く。
『海辺のカフカ』では、「オイディプス王」が下地となり、様々な人物・出来事が『メタファー』として存在します。具体例を上げるとこんな感じ。
カフカの父:預言者・災をもたらす悪の根源の「ような」存在。
佐伯:母親の「ような」存在。実際にカフカと交わる。
大島:カフカと佐伯を支える人の「ような」存在。
さくら:姉の「ような」存在。
ナカタさん:「入り口の石」を開ける使者の「ような」存在。
星野:ナカタさんを支える「ような」存在。
しつこいほど書かせていただきました「ような」と言う言葉。この「ような』が『メタファー』にとって重要なポイント。またここで大事なのは、物語に登場する人物は、『メタファー』として、自覚していない、という点です。登場人物たちが意識していないところで、カフカ君の『メタファー』として、この物語に参加しています。
少しややこしくなってきましたね。もうちょっとわかりやすくするために、こんな経験を想像してみてください。例えば自分の人生で何か成功した時。その成功要因が仮に「ある人が助けてくれた」からだとします。そしたら、こう思いません?「あの人が自分の人生にとって運命のような人だった」と。
人生では、不思議とそのような場面に出会います。しかし冷静に物事を観察すると、その助けた人にとっては「たまたま助けただけ」の場合がほとんどです。
そう。『メタファー』とはある意味、その人の運命を作る上での『材料』のようなもの。そして物凄く『主観的』なもの。繰り返しますが、『海辺のカフカ』では、様々な人物・場面がカフカ君の『メタファー』として現れます。この小説は『カフカ君にとって「何か」を意味するもの』のオンパレードです。
場面解説:しかし『メタファー』側の人物も人生を生きている
しかしです。この小説は、カフカ君を中心とした物語ですが、登場人物の皆さんも、その人なりに人生を生きていますよね。大事なのはこのあたり。『メタファー』は生きる人それぞれに存在します。カフカ君の『メタファー』だった佐伯さん、さくら、大島さんにも、それぞれ生きてきた人生があります。例えば、佐伯さんにとっては、カフカが、自分の人生における『何かしらのメタファー』だったのでしょう。
このように『メタファー』いろいろな意味で交差します。人物もそうですし、その場の状況や、読んだ書籍もそうです。さらに大島さんは作中でここまで言い切っています。
「場合によっては、救いがないということもある。しかしながらアイロニーが人を深め、大きくする。それがより高い次元の救いへの入り口になる。そこに普遍的な希望を見いだすこともできる。だからこそギリシャ悲劇は今でも多くの人々に読まれ、芸術のひとつの元型となっているんだ。また繰り返すことになるけれど、世界の万物はメタファーだ。」
そうです。世界の万物は、自分の人生にとっての『メタファー』です。
おわりに:忘れてはいけない『メタファー』はありませんか
場面解説は以上です。
おわりに、noteのタイトルにお話を戻しましょう。前述では、世界の万物は『メタファー』で構成されており、様々な人生に、様々な『メタファー』があることを述べていきました。
しかしです。その人の運命を構成するであろう『メタファー』ですが、その人の記憶から抹消されてしまったら、その『メタファー』は存在できません。
具体例をあげましょう。前回の具体例と一緒で、自分の人生で何か成功した時。そしてその成功要因が仮に「ある人が助けてくれた」だった場合。その経験を30年後も覚えていられるでしょうか?
人間はなんとも愚かです。時間が経過すればするほど、また脳内に経験が増えれば増えるほど、大切だった経験=『メタファー』を忘れてしまうことがあるのです。
また無駄な『メタファー』も存在するでしょう。自分にとって運命だと思っていたもの、大切にしていたものが、実は悪の根源であり、周りを傷つけるトリガーの役割だったと。
ここでカフカ君が、森を抜け、川のある小さな町を訪れ、佐伯さんと出会ったシーン。佐伯さんはカフカにこう言います。
「私があなたに求めていることはたったひとつ。」と佐伯さんは言う。そして顔をあげ、僕の目をまっすぐ見る。「あなたに私のことを覚えていてほしいの。あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかにすべての人に忘れられたってかまわない」
そして、
「さよなら、田村カフカくん」と佐伯さんは言う。「もとの場所に戻って、そして生き続けなさい」
「佐伯さん」と僕は言う。
「僕には生きるということの意味がよくわからないんだ」
彼女は僕の身体から手を離す。そして僕の顔を見あげる。手を伸ばして、僕の唇に指をつける。
「絵を見なさい」と彼女は静かな声で言う。「私がそうしたのと同じように、いつも絵を見るのよ」
佐伯さんにとってカフカ君は、自分を忘れて欲しくない重要な存在。そのカフカの『メタファー』としてあり続けるため、カフカ君に、「絵を見る」という、『メタファー』=『佐伯さんを思い出すトリガー』を提示したのでしょう。
生きるにあたり、絶対に「失ってはいけない記憶」が誰にでもあると思います。しかし多忙を極めることによって、「大切だった記憶」を失ってしまうことも、ありえる。
だからこそ、『海辺のカフカ』は、大切な人を「失いそうな瞬間」に読むべき小説、なのかもしれない。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。初めてこの本を読んだのは大学2年生の時。毎年必ず読んでいる作品です。とても思い入れが強く、どこかでしっかり考察したいと思っていた作品を、この場で考察でき、とても良い経験でした。
また村上春樹は下記の2作品も考察していますのでよかったら読んでみてください。
小説の価値を感じてくれる人が、一人でも増えてくれたら幸いです。