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Vol.14 兄のいないセカイ 【毎年5月31日、私は決まっておすしを食べている。】

20歳まで生きれないと言われた兄にまつわる数々のストーリ。幼少期から順に連載しています。毎週土曜日更新中。


わたしの道

大学を卒業し、わたしは初めて実家を出て上京することにした。医療や介護にどっぷり浸かっていたこれまでの環境から脱し、キラキラとしたOLへ羽ばたくことを夢見ていた。

しかし、結局はこれまでの人生に導かれるように、介護の道へ舵を切っている自分がいた。兄の様に障がいがあっても、どんな人でも外出することを諦めない世の中を創りたい。就職活動を進める程にその想いは膨らんだ。

就職後は、社会の荒波に溺れながらも必死に浮上する毎日だった。就職三年目になってようやく大役が回って来た時は、石の上にも三年とは良く言ったものだと実感した。わたしは、高齢者施設に入居した人達の夢を叶える「輝きプラン」を任されていた。今思えばもっとマシな名前があったハズだと恥ずかしくなるけれど、当時はそれがピッタリのネーミングだと自負していた。たとえ高齢で寝たきりでも、どんな人にも夢がある。その夢を叶えて、本人も家族もそれを支えるスタッフさえも元気にしてしまおうという一石三鳥ものプロジェクトだった。

95歳の紳士が念願のダンスパーティで車椅子から立ち上がった時、夢はどんな治療やリハビリより生きる力になることを教えてくれた。兄にとって生きる力は何だったのだろう...。それから83歳認知症の方との高尾山登頂、92歳の家族と鎌倉旅行、100歳でも舞台で主役になれるコンサートと、数々の夢が実現した。正にわたしの天職と思えたが、兄にしてあげられなかった沢山のことを、他の誰かで償っていたのかもしれない。

新たな道

プロジェクトが全国32箇所の施設で軌道に乗ってきた頃、わたしは素敵な90歳のご夫婦に出会った。

「改めて叶えたい夢を教えていただけますか?」
「そーだなぁ。私はまた海外を旅したいなぁ。」

若い頃に世界を股にかけてビジネスをしてきたその紳士は、車椅子に乗ったご婦人を見つめながら答えた。

「皆さんにお世話になりながら旅には行けても、この身体では無茶できないからね。君も、何でも出来る若い時にどんどん旅に出ると良いよ。」

お金も地位も名誉もある人達が人生の最終章にしたいこと...。今のわたしには出来る!


その紳士の言葉に背中をおされ、わたしは世界を見てまわる決心をした。いつか見てみたかった広い世界、兄も行きたかったであろう外の世界を一年かけて周ってみることにした。

この世に生を受けて以来、医療介護のセカイで生きてきたわたしが、この時初めて本当の自由を手に入れたのかもしれない。誰に押し付けられたわけでもないけれど、勝手に担いだ十字架の呪縛は、解き放たれた。この世界一周をきっかけに、人生のシナリオは全く新しいストーリーに書き換えられた。

今を生きる

それから7回の命日が過ぎ、2011年に東北で未曾有の大震災が起こった。わたしは今でも被災した子ども達の自立支援活動を続けている。そこで出会う多くの子ども達からは、様々な被災体験を聞かせてもらう。「初めて人に自分の体験を話した。」「みんな大変な中で自分だけ辛いなんて言えなかった。」と言って泣き崩れる子も少なくない。わたしもあのお葬式以来、家族の前で泣くことはなかった。彼ら彼女達の経験は簡単に受け止められるものではないけれど、そんな気持ちだけは分かり合えるものがある。

               *

兄を失ってからはじめの5年間、夢か現実かの境目も分からず毎晩の様に涙が溢れた。その後の5年間は、彼を忘れてしまうことの方が怖かった。わたしの分身でもある彼は今でも何かで繋がっていて、体調を崩す日には決まって夢に現れる。


17年経った今、彼と過ごした日々は、確実にわたしの中に温かいものを残してくれた。今でもはっきりと思い出せるのは、彼のくしゃくしゃの笑顔と懸命に生きようと必死だったあの顔、穏やかに眠るあの顔と、彼と過ごしたいつくかのストーリー。彼がどんな声で話していたのかは、もうおぼろげだ。

毎年やってくる5月31日、わたしは決まっておすしを食べている。

The End

最後までお読み頂きありがとうございます。お読み頂いた方にとって、この小説が何となく前を向けるものになっていれば嬉しいです。よかったらスキ❤️やフォローお願いします。感想やご意見などお気軽にメッセージくださいね。来週にはあとがきを入れて全編まとめたものをアップして本当の最終回にしたいと思います☺︎


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