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やめたいって、変わりたい、じゃない?

あーやめたい。みーんなやめちゃいたい。

うまくいかない仕事もだめな母親もネガティブな自分もみーんなやめたい。毎日毎日そんなことを考えていてふと気がついた。それって変わりたいっていうことなんじゃないの。


最近、自分の考えていることをうまく言葉に出来なかったり自分の外側に出して整理したり、まとめたり、そういうことができずにモヤモヤしている自分がいることに薄々気がついてはいた。でも日常に必死で、見て見ぬふりをしていた。自分の本当の思いとか、やりたいこととか、理想とか。だってそういうのを自分の外側に出して、話したり書いたりするのってとっても恥ずかしい。イタイ人って思われるのも嫌だし、え~あなたには無理無理とかいわれるのを想像したら心臓が苦しくなる。

そんな気持ちないですか?自分を表現したり開示することにものすごく抵抗があるんです、私。否定されたくないから。とにかく恥ずかしいし。

でもそれを乗り越えないと、自分の 変わりたい とか新しい要望はかなえられない気がする。ずっと変わらぬ私のまま。変わらぬ私のままいるのはある意味楽ちんな事かもしれない。今まで使っていたお湯に浸かり続けて、今までずっと入っていた布団に入る。そんな感覚。でもそれで人生楽しめるのか?このまま終わっていいのか?私よ。


私がそんな風に思うのは、自分の夢ややりたいこと、叶えたいことに思いを馳せるときが多い。自分に正直になっていいのかどうか、迷いながら、いつも自分の夢は言ってはいけないという気持ちがあった。自己肯定感が低いことや自分のことを信じていないこと、たくさんの要素があると思う。けれど、今すごくもやもやしているのは自分の気持ちや正直な思いを無視しているからじゃないかと気がついた。本当にやりたいことをやりたいし、自分の夢や気持ちに正直でありたい。ただ、毎日なにかをこなしたりなんとなく生きることはもったいない。


もう恥ずかしいとか今更遅いとか私なんかとかそんな気持ちかなぐり捨てて今こそ動くときじゃないのか?もちろんそんな簡単にいかないと思うよ。でも何かしてみなきゃ、新しい暖かさや快適さには出会えないよ。変わらぬ暖かさはきっと変わらず在り続けてくれる。使い古した毛布、見慣れた笑顔、さまざまに形を変えて私の周りに。

何度か話したことがあるけれど、私は双極性障害を患っている。だからこそ、今のこの気持ちが躁のタームにあって、いかんなく双極性の躁の部分が発揮されているだけなのかもしれない。そうだとしても、こう思った自分の気持ちは忘れないでいたいし、一つの成長だと思う。

私、本当はネガティブでいたくないし、やりたいこともたくさんあるんだよ。みててね。

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