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月曜日の憂鬱に関する、世紀の大発見。

「お母さん!! オレ、気づいたっちゃけど!!」

小学4年生の次男が、さも世紀の大発見をしたかのような顔をして話しかけてきた。

その時刻、日曜日の午後9時半。
金曜日の帰宅後、一度も開かれることのなかったランドセルを開きながらの発言だった。

ランドセルはどこにも隙間がないくらいにぎゅうぎゅう詰めで、多分山手線の朝のラッシュもここまでのぎゅうぎゅう詰めではないと思う。知らんけど。
プリント類も教科書も、明らかに息が詰まっているだろうと思われるくらいに詰め込まれている。

算数の教科書の手首を理科のノートが掴んで、
「ちかんです! ここにちかんがいます!」
と大声で叫んでいるところに、社会の窓が空いた国語の教科書が
「どうしました? 次の駅で一緒に降りましょうか」
なんてことを言い、その様子をぐしゃっとシワのついたプリント類や箱型の筆箱からはみ出た半分に折れた定規、ページを飛ばされたノートが白々しく見ているのが容易に想像出来る。

そのくらいギュウギュウ詰めのランドセルなのだ。

たぶん、どこぞのもりもり盛っていると思われるステーキ弁当の牛肉もここまでの牛牛詰めではないと思う。知らんけど。
白飯の見える余白なんかないくらい、付け合せのポテトサラダにまでタレが染み込むくらいに詰め込まれている。

「ちょっと、そこもうちょっと詰めてくれる?」
とサーロインがロースににじり寄る。
その様子をカルビが「せせっこましいなぁ」とやじっている。
さらにはそれを「あなたたちは国産って胸を張ってらっしゃるんでしょうけど、こちとらオージーなんでね。隅の方で静かにさせてもらいます」と冷ややかな目でオーストラリア産のハラミが舌打ちをする様子が安易に想像出来る。

そんなぎゅうぎゅう詰めのランドセルを開ける理由は、ただひとつ。

宿題だ。

逃げ回っていた宿題を重い腰をあげて、就寝予定時刻の30分前に着手しようとしているのだ。

こんな日曜日の夜に彼の言うことはパターン化されている。
「宿題したくない」
「もう休みが終わるとか早すぎ」
「明日学校に行きたくない」
「明日は休みたい」

相場はそんなところだ。

その都度私は、「仕方ない」「頑張ろう」「諦めろ」「楽しいことあるよ」「うるさい」「えらいね」「しつこい」「明日は体育あるかな?」「早く宿題しろ」「給食は好きなメニューかな?」なんて、怒ったり宥めたりスカしたり持ち上げたり落としたりするわけだ。

月曜日の朝、つまりは登校するまで、この不毛なやりとりは続く。
しかも毎週。

そんな彼が、その日は辛気臭い顔をせず私に話しかけてきた。
私は一応「何に気づいたと?」と彼に尋ねてみた。

すると彼はものすごい発見をしたと言わんばかりの顔で説明を始めた。

「月曜日って学校行きたくないやん。休みの後やし。やけんオレは月曜日休みたいわけ。でも、月曜日休んだら、火曜日も行きたくなくなるやん。ってことは月曜日休んでも意味がないってことやない? 結局休んだ後は行きたくないんやけん」
と膝を打った。

私は感心した。
「そうよ! すごい発見やん! よく気づいたね。じゃあ、明日は休んだって意味がないってことやね」

私がそういうと「そう言いよるやろ」と彼は言い放って、宿題をさっさと片付けて寝室へ向かった。

次の朝、彼は「学校に行きたくない」なんてことは一言も言わずに、元気に学校に行ったのだ。

素晴らしい、と私は思った。
月曜日の憂鬱に彼は打ち勝ったのだ。


そして火曜日。
朝起きるなり彼は言った。



「学校行きたくない。休みたい」

ズコー



今はもう冬休み。
休み明けの前日、このことを本人が思い出してくれますように!!








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