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オーストラリアの高校の美術について。

私は小学校の図画工作の教科が大嫌いでした。

ものづくりや絵を描くことは小さい頃から大好きでしたが、小1の時にクラス全員が運動場で遊ぶ様子を水彩で描くことがあり、コンクールに出すからと先生がクラスメイトの絵に加筆していたのを見てドン引きしちゃいました。

「今日はみんなで同じ静止画を描きましょう」や「みんな粘土でこれを作りましょう」といった授業が好きになれなくて、なんでみんな同じことをしないといけないのか理解できませんでした。

もちろん、技法を学んだり、自分で好きな主題を選べたこともありましたが、その頃は言われたとおりに作品を作るのが当たり前だという感覚がありました。

このもやもや感を一掃してくれたのが、留学先の中学・高校の美術のクラーク先生でした。

先生のクラスは、まず最初の15分くらい、おしゃべりがあります。

「(DezeenColossalなどの記事を出して)みんなこれ見た?これについてどう思う?そうだね、このアーティストはこんなテーマで作品を作っているけど、(別のアーティストの本を出してきて)同じテーマでこの人はこういう風にアプローチしてるよね。・・・」

といったように、次から次へと話題を変えながら、最終的には話の本質(作品制作過程の考え方など)へたどり着きます。

その後は、各自、それぞれのプロジェクトの作業に取りかかります。

プロジェクトは一学期まるまるかけて、テーマ決めから使う素材、技法など全てを学生本人が決め、作品を完成させる過程をスケッチブック(フォリオ)にまとめるというものです。最後の作品よりも、プロセスが重要視されます。

プロジェクトの採点は、作品の完成度だけでなく、プロセスの透明性、作品への影響を説明しているか、制作過程でどんな実験・試作をして、その結果を精査しているか、などです。

先生の主な役割は、クラスをまとめて授業をするというより、一対一で作品の話をして、それぞれの学生に役に立ちそうな技法やアーティストを紹介したりすることです。また、フォリオを見て、どうやって固定概念的な考えから脱出できるかについてアドバイスをしてくれます。

クラス全体の包括的なテーマがあったとしても、それをどう認識するかは学生個々人によって違います。
例えば、テーマが "The Lost Thing"だったとしたら、オーストラリア人のイラストレーター、ショーン・タンのアニメーションを見て、自分の無くしたものってなんだろう?なんて考えるところから始まります。それが物体的なものかもしれないし、震災で消えた風景かもしれない。

一人一人が作品を通じて伝えたいことが作品制作の軸になっていると感じます。

もちろん、日本の学校でも素晴らしい先生はたくさんいらっしゃるでしょうし、単純に私が日本の中学・高校の美術を経験していないだけかもしれません。でも、考え方や作品制作のアプローチが根本的に違うのかもしれないと思ってしまいます。

日本とオーストラリア、両方の国の美術のクラスを経験して、美術って、ただ作品を作ることが目的ではないんじゃないかと思うようになりました。最終的には、それで何を表したいか。伝えたいかなんだと思います。


最後まで読んでくださってありがとうございます!明日は高校の国語(英語)について書きます。スキしてくださると嬉しいです。

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