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わたしを「趣味:戦略」に駆り立てた1冊:『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件』(6/6)【間違いだらけの読書備忘録(8)】

こんにちは、さらばです。
現在、以下の本について備忘録を書いています。

  • 楠木 建『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件』

1~5はこちら。

非合理な合理性を組み込む

第5章"「キラーパス」を組み込む"では、ストーリー上の「起承転結」の「転」にあたる「クリティカル・コア」について書かれています。
この耳慣れない言葉である「クリティカル・コア」を、筆者はこう定義しています。

「戦略ストーリーの一貫性の基盤となり、持続的な競争優位の源泉となる中核的な構成要素」

楠木 建『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件』

そして「クリティカル・コア」が「クリティカル・コア」として機能するための条件を二つ挙げています。

第一の条件は、「他のさまざまな構成要素と同時に多くのつながりを持っている」ということです。
(省略)
第二の条件は、「一見して非合理に見える」ということです。

楠木 建『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件』

ひとつめは「一石で何鳥にでもなる」くらい、他の構成要素とたくさん繋がっていることで、ふたつめは「その打ち手だけを見ると客観的に見て非合理的なんだけど、全体のストーリーの中で見ると極めて合理的な打ち手になっている」ということです。
本章ではスターバックスの戦略ストーリーを例に出し、豊富な文脈で解説されています。

スタバの戦略ストーリーのコンセプトは「第三の場所サード・プレイス」ですが、これを実現するために彼らは店舗の雰囲気を作り込み、駅前等の一等地に何店舗も出店し、スタッフをバリスタと呼んで資格制度を整備し、メニューもそれに準じたものに取捨選択します。
これらの打ち手と繋がる「クリティカル・コア」が「直営方式」です。店舗数を増やしたいチェーンのカフェなら、通常FC方式を取るのが効率的であるところを、スタバは株主の反対に遭っても直営方式を貫きます。

なぜなら、直営という打ち手が、上に挙げた個別の打ち手に対する強い因果を生み出すからです。特に「同じ場所に何店舗も出店」という点については、店舗同士が競合するリスクが高いことから、FCという方式では成立しません。
このように、「直営方式」は「それだけを見れば非合理的な打ち手」ですが、全体の戦略ストーリーを俯瞰したときには「それがないと成立しない、極めて合理的な打ち手」です。

クリティカル・コアは模倣者の自滅を促す

ここまでの説明で十分興味深いのですが、本章の肝はここからです。
本書は競争戦略の本ですから、いかに競争優位性を"長期にわたって"担保するかという話が全編にわたって展開されています。

  • 第2章ではSP(ポジショニング)やOC(組織能力)といった個別の打ち手による差別化が語られ、

  • 第3章ではそれらを「強く、太く、長い」因果論理によってつないだ戦略ストーリーによる差別化が語られ、

  • 第4章では戦略ストーリーの起点であるコンセプトの時点で、戦略ストーリーが持つ競争優位性のパワフルさが決まることについて語られました。

  • そしてこの第5章で語られている「クリティカル・コア」を戦略ストーリーに組み込むことが、長期にわたって競争優位性を確立する最高の方法であるというのが本書の主張です。

第2章から第5章に向かって語られる内容でなにが違うのかと言えば、「模倣の難しさ」です。
SPよりOCのほうが模倣が難しく、個別のSPやOCより戦略ストーリーのほうが模倣しづらい。そして「クリティカル・コア」が組み込まれた戦略ストーリーは、もはや模倣が難しいどころか「模倣しようとする競合が自滅しやすい」と言います。

「クリティカル・コア」は一見して非合理なので、競合からすれば「真似しよう」とは思いがたいです。
全体を模倣しようとした場合でも、その点だけは模倣しない可能性が高い。そして模倣しないことが「正しい」と思うでしょう。
が、上に書いたとおり「クリティカル・コア」は一見して非合理ですが、全体の流れからすると合理的な打ち手で、それがなければストーリーが成り立ちません。

だから模倣しようとする企業は一番肝心な打ち手を欠いた部分的な模倣に留まり、むしろ上手くいかないといった結果になります。「戦略ストーリー」の模倣は「模倣に対する障壁がある」というレベルに留まりますが、「クリティカル・コアを含んだ戦略ストーリー」は「模倣しようとすると自滅する」というレベルの競争優位性を確立します。

本章ではその「クリティカル・コア」の具体例として、マブチモーター、デル、サウスウエスト航空、アマゾン、アスクルと、豊富な事例を以て解説が続きます。
読むにつれて理解が深まり、その鮮やかさにビジネス書を読んでいたことを忘れるような感動を覚え、不意に思ったのです。

「わたしもこんなストーリーを描きたい」

物語にもクリティカル・コアが存在する

というわけで、ここからは例によって創作の話です。

物語の指南書を読むと、時折「どんでん返しが重要」とか「起承転結の転が重要」とかいう内容があります。
これは本書の「クリティカル・コアが重要」という話と"似た方向性の話"だと思います。しかしここまで合理的で明快に言語化されている物語の指南書に、わたしは一度も出会ったことがありません。

つまり創作の視点から見ても、本書はこれまで読んだどんな物語の指南書より、この点に於いて優れた一冊だというのがわたしの所感です(物語の指南書じゃないのに)。

なお、誤解のないように書くと、「クリティカル・コア」は「どんでん返し」とは全く違う次元の話です。
物語の世界でも「模倣」というのは常に意識されていることだと思います。なにかしらの物語がヒットすると、間を置いて次々に似た物語が登場するというのは消費者として物語を楽しむひとなら、誰しも覚えがあるんじゃないでしょうか。

この「模倣」が表面的あるいは部分的な模倣に留まると「劣化版」や「パクリ作品」と呼ばれたりします。もちろん「完コピ」しても「パクリ」なのですが、本質的な要素を完全に模倣しつつ、表面的にはオリジナリティを付与できると、それはヒット作の「打ち手の要素」だけを模倣した別の作品になるはずです(ちょっとなに言ってるか解らないかもしれませんが、エヴァをウルトラマンのパクリだと言うひとにはそんなに会ったことがありません)。

こういった模倣自体が極めて難易度の高いものだということは言うまでもありませんが、特に、そのヒット作品に「一見して非合理に見える」「クリティカル・コア」が組み込まれていた場合、模倣する側は恐らくその点は模倣の対象にしないので、全体のストーリーを俯瞰したとき、模倣した作品はヒット作の面白さを担保する"核"が組み込まれていないという事態に陥る可能性が高いということです。

じゃあ、創作でこういうことはよくあるのか?
これまで「クリティカル・コア」という観点で世の中にある物語を見たことがなかったので、正直に言うとはっきりとしたことは言えません。

ひとつ思うのは、ビジネスの「戦略ストーリー」はそれ自体が商品ではなく、あくまで事業を成功させるための"裏方"であるというのが創作との大きな違いです。それ自体が商品である物語は、その文脈に注目する創作者や消費者も多いでしょうから、あるいは「クリティカル・コア」的な要素が組み込まれていることを見破られやすいかもしれません。
逆に、物語の楽しみ方はひとそれぞれですから、消費者によっては「優れたストーリー」になっていても、そんなものに興味はなく、単に「キャラクター」や「台詞」などの個別の打ち手を楽しむだけという可能性もおおいにあります。
その場合、「クリティカル・コア」が組み込まれていることが逆に(一見して非合理であるがゆえに)消費者の反感を買うこともあるかもしれませんし、模倣者がそれを模倣しないことが「正解」ということもあり得るのかもしれません。

これが適切な例になる自信はありませんが、ぱっと思いつく話で言うと、例えば「読者に大人気の、物語上重要な登場人物が死ぬ展開」があったとします。
人気のあるキャラクターを死なせるというのは一見して非合理です。が、物語を俯瞰して見たとき、そこでそのキャラが死んだことで、その死をもたらした背景へのクローズアップによって、さらに消費者の注目を得られるかもしれません。
また、その死を乗り越える主人公の心情に、深く感情移入する消費者も出てくるでしょう。
「人気キャラクターの死」という「クリティカル・コア」が一石何鳥もの打ち手になって、他の打ち手と強く、太く、長い因果論理を形成できれば、一見非合理でも全体としては合理的に作用し、大きな感動を生み出せる可能性があります(そして感動がセールスにも影響し、長期利益を生み出す)。

ただ、こういう物語をつくったとき、「人気キャラクターを死なせた」という消費者からの非難は一定以上ありそうですし、逆に「人気キャラクターを死なせて、これこれこういう展開にすると感動を生み出せる」といった研究もされやすいものだと思います。
しかしそれでも、前者については物語の「コンセプト」に合っていれば、非難をする消費者が「誰に嫌われるか」の対象ということなら整理がつきます(そのひとたちはその物語のターゲットではない)。
後者については、研究されたとしてもやはり「人気キャラクターを死なせる」という打ち手を容赦なく打てる創作者は多くないでしょうし、単に「人気キャラクターを死なせる」という部分だけを模倣すると結局上述の理由によって失敗します。

だから「クリティカル・コア」が競争優位性を確立するためのかなり有効な一手だという論理については、創作を対象にしたとしても揺るがないというのがわたしの所感です。


さて……いつもひとつの記事は長くても3,000字前後までと決めているのですが、今回はもう4,000字近くになってしまいました。
ただ今回で本書の備忘録は終わろうと思うので、このまま続けます。よければもう少しお付き合いください。

前回も書きましたが、この「クリティカル・コア」の話は本書を読んだときの最も大きな衝撃でした。
その衝撃は、仕事人としても創作者としても、

「わたしもこんなストーリーを描きたい」

という強い思いにつながりました。
わたしは以前「趣味:戦略」と書きましたが、戦略を描けるようになりたいというのは、もう少し正確に書くと「クリティカル・コアを組み込んだ戦略的な物語を、仕事でも創作でも描ける実力を身に付けたい」ということです。

それを自分では途方もなく高い目標だと感じているのですが、他にこんな面白いことがあるだろうかとも思っています。
ともあれ、これまでの自分の実力では絶対に無理だと素直に認め、INPUTと、OUTPUTによるINPUTを繰り返して学び続け、自分をUPDATEしていく必要があると強く感じた次第です。
(今までと比べれば)多く本を読み始めたのも、「間違いだらけの読書備忘録」を書こうと思ったのもそれが理由で、noteを書き始めた理由と言っても過言じゃありません。
本書を備忘録の一冊目に選んだのも、そもそもの起点がここだからです。

おわりに

さて、6回にわたって書き連ねてきた本書の備忘録もそろそろ終わります。
ちなみに取り上げませんでしたが、本書にはあとふたつの章があります。

第6章"戦略ストーリーを読解する"では、ガリバーインターナショナルの戦略ストーリーを例にこれまで解説されてきた内容を踏まえ、具体的に詳しい解説が行われます。
いわば具体としての総ざらいを行える章です。

第7章"戦略ストーリーの「骨法一〇ヵ条」"は逆に、抽象としての総ざらいと言ってもいいかもしれません。
本書のいろいろなところで書かれてきた教えを一〇ヵ条に整理いただいているのですが、実際には結構「初出では?」という内容もあって、学びの振り返りにはとても役立ちそうです。

今回、一冊の備忘録で大体20,000字くらい書いたのですが、元が何分500ページのハードカバーなので、これでも「学び切れた」感は全然ありません。ストーリーづくりを実践しつつ、これからも何度となく読み直すことになると思っています。
その際、こうして自分の言葉である程度OUTPUTしておくと、不完全ながら定着の役に立ちますし、振り返りもしやすいと考えました。また、将来読み返したら「こいつ全然解ってないぞ?」と思うかもしれませんが、そう思えた場合、そのときの自分は今より理解が進んでいるということなので、そういう意味でも書き残すことには価値があるんではないかと。


というわけで、正に"備忘録"の目的で書いているので、これをここまでお読みいただいた方がいるかどうか自信はないですけど、物語づくりを志す方には自信を持って「わたしが現在最もおすすめする一冊」と言い切らせていただきます。
ただし、「間違いだらけの読書備忘録」の1か2にも書きましたが、本というのはいつどういう段階の自分が出会うかで、受け取れる内容が全く違うものになりますから、創作者なら誰にでも役立つとは言い切れません(どっちだよ)。
でも、おすすめです。


しかしまあ年末年始から何十冊か読んだのですが、このペースで備忘録を書いていくと読むペースに書くペースが全く追い着きませんね。
次回からもう少し考えないと……。


お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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