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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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#金光教

直(すぐ)におかげを受けねば間に合わん

直(すぐ)におかげを受けねば間に合わん

まめな時に参りておかげを受けておき、病苦災難のある時は、山、野、海、川、道、どこでも、天地の神様、金光様頼む、と願え。直におかげを受けねば間に合わん。

遠方と思うのは、ただ、この広前ばかりである。天地金乃神様は、けっして遠きも近きもない。

 金光教教典
 362頁
 山本定次郎の伝え
 2

おはようございます。

「直に」は、「すぐに」「じかに」「じきに」などと読むことができますが、ここでは

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自分に頼んでおかげを受けねば間に合わん

自分に頼んでおかげを受けねば間に合わん

お前も人間、私も人間。同じ天地の神から同じ御霊をいただきておる万物の霊長であるから、信心してご神徳を受けよ。此方へ参って来んでも、稲木の天地も違いはせん。自分に頼んでおかげを受けねば間に合わん。

 金光教教典
 362頁
 山本定次郎の伝え
 2

おはようございます。

教祖様もお参りを始めたばかりの青年、山本定次郎さんも同じ人間だとおっしゃいます。
同じというのは、同じ天地の神様から同じ御霊

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肉眼をおいて、心眼を開きて見なさい

肉眼をおいて、心眼を開きて見なさい

天地の神様は、世界中、天地一般に見て、お守りくださるのであるから、合わせ鏡の間に住んでおるようなものじゃ。

目をつぶってお願いしておると、願う氏子の宅地建物が見えるように思う。そのままを伝えれば、少しも違わぬことを言われたと言う人がある。

肉眼をおいて、心眼を開きて見なさい。

 金光教教典
 362頁
 山本定次郎の伝え
 2

おはようございます。

山定次郎さんが子どもの頃に父親に付い

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何日に参拝せんと思えば、仕事をくり合わせて都合をつけ

何日に参拝せんと思えば、仕事をくり合わせて都合をつけ

たびたび参るのはよろしいが、親に安心を与えておき、信心せねばならん。何日に参拝せんと思えば、仕事をくり合わせて都合をつけて、親に弁当の世話をさせんがよろしい。

 金光教教典
 362頁
 山本定次郎の伝え
 2

おはようございます。

元治元年9月にに父親の徳治郎さんがお参りし、それから12年後の明治9年、息子の定次郎さんがお参りするようになりました。

御教えを頂いて日増しに信心が進み、度々

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今より金神頼むと心を改め

今より金神頼むと心を改め

その方の家にはご無礼しておる。家は南向き、戌亥(いぬ・い)に蔵、西に長屋、東に立ち上がり(がけ)があり、家の上に折れ回りになっておる。この折れ回り角に大便所あり、この陰で不浄の洗い物をしておる。この方角へ、この度、後産(あとざん)を三か所へ埋めかえておる。

とにかく、暦を見て明き方という金神の留守をねろうておるが、例えにも、隣三軒は京都におる子にかえなという。一の隣でも、留守をねろうておると、つ

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神は向こう倍力の徳を授ける

神は向こう倍力の徳を授ける

神は向こう倍力の徳を授ける。

 金光教教典
 361頁
 松岡金次郎
 2

おはようございます。

10の徳をもって神様に向かったら20の徳を授けるとおっしゃいます。

自分の力に余るようなことをお願いすると思っても、神様が倍力の徳を授けてくだされば、おかげを頂くことが出来ます。

ですから、なにごとも無理と思わずにお願いすればよいということになります。

*

今年結婚41年を迎えます。家

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子の親を慕うごとく

子の親を慕うごとく

子の年(松岡金次郎)、実意をもって金光の広前を慕うは子の親を慕うごとく、心手厚き子の年の氏子。

 金光教教典
 360頁
 松岡金次郎
 1

おはようございます。

小さな子どもはおとうさん・おかあさんが大好きで、自分のすべてをまかせます。信じ切っています。

松岡金次郎さんが教祖様の御広前にお参りする気持ちは、そんな子どものようだ、それが心が手厚いということだと誉めておられます。

自分はそ

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何事も頼めばかなうべし

何事も頼めばかなうべし

何事も頼めばかなうべし。

 金光教教典
 360頁
 藤本仁吉
 5

おはようございます。

奇跡的と言っていいおかげをたくさん見せていただいて来ました。

当たり前がおかげであることを教えていただき、四つのお礼(空気水・食物・夜具・手洗いへのお礼)を通して、その事を感じさせていただいております。

目に見えないおかげおかげが大切であることも教えていただき、少しでも分からせていただこうと取り組

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鬼門の普請もいとわず

鬼門の普請もいとわず

届けてすれば鬼門の普請もいとわず。

 金光教教典
 360頁
 藤本仁吉
 4

おはようございます。

親教会に参拝するため、函館に来ています。
久々の月例祭参拝です。

*

このお道の信心は、神様と仲良くし、神様の顔を立てる信心です。

人間は天地の間に生かされて、天地の恩恵を受けて命を養っていただいております。

それにもかかわらず、人間の都合勝手、自由自在に断りもなく、御土地の上

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不浄のことを忌まず

不浄のことを忌まず

地所において不浄のことを忌まず。

 金光教教典
 360頁
 藤本仁吉
 3

おはようございます。

神様の御土地の上に不浄はない、ということです。

家族に亡くなった人があるから、あるいは、月経だから神様にお参り出来ないとか、そういう禁忌はこの神様にはありません。

不浄そのものがありません。

死ぬことは不浄ではありません。死んで霊になるのはめでたいと考えます。

月経は命が授かる元で、

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遠路の道を参詣せずとも

遠路の道を参詣せずとも

遠路の道を参詣せずとも、金神は自宅にまつりあるぞ。

 金光教教典
 360頁
 藤本仁吉
 2

おはようございます。

この御教えは、どんな人へのお言葉かによって意味合いが異なってきます。

物見遊山気分でお参りした人に対してなら、お叱りの言葉になります。

万難を排してお参りした人に対してなら、労りの言葉になります。

近藤藤守先生ご夫妻は、万難を排して毎月お参りされました、遠路の道であっ

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受けんおかげを受けたと言うな

受けんおかげを受けたと言うな

受けんおかげを受けたと言うな。受けたおかげは広くするべし。

 金光教教典
 360頁
 藤本仁吉
 1

おはようございます。

自分が信心して自分がおかげを受ける。
このことが信心の基本です。このことがあって初めて、信心の感動が生まれます。それを話せ、という思し召しです。

*

信心とは何をすることか。
それを求めることが信心であると申し上げたいですが、教祖様が教えてくださる御教えを行ずる

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堪忍、こらえること第一なり

堪忍、こらえること第一なり

人に一つたたかれたれば、お前は手が痛うはなかったかえと申して堪忍しておけば、二つとたたかれることなく、けんかすることなし。堪忍、こらえること第一なり。

 金光教教典
 359頁
 鳩谷古市
 5

おはようございます。

この御教えについて鳩谷古市さんは、次のように言っておられます。

「信心すれば、ここまでこらえねばならぬものなりと思い候。実の信心は、恐れながらむつかしきものと思い候。口で申せ

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いつまで話しても、みてる(尽きる)ということはありません

私の話は、いつまで話しても、みてる(尽きる)ということはありません。

書物などを見て話すのならば、これまで一切り話したからやめるということがありますが、それでないから、いつまで話しても、みてるということはありません。

 金光教教典
 345頁
 徳永健次
 9

おはようございます。

神様のこと、神様と人との間柄のこと、自分がおかげを頂いてきたこと、ここにお参りされる方がおかげを頂かれたこ

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