遠路の道を参詣せずとも
遠路の道を参詣せずとも、金神は自宅にまつりあるぞ。
金光教教典
360頁
藤本仁吉
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おはようございます。
この御教えは、どんな人へのお言葉かによって意味合いが異なってきます。
物見遊山気分でお参りした人に対してなら、お叱りの言葉になります。
万難を排してお参りした人に対してなら、労りの言葉になります。
近藤藤守先生ご夫妻は、万難を排して毎月お参りされました、遠路の道であってもお参りしたい、教祖様ご夫妻にお目にかかりたいという心でお参りされたのです。教祖様はそのことをお喜びになっています。
近藤藤守の大きなおかげの元はそこにあったと拝しています。
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神様はどこにでもおられます。ですから、どこから拝んでもおかげになります。自宅で拝んでももちろんおかげになります。
そのおかげが頂けるのは、御広前にお参りして信心の稽古をしているからです。
教祖様は、46歳の時に御広前での御用を始められました。それ以前、畑や田んぼで仕事している時に助けてくださいと言って来られる人があると、必ず御広前に戻っておられました。
どこから拝んでもおかげなるはずなのに、わざわざ自宅に帰り、手足をすすいで御広前に上がりお取次の御用をされました。
その事の意味をよく考えてみたいと思います。
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今日は、東日本大震災から10年です。
ご祈念させていただきましょう。
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