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2021年4月の記事一覧
日々懇意にしておれば、直々に頼むことを聞いてもらわれる
人の地の上を無沙汰に、または留守をねらい勝手に支配しておる人を、その地主が帰り、取り調べた時、それなら取りのけると言うても、地主が承知するか。断りは申しあげねばなるまい。ただ断りを言うたばかりでは、安心はできまい。その地主と日々懇意にしておれば、直々に頼むことを聞いてもらわれる。
いつも、あの人は悪い人であると思い、親切をせずにおり、また勝手のよいことばかりして取り調べを受けるようではつまらん。
神様と氏子との間に悪いことをはさまんような信心
神や仏に数々頼む人は、何神様のおかげを受けたやらわからん。天地金乃神へ一心に頼み、全快すれば、ありがたいことがすぐに知れる。金神の障りもないようになる。
神様と氏子との間に悪いことをはさまんような信心をしなさい。
金光教教典
369頁
山本定次郎の伝え
15
おはようございます。
一心とは、あちこちの神様や仏様に頼むのではなく、天地金乃神様一筋となることです。
一心にはそういう意味
神様へ氏子がすがるのに、お見捨てにはなるまい
神様へ氏子がすがるのに、お見捨てにはなるまいではないか。わが子が難儀な時に、親へ正直な頼みをするのに、見捨てはすまい。神様も親も同じことぞよう。一心に信心しなさい。
金光教教典
368頁
山本定次郎の伝え
14
おはようございます。
これまでの神様は願いっぱなしで、おかげがあるかないか分からなかったが、この神様は、すがれば助けてくださる神様である。
それは、難儀な子どもが正直に気持ち
目に見えん障りと思うことは取り払うてくださる
盗人その他、悪いことをする者には、上(かみ)の役人からそれぞれの罰をつけて、正直な者に安心さしてくださるようなもので、
天地の親神様を敬い、一心に信心しておれば、目に見えん障りと思うことは取り払うてくださろうではないか。
金光教教典
368頁
山本定次郎の伝え
14
おはようございます。
教祖様の当時、目に見えない神や霊と衝突することによって、突然、悪寒や失神に見舞われることを、
気楽なだけでもありがたい
非常の事のある時、天地金乃神を心で頼みつつ手伝いし、働きを十分にすれば、心が大丈夫でできるではないか。
それを、方角の悪い方へ来ておると思い、心配し恐れつつ手伝いする仕事は、十分にできまいではないか。
仕事はとにかく、神様頼みて安心に勤めさしてもらえば、気楽なだけでもありがたいではないか。
金光教教典
368頁
山本定次郎の伝え
12
おはようございます。
火事・大水・病気などの
万事頼むという心になりて信心する
暦の表に、金神が回るとして、円い図(暦の方位図)に割りをして筋をつけ、この間には金神、または明き方と言うたりする。
縁談縁組み、普請作事、旅立ちなどの吉凶を、中段下段(日柄の吉凶の欄)を見て行おうとしてみなさい。行われはせん。
ただ正月三日の間ばかりではなく、一か年三百六十五日についての日柄方位方角ということは、昔の人間がこしらえたもので、日柄方角を言うたばかりでは、あまり勝手すぎるではないか
心を改め信心するがよろしい
我欲になりて悪いことをしておると人が戒める。人は見んと思うておりても、天地の神様の鏡に映るから、心を改め信心するがよろしいなあ。
金光教教典
366頁
山本定次郎の伝え
9
おはようございます。
「信心してまめで働けば、わが身の得」になることを教えてくださった後、その裏を語っておられます。
目の前の小さな欲望を満たそうとする我欲な自分から、信心する自分へと改まる。
この「改まり」こ
天地の神様がお守りくだされてある
畳の上に寝起きしておるが、畳の藁(わら)や藺(い)の生長したもとを考えてみよ。
百姓は藁や藺をはじめいろいろ作りおるから、人間の力ばかりでなく、四季を天地の神様がお守りくだされてあることはわかりましょう。
金光教教典
366頁
山本定次郎の伝え
8
おはようございます。
綿、水、鍋釜、かやと色んな事例を出して、四季を通じて天地の神様がお守り下さってあることをお話ししてこられました。