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「問題」が導いてくれるのは、実は「望み」へのきっかけ
ここ最近、子どもと向き合いながら、親や幼少期のことを思い出すことが多い。
嬉しくなったり、イライラしたり、悲しくなったり、楽しくなったり、無力感を感じたりもする。
「もしかすると、親と同じような怒り方しているかもしれない」
「しまった。今の声かけは、子どもにとって望ましくないのかもしれない」
あれこれ考え、不安や焦りもある。
自分の親とは、現在良好な関係ではあるけど、昔の親は怖くて苦手だった。
数年前、うつ状態になった際。数ヶ月かけてカウンセリング時に向き合った、子どもの頃の感情。
あれらをまた、思い出すことが増えた。
親がわたしに向ける怒り方、話し方。
言うことを聞かないと、有無を言わさず怒られていたこと。
話を聞いてもらえないこと。
家の中の殺伐とした空気感と恐怖。
毎日のように、怒鳴り合う両親達の声。
逃げ場のない恐怖。
とはいえ、親だって、たくさんの事情や苦しみがあったのはわかる。つらそうな姿をたくさん見たから。あまり、あの頃の親を悪者にしたくない……。
だけど、わたしはあの頃の親が怖かった。怒らせないように、いい子でいなければいけなかった。
そんな想いがあり、我が子には絶対に繰り返したくないと思う。
そんな親たちは、わたし以外にも、たくさんいるのだろう。わざわざ、言わないだけで。
というか「まわりに言う人がおらず、かつ、それらをうまく他人へ伝える力や気力が残っていない」ではないだろうか。目の前の、終わらない家事育児仕事で疲れてしまっているのかもしれない。
*
しかし。我が子にはくり返したくないのに、状況は違えど、どうも親と同じような怒り方やイライラ、葛藤が自分も最近味わっている気がする。
このままでは、同じようなことになりかねない。世代的な負の連鎖は止めたい。
そんなことを思うこの頃だ。
そうか、またあの「心の問題」に、じっくり向き合うときがきたのかもしれない。
そんな風に感じ、合間の時間に読書や動画、過去の学びや出来事をふり返る。
ちなみに最近は、以下の本を読んでいる。
▼ママ、怒らないで。(新装改訂版)
まだ途中だけど、既に深い納得感と共感、そして、じわりと涙が出てくる。
最近やりたいこと、チャレンジしたいことの1つに「心と子育てのことを学ぶ」が増えた。
さっそく、やりたいことリストに書き出す。
仕事以外でやりたいことだ。ふり返ると、昔から興味深い・もっと知りたいことを言語化すると「文章・心・家族」だった。
つい、あなたが見てしまう発信。
つい、あなたが心が動かされてしまう内容、ジャンル。
それらには、何かしら共通点がある。
そして、何度もかたちを変えつつ、目の前に現れる「問題」。
それらはきっと、自分の人生にとって大切なことだと思うのだ。
さらに掘り下げれば、自分の好きなこと、得意なこと、さらに社会にできることに気づくきっかけにもなり得ると思う。
だから、収入や仕事など「物質的な価値」につながらなくても、もっと人は「ただ知りたい、学びたい」など、素直な感情で自由に動いてもいいのではないだろうかと思う。
大人でも、親でも。
子どもみたいに。
やればやるだけ、収入や感謝が増えるフリーランスになった自分。
だからこそ、充実感や楽しさがあるけれど、反面気をつけないと無意識に「生産性のないこと=無意味」となりかねないことに気づいた。
なんだか、休むことや遊ぶことに罪悪感を感じるのだ。
とくに、わたしみたいな自己肯定感低めの人間は注意かもしれない。無意識にも「誰かの役に立ち続けないと、価値がなくなる(ような気がする)病」からは、脱却すべきだろう。
ただ数年前と違うのは、ネガティブな感情を「やや前向き」にとらえられるようになったこと。そして、感情に飲み込まれ過ぎず「やや客観的」に考えられるようになったこと。
カウンセリングを受けたり、自己理解を進めたり、働き方を変える過程での学びが多々あったからだ。
……と、こんな風に言語化することで、人の心は落ち着き、冷静にもなれるのだ。結局、一番の理解者は自分だけ。救えるのも自分だけ。
もちろん仕事では、他者貢献のために、当然求められることを書く。そのような時間も大切で好きでもある。時間を忘れて没頭できる。
ただ、だからこそ。同じくらい、自分のための書く時間も、きっと大切なのだと思う。
noteには大勢、自分の考えや思いを発信をしている人がいる。AIには書けない一次体験が多いからこそ、おもしろいし読みたいと思う。
なかには、このnoteと同じように心の問題や苦しみと向き合う過程を綴っている人も多々いる。
言語化は、自分の深い部分とつながれるから、有効な方法なのだと思う。
8〜9割は自分のために書くことが多いこのnoteも、1〜2割くらいは、誰かの参考や気づきにもなればいいな、と感じて書き記している。(思ったことを書くので、あちこち思考が飛びまくっているけど。一応ライターなので、読者目線は気にしてしまう)
実際、働き方を変えられたのは、数年にうつ状態になったから。
根っこの悩みや問題にきちんと向き合えば、きっかけや原動力につながるのだ。
それは苦しいことでもあり、学びが深いことでもある。
31年抱えた続けた問題は、やはり、すぐには良くならない。当たり前だ。何かのきっかけで、ぶり返すことも当然ながらあるのだろう。
なら再び、数年かけてでもじっくり向き合ってやろうではないか。
諦めずに、ただ自分と向き合えばいいのだ。親や他人ではなく、大人になった「わたし」が子どもの頃の「わたし」に。
「問題」とは、ただ「悪いことだけ」ではない。
きっと、これから子どもを通じて学ぶこと。それは長年つらくて苦しかった子どもの頃からの自分を、再び受け入れ、癒すことにもつながるのだろう。
そんな感じで、1人で自分と向き合う日々だ。
日々の気づいたことや学びは、どんどんnoteで言語化し、整理していきたい。
学びやスキルアップは「他人のため」だけではなく、まずは「自分のため」にもしてあげたい。
そのほうが、後からふり返ったと際、きっと楽しく、うまくいくと思うから。
最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。