先輩からもらったカフェラテ
「あなたは明日から管理部のMさんの元で働くか。そのほうがあなたも、のびのび仕事もできるじゃろう」
シンと静まり返った会社の会議室。
本社の人事部長が、穏やかな優しい顔でわたしにそう言い放った。
わたしはその言葉を聞いて、自分の不甲斐なさでいっぱいになりながら「ここで泣いたら迷惑になる」と涙を堪えるのに必死だった。
わたしは入社後1年も経たず、部署移動を命じられた。
*
原因はおそらく、現部署でわたしが「つかえない」からだろう。
現部署のベテランでデキる女性の先輩に、多分嫌われてしまっていた。
新入社員のわたしは要領も悪く、忙しい現部署でお荷物になったのだ。
「この前説明したよね?一回説明したのになんでできないか分からない」
「あなた、変なこと聞くようだけど病気なんじゃないの?」
突き刺さる、言葉の数々。
そのたびに頭にハンマーで殴られたような衝撃とともに、胸の辺りがズキズキする。
デキる女性の先輩の通りに上手く仕事ができなくて、そんなことを言われて無視されるようになった。
1日仕事が与えられず、放置されることも増えた。
社会人経験の皆無のわたしは、色々と要領も掴めずに足手まといになっていて、本当に申し訳なかった。
そんな中でたまにやってくる仕事もあるかと思えば、上手く間違えないようにしようとすればするほどなぜか間違える…。
呆れられて、先輩にため息をつかれる日々。
萎縮してしまい、なぜだか空回りばかりしていた。何かしようとすればするほど、手が震えて、足がすくんで怖くなる。
「どうしてわたしは皆と同じようにできないのだろう…」
職場へ通勤途中の車の中で、泣きながら出社や退社することもしばしばだった。
そんな日々が続いてすっかり自信がなくなった。
そんな矢先のできごとだった。
*
「あなたは優秀だったからねぇ、あの忙しい部署に配属したのだ。だけど、合わないなら変わったほうがあなたにとってもいいじゃろうなぁ…」
部長は言葉を選んでいるのか、少し歯切れが悪くそう呟いていた。
高卒で入社したので、当時19歳。
商業課の高校だったにもかかわらず、リーマンショックの影響もあり、クラスの半分以下しか就職できない環境の中。なんとか入社できた会社だった。
地元の安定企業。
親も、先生も喜んだし、自分も嬉しかった。
いや、わたしは「ホッとした」という感じだ。
家庭の経済的な事情もあり、進学は難しい。
賢い妹は大学に行ったほうがいいだろうし、わたしは親に多額のお金を払ってもらってまで特にやりたいこともなく。
就職するのがいいと思ったから、必死に勉強して、部活もがんばって成績表の評価を上げた。
資格の数、内申点、成績表上の数字達…。
大人達は、数字という目に見える結果を見るだろう。だからやっただけ。
ただそれだけで、わたしは優秀でもなんでもなかった。
「わかりました。ありがとうございます。本当に申し訳ありません…」
なんとか絞り出して部長に伝えて会議室を出た瞬間、堪えていた涙がぼろぼろ出て止まらなかった。
また人の期待に応えられなかった…。
なんだか、ダメ人間になってしまったようだった。
それまでの人生、わたしはいつもそうだった。
目の前が真っ暗とは、こんな状況のことを言うのだろうな、と思った。
そのとき、管理部のM先輩が現れて別の会議室に連れて行ってくれた。
わたしはそのとき、多分顔がぐしゃぐしゃになるほど泣いていたと思う。
恥ずかしい。
黙ってティッシュを差し出して、そんなわたしをしばらく、ただ見守っていた。
悔しい、悲しい、情けない…!
またわたしは…
色々な人の顔が、言葉が。ぐるぐると頭の中によぎって、胸の中で激しく暴れ回る感情が涙として止めどなく溢れて出てきた。
一通り泣いて落ち着いたあと、ひと回り以上年上のM先輩はゆっくりこう言った。
「普通だったら、あなたはここに居られないだろうけど、会社はあなたにまだここにいるチャンスを与えてくれたの。その事実にきちんと感謝して、これからがんばらないとね」
厳しくも、的確な言葉にズキっと胸の辺りが痛んだ。
おさまっていた涙がまた溢れ出る。
本当にそうだ…。
「でも、この異動は会社が決めたことだからそんなに自分を責めなくていい。これからがんばれば大丈夫だから。一緒にがんばろうね」
はい、これでも飲んで。とニコッとほほ笑みながら、買ってくれたカフェラテを差し出してくれた。
泣きながら、差し出されたカフェラテを飲むと温かくて、少し苦くて甘かった。
本当にわたしは情けなかった。
だけど、この会社や優しい先輩のためにがんばりたい…!
そう決意した。
このときのカフェラテの味は、多分一生忘れない。
*
それから、わたしはM先輩の元で一生懸命仕事を教わり働いた。
入社2年目だったけど、その年の新入社員と一緒にもう一度研修を受けて勉強しなおした。
同期入社の子達は2年目。仕事にも慣れて、先輩方とそれなりに楽しく仕事をしているようだった。
そんな同期を横目に、わたしはプライドも放り捨てて、分からないところはどんどん先輩社員に質問して、自分専用のマニュアルを作ったり、必死に仕事した。
これまで迷惑かけた分、必死に。
お客さんのため、見守ってくれる上司や先輩、社員みんなのため…
M先輩は、いつもよく周りを見ている人で、目の前の仕事そのものよりも、その先を見通して動く人だった。
「今の自分が居心地が悪いと思ったら、自分で居心地のいいように作ればいいよ。人間関係も、仕事も。あなたもできるよ」
当時、肩身が狭い思いをしていたわたしに、ふとそう言った。
自分に厳しくて人には優しくて、前向きに、向上心もある先輩。
困った時はいつも、さりげなく現れてフォローしてくれた。
失敗して「なんでできないの!」とは言わず、「大丈夫だよ」といつも信じて教えてくれた。
分からないところは「なんで分からないの」とは言わず、「1人で仕事しているわけじゃないからね。周りに聞けばいいよ」と丁寧に分かりやすく教えてくれた。
ありがたくて、この想いを絶対に無駄にしたくない。
一緒にいるだけで、本当に勉強になることばかりだった。
お世話になっている会社や先輩方のために恩返ししたい。
それまでのわたしは「間違えないように」「怒られないように」という意識で仕事していたけどそれは大きな間違いで「はたらく本質」ではなかったと思う。
「目の前お客さんのために何を提供できるか?」
「今よりもっと、より良くするにはどんな方法があるだろうか?」
「自分も周りのためになるにはどうしたらよいか?」
「ミスを少なくするには、どんな仕組みにすればよいか?」
を常に考えるようになった。
この考え方はM先輩に教わり、現在も仕事をするベースの考え方になっている。
数年経ち、普通に仕事をこなせるようになり、少しずつ自信を取り戻していった。
仕事に楽しさを感じるようにもなり、徐々に他の先輩や後輩、その他社員の方と自然と打ち解けていった。
自惚れではなかったら、わたしは職場の方々にとても可愛がっていただいていたと思う。
プライベートでも飲みに誘ってもらえたり、遊びに行ったりすることも増えた。
「最初は心配していたけど、元気になって良かったよ」
「いつもありがとうね」
「おまえ今日元気かー?また飲みに行こうな!」
色々なことがあったけど、喜怒哀楽、たくさんの感情を味わった人生最初の職場だった。
感謝を忘れずに、目の前の仕事に取り組んでいたら、いつの間にか毎日温かい言葉をたくさんかけていただけるようになった。
その後、退職して職場が変わっても、それぞれの職場で。
本当にありがたいことだった。
全てはM先輩のおかげだった。
*
はたらくとは、根底に「愛」があるものだと思う。
愛を持ってはたらくことで、必ず循環して人のためになっているのだ。
自分のため、人のために、社会のため、一緒に働く仲間のため…
そんな愛から仕事をしている人に、過去から今もたくさん出会えて、心震える瞬間がたくさんある。
皆、それぞれの「愛」をもってはたらいているのだな…。
わたしはM先輩から仕事を通して、たくさんの愛をいただいた。
まだまだ未熟だけど、もっと成長してわたしも「愛」のある仕事をして与えられたらいいなと思う。
仕事には、はたらくの先には、厳しい中でも優しい世界がある。
温かくて苦くて甘い、あの日のカフェラテのように…
わたしがM先輩からもらったものだ。