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「目立たちなくない」の裏側にあるもの

ここ数日頭の中で浮かんだことがある。

これまで私は「謙虚なのがいい」と当たり前のように思っていたけれど、それは「目立つのが怖い」と思っていたんだなと。

さぁ、なぜか?とクローズアップしてみると、「目立ってしまうと嫌なことが起こる」「私がうまくいくと、良きことが起こると人が離れてしまう」と決めつけていたらしい。

そういう人って、私だけではなく実は多いのかもしれない。

日本ではなぜか、謙虚こそ美徳とされている傾向にある。また、「楽をせず苦労してからこそ、厳しいことに耐えるからこそ良いことが得られる、人から認めてもらえる」みたいな。条件付きのしあわせ。

たとえ結果が出たとしても、いっときの幸福で、それからも、もっとがんばらなくてはならない……。終わりなき戦い。

過去をじっくり振り返ると、私は自分でそのパターンによくハマって、無意識に我慢して体調を崩しまくることが多かった。学生の頃から。

また、「楽しそうにしていると、休んでいると怒られる」みたいな思い込みもあることに気づいた。

さらにもっと過去をさかのぼると、親のまた親世代、多分世代的なネガティブなパターンを私も受け継いでいる感じだ。

またおもしいことに、頭では「うまくいきたい」と願いながらも、実は「うまくいくことを望んでもいない自分がいる」ということも知っている。怖いらしい。

だから、なかなか自分のことが進まない。
進めたくない、らしい。

そして、ぐるぐると同じところが抜けずに時間が経ち「今」に違和感がありつつも悩んでしまう……。

変化を避けるという、人間ならではの基本的な仕組みもあるが、さらに「なぜか?」と深掘りすると、私の場合は学生時代の経験がやはり根深く残っている。

数年前、心理カウンセリングにて、幼少期や学生時代のことにじっくりと向き合い、その影響の大きさは知っていたけれど。

あらためて、また目を向けるこの頃。

守ってくれている存在でもあるけれど、もう一度また手放したい。恐れや罪悪感をスッと手放したい。

「人に与えることも愛情なんだけど、人から受け取ることも愛情なんですよー」

数ヶ月前、ある女性がニコニコしながら話していた言葉だ。今ならわかる気がする。

人を頼ったり、助けてもらったりすることも、実は誰かのためになっている。ダメダメな自分をそのまま受け入れることは、実は誰かが輝くことにもつながるのだ。

言葉って、少し時間が経ってからじわじわと浸透することもあるからおもしろい。

悩むプロセスも、いつか誰かの役に立てるのかもしれないなとも、今は割とポジティブに受け止めている。

自分には必要だったのかもしれないな、とも。

良いことも、そうでないことも、実際に体感しないと人に深い部分までは伝えられない。実体験から学び得た気づきや言葉って、不思議と受け取る相手にもしっかり伝わるものだ。

だからこそ、そのとき必要な人にはちゃんと届く。

自分のことをじっくり向き合ったり、自分を信じて動いたりすることは、ネガティブな気持ちにもたくさん向き合うことになる。

「自分らしい道」を受け入れることは、実はとても勇気がいるし怖いこと。

数年前、うつ状態を機に働き方を変えると決断してからというもの、こういった心境は何度も何度も味わっているけれど。「やっぱり慣れないよー」ということを書いた今日のnoteだ(笑)

もしあなたも、どんよりとネガティブな気持ちになることが最近多かったなら、実は自分としっかり繋がり、生きているからこそ起こるのかもしれません。

でもなんとなく、薄暗いトンネルの中にいたような気分も、もうすぐ軽やかになるような予感もする。根拠はないけれど。

今日は春分の日。
春が来るからかもしれない。

あと数日したら、桜も咲くだろうから。

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