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ほんの何ミリ、ほんの何秒。奇跡の連続で人は生きているーーあなたが生まれてきた日

眠りにつくとき、コリスの頬や手に触れ温かさを感じる。
あったかい、生きていることを肌で感じる。
「今日まで生きてくれてありがとう」と感謝して眠る。
コリスが今生きていること、私も生きてコリスと一緒に時を過ごすことができていることに感謝する。
コリスが生きてここにいることは当たり前じゃない、たくさんの奇跡が連なって今ここにいる。私のお腹の中で10ヶ月間育ってきたコリス、いよいよ会えると思っていたその時、コリスの心拍は低下し危険な状態となってしまった。
それでも助けてくれた人たちがいたから、コリスが生きようとしてくれたから、今こうしてコリスとの時間を共に過ごすことができている。

コリスの生まれてきた日のことを話したことがある。コリスが4歳くらいの時か。「へぇそうなんだー。ママ、産んでくれてありがとう」ニコッとされた。
コリスに命を大事にしてほしい、せっかく生きて生まれることができたのだから、この人生思い切り楽しんでほしい、そんな思いでコリスが生まれてきた日のことを書いておきたい。今ならまだ鮮明に覚えているから。忘れるわけがないあの日のことを、コリスに伝えたいと思った時に自分が生きているとも限らないので悔いの残らぬように書いておきたい。
(※コリス:今年7歳になる娘です)


*

2015年9月23日13時前
生まれて初めての手術室。
前日夕方に破水して入院していた私は冷たい手術台の上に横たわっていた。
「神様仏様、誰でもいいからこの子を助けてください。ここでお別れなんて悲し過ぎます。私の命はなくなってもいいから。いや、私も生きてこの子に会いたいです。この子も私も生きたいです。
お願いします。泣いて。泣いて。」
私は心の奥底で叫んでいた。喉はかたく閉ざされ声は出ない。
人が訳もわからぬ状況で命を乞うとき、本当に神に仏に祈る。

横たわる足元の方で先生と看護師さんの話し声が聞こえてくる。
「仮死だったら・・」
仮死、死、、、”死”というワードが頭にこびりついて胸が苦しくなった。
”死”という言葉が頭に浮かんでは振り払った。悪いことを考えると、それが現実になってしまいそうで怖かった。悪いことは想像しないように、嫌なワードを頭から消し去るように振り払った。

きっと大丈夫。
私の人生ぜんぶなんとかなってきた。
これまでも色々あったけどなんとかなってここまできた。
今こんなことになってるけど、それでも大丈夫。
大丈夫な人生のはず。
絶対に赤ちゃんも私も生きる。
生きる生きる。
生きて会える。
「生きて会う。」
願いじゃない、絶対に生きて会う。決めている。決意だ。
自分にそう言い聞かせて落ち着こうとする。心臓バクバクしすぎて余計に血液漏れ出てこないか、手術の邪魔をしてしまうのではないかと心配にもなる。
祈りはいいから、私が落ち着かないと。考えることを止める。
少し心が落ち着いたと思ったら、孫の誕生を心待ちにしている両家のじいじ、ばあばの顔、そして夫の顔が浮かんできた。またバクバク心臓が高鳴る。

結婚6年目にしてようやく授かった赤ちゃんが今、私のお腹の中で死ぬか生きるかの瀬戸際にいる。もし、、死んでしまったら、、じいじばあば、夫はどれだけ悲しむだろう。私だけ生きて戻ったら、、。お腹の赤ちゃんをここで死なせるわけにはいかん。そんな悲しいことがあるか。今起きていることへの不条理に悲しみと怒りも湧いてきた。なぜだ、なぜ生まれてくる直前でこんなことに。
10ヶ月元気にお腹の中で過ごしてきたのに、生まれようとしたらさようならなんて、そんなことあってたまるか。クヨクヨするな、前をむけ、絶対生きる、わたしも赤ちゃんも生きると心に誓う。


*

今こうして手術台に横たわる10分前、私は個室のベッドで横になり看護師さんと談笑していた。その1時間前、朝になって病院にやってきた夫と談笑しながら、出産に備えて体力つけるぞーと意気込み、朝ごはんの焼サバをモリモリ食べていた。
そして前日、友人ファミリーと近所の公園でBBQをしていた。BBQから帰宅してゆっくりしていたら破水した。出産予定日より一週間前の破水だった。いよいよその時がきたか、試合前の選手のように気合を入れ、サッとシャワーを浴びて汗を流した。緊張と焦りもあってか早く病院へ行ったほうがいいと思い、頭は洗わぬままタクシーで病院へ向かった。タクシーの到着を待つ間、マンション外のベンチで実家の母が持ってきてくれた”おはぎ”を食べた。

無痛分娩を希望していたので体重が増えすぎないよう気をつけていた。毎日歩いて食事も気をつけて、臨月に入っても体重は8kg増に収まっていた。定期検診では問題なく良好と言われる妊婦生活を送っていた。

夫は立ち会い出産を希望していた。テレビでよく見る光景をやりたくて、妻の腰を押す用のテニスボールをわざわざスポーツ用品店で買ってきた。プレパパセミナーにも参加して、沐浴練習も参加した。いつでもうまれてこい!と言わんばかりに準備万端にしていた。

破水して入院した夜、子宮口は開く様子もないまま静かに朝を迎えた。
入院した夜は薄い壁で仕切られた小さな個室に入っていた。隣部屋の妊婦さんが夜中に陣痛がきて、部屋から出ていく様子を音で聞いてドキドキしていた。入院して生まれてくるまで早いな、私はいつくるんだろうと考えていた。

翌朝、朝ごはんを食べていたら、いつもは寝坊助の夫が部屋にやってきた。
「まだまだ時間かかるわよ。初産で長丁場になるだろうから、旦那さんもご飯食べておいで」そわそわしている様子の夫に、看護師さんが優しく声をかけてくれた。
夫は大好きな一蘭のラーメンを食べに行ってくると部屋を出て行った。

朝ごはんを食べて横になる。子宮口はまだ開いていないから焦らず待ちましょうと言われる。子宮口が開く感じが全くしない。私の子宮口も開くのかな、陣痛ってくるのかな、コリスとの一心同体ももう終わるのか、いろんな思いを巡らせて時間を過ごしていた。お腹に入ってるコリスと一緒にいる時間もよかったけど、お腹から出てきたらついにコリスに会えると思うと嬉しかった。
パンパンに張ったお腹に入っているコリスをさすりながら顔はニヤニヤしていた。

「赤ちゃんの心拍測りましょうね〜」
看護師長の武田さんが、はちきれんばかりに大きく膨らんだ私のお腹に心拍計をつけてくれた。武田さんは計測器の数字に目を配りながら、初産についてはなしをしてくれた。
もうすぐ会える。いよいよだな。お腹から出てくるまで、一心同体の残り時間を、じっくり味わおう。
そんなことを考えながら、わが子との出会いを目前にワクワクしていた。

次の瞬間、心拍測定器を見つめる武田さんの顔つきが変わった。
ポケットからピッチを取り出し電話をかける。
「緊急手術の手配をお願いします。麻酔科の先生をすぐに呼び出してください。」武田さんの纏う空気がさっきまでの温かなものとは明らかに違った。
武田さんは、間髪を容れずピッチで次々と電話をかけている。
どうやら何かまずいことが起きたようだ、と感じる。まだ何が起きているのかわからないまま見守る。
バタバタと廊下を小走りで近づいてくる人の気配を感じる。別の看護師さんが担架をもってやってきた。ベージュ色の布の担架だったように思う。一通りの電話を終えた武田さんがようやく私の方を見てサラッと言った。
「赤ちゃんの心拍が低下して危険な状態なので、帝王切開して赤ちゃんを取り出しますね。」
・・・・
えっ、わたし??
わたしの赤ちゃんが??うろたえて声は出ない。
「はい」と答えたかもしれない。
横になっていた体が右へ左へと順に傾けられ、気づけば体の下に担架の布がセットされていた。「いち、にい、さん」でヒョイっと担架ごと体が持ち上がり、台車のようなものにセットされた。
えええ。えっと。
あまりにも急な展開に言葉が出てこない。ただただ、なされるがまま。
なんで。なに。うそでしょ。なんで。
え、なんで。
さっきまで、ほんのさっきまで、お腹の赤ちゃん元気だったじゃない。
武田さんだって初産について笑顔で話してくれていたじゃない。
え?え?赤ちゃんが危険な状態。どういうこと?
声は出ない、心の声が自分の中に溢れ出てくる。

武田さんからサラッと放たれた「赤ちゃんが危険な状態です」の一言で胸が苦しくなり、聞きたいことはたくさんあるけど言葉が出てこなかった。武田さんの動きを見て予断を許さぬ状況であることが伝わってきた。聞いてはいけない、聞くのが怖い。聞いたところで受け止めきれないかもしれない。
無言で手際よく手術の準備を進める武田さんからは、今言えることはない・・・という空気を感じた。今私にできることは何もない。私の身体は今ここにいるプロの方々に全力で預けようと決めた。
ベッドから担架に移され天井を見つめる。ふと、一蘭のラーメンを食べに出て行った夫のことを思い出した。
「家族に連絡行きますか?」
閉じていた喉をこじ開け、小さな声を振り絞って武田さんに聞いた。
「いま、電話してください。」
武田さんはベッドに転がっていた私のスマホを手渡してくれた。
動き出す担架の上から夫に電話した。
「お腹の赤ちゃんの心拍が低下して危険な状態になったから今から帝王切開になった」
電話に出た夫に棒読みでそう告げた。泣きべそをかいていたと思うが、夫も驚くだろうからできるだけ淡々と伝えた。そのときの夫の反応は覚えていない。私と同じく、突然の連絡に事態を飲み込むのに時間を要したかもしれない。
エレベーターに乗ると同時に電話を切った。あとは病院で聞いて・・・という言葉が最後だったと思う。
上がっているのか降りているのかもわからぬ静まり返ったエレベーターの中でそっと涙が溢れてきた。頭がひと通りフル回転した後、現実を受け止めることができたように思う。
看護師さんたちは私に何も声をかけなかった。「大丈夫」「頑張ろう」といった言葉もはかった。みんなじっと前だけを向いていた。
「大丈夫」ってことはないんだとその意味を受け取っていた。
私にできることはただただ、早くお腹切ってもらって赤ちゃんを取り出してもらうこと。

*

こうしてその日、私とコリスは手術台の上にいた。

手術室につくと「いち、にい、さん」ヒョイっと担架の布ごと私たちの身体は手術台に乗った。着ていた服を全て剥いだかと思うと、上半身を持ち上げて背中を丸めた状態で下半身麻酔を打つ。これがめちゃくちゃ痛かった。硬い骨にグリグリと鉄を押し込まれるような痛さ、歯を強く食いしばって耐えた。この麻酔を打つための麻酔が欲しい・・なんてその時は一瞬思った。横たわると今度は、両足にキュッと圧のかかった靴下をはかされた。足が締め付けられている。「赤ちゃん出すためにお腹切るので、下の毛剃りますね〜」と看護師さんの声が聞こえたかと思ったら、サッサッと手際よく下の毛を剃られた。たくさんの看護師さんが、同時並行で動いていて手術の準備が整っていく。プラスチックのカップのようなものを口に装着され、お腹あたりには布の仕切りが置かれた。下半身は見えない。テレビで見たことあるやつだ。麻酔の効きを確認するためにお腹に固いものを押し付けられ「冷たいですか?」と聞かれた。氷が入った袋か保冷剤のようなものだったと思う。何も感じなかったので首を横に振った。とにかく手術の邪魔をしないように、最速でお腹を切ってもらえるよう、看護師さんたちの指示に従いできるだけ早く反応するようにした。


「始めます」先生の一声で手術が始まった。



2015年9月23日13時6分(生まれた時間〜)
「赤ちゃんでまーす」の先生のかけ声と同時に下腹部あたりをギューっと押される感覚。
「泣いて!」
ただただ、産声をあげて欲しい。それだけを願う。
数秒?少し間があったと思う。
「ふえぇーん」と足元の方で泣き声が聞こえた。
ホッとして涙が出てきた。
看護師さんが布のようなものでくるんだ赤ちゃんを私の顔の横に並べて見せてくれた。
「おめでとうございます。元気な女の子です。」

*

ふと目を開けると、手術室の天井にあるライトが見えた。すぐに瞼が落ち、次に目を開けると、また手術室の天井のライトが見えた。お医者さんの声が聞こえた。「16時○分ふるやさん起きました〜」看護師さんたちもぞろぞろと片付けを始め、わたしが乗った担架は動き出し、手術室の外に出た。コリスが産まれた後、3時間以上手術室で眠っていたようだ。一度うっすらと目を開けて天井を見た後も、また眠っていた。
担架に仰向けのまま手術室の外に出ると、わたしの顔を両親や夫が覗きこんだ。体は動かないので、目玉だけを動かして、担架を囲む母や父、義父母、夫の顔を確認してホッとした。義父さんが「よくがんばった」と言ってくれたのを覚えている。そのまま個室のベッドに移ってからは、夫や母と少し話をしていたが、吐き気がして3回吐いた。その都度、看護師さんにシーツやパジャマを取り替えてもらい申し訳ないなあと思った。下半身麻酔の副作用で吐き気がすると教えてもらった。力をつけたいと、朝ごはんの焼き鯖をモリモリ食べていたのが裏目に出てしまった。吐いて鯖の味がして吐き気がして、、という感じだった。
フッと足に力を入れて動こうとするが、下半身が岩のように重く固まっていてビクともしない動けない。切った下腹部が痛い。笑うととてつもなく痛い。
足元のベッドの足には点滴袋みたいな容器がかけられていて、よく見ると黄色の液が溜まっていた。そこから繋がるチューブを目で追ってはじめて自分の尿が溜まっている袋だと知り衝撃を受けた。コリスが生まれたことを確認したあと、間もなく私は眠ってしまった。そこで切り口を縫ったり、排尿用のチューブをつけたり、いろんな処置が施されていた。こうして人の身体は生かされていくんだなあと思った。

ベッドに寄り添っている夫にお腹にいたコリスに何が起きたのかを尋ねてみた。夫も緊急手術になった詳しい理由は知らないままだった。ラーメンを食べて車でゆっくりしている時に、私からの電話を受けて病院に駆けつけた。その時には「いまは時間がないから詳しい話しは後で」と言われ、一人ただただ待っていたそうだ。
なにわともあれコリスが生きて産まれてきた。私も生きてコリスに会うことができた。それだけでよかった。私が目を覚ますまでの間、夫や両親たちは保育器に入って手足をバタバタさせているコリスをずっと眺めていたそうだ。
ベッドの上の動かない身体で、私もコリスに会いたいなあ、見たいなあと思った。


あのとき心拍を測ってくれていたさん看護師長の武田さんが個室にやってきた。まだお腹の中にいたコリスの心拍低下に気づいてくれた命の恩人だ。

「あの子は本当にラッキーな子よ。
あなたが病院に入院していなかったら、すぐに麻酔科の先生がつかまらなかったら、あのとき心拍計をつけていなかったら、一つでも欠けていたら助からなかったわね。いろんなことが重なって命が助かったのよ。」

これまで順調だと思っていた私のお腹は、早期胎盤剥離という状態になっていた。理由はわからないが、お腹の胎盤が剥がれ、赤ちゃんに十分な酸素が届かなくなり心拍が低下する危険な状態になっていた。それを心拍を計りきた武田さんが見つけてくれた。初めて聞いた言葉をスマホでググりながら、自分もコリスも生きることができたことは奇跡だと感じた。

コリスは生きて産まれてくることができた。でもあの時死んでいたかもしれない。
私も同じく、あの時死んでいたかもしれない。
あの時、私たちは、死ぬか生きるかの境界線の上にいた。

手を尽くしてくださる看護師さんやお医者さんに助けてもらって
生きることができた。
そして、今も生きている。





母体から生きて生まれてくるのは当たり前じゃない。
今生きているのも当たり前じゃない。生きるのか死んでしまうのか、自分のお腹から出てこようとしているコリスの生命がゆらゆら揺さぶられているその瞬間、私は「泣いてくれて、声を上げてくれ」と祈ることしかできなかった。
ほんの何ミリ、ほんの何秒かの均衡を保ちながら軌跡の連続で人は生きているんだなあ。

コリスが生まれて3年くらい、小さなコリスが泣きじゃくるたびに思い出す言葉があった。あの日、手術台の上で心で叫びまくった「泣いて」という言葉。
「泣く」とは人間が生きている証だと思った。
あれだけコリスに「泣いて泣いて」とお願いしまくって、祈って、生まれてきて泣いてくれたコリスに今度は「泣くな」と言えなかった。
あの日生まれて泣いたからこそ、今笑うことができている。
泣いていい。これからもたくさん泣けばいい。生きている証だから。

人は命懸けで生まれてくる。
どんな出産も命懸けだ。
こんなに熱く語ってはくれないが私の母も命懸けで私を産んでくれた。
私も命懸けで生まれてきた。母さんありがとう。

なにか特別なことをしなくても、そこにあなたが生きているただそれだけで、奇跡だよ。いつか生命が尽きるときが必ずやってくるから、その時まではもらった生命の時間を泣いて笑って過ごしたらいいよ。

コリスと一緒に過ごせる時間は私の人生の宝物。
いいことも悪いこともある人生だけど、必ず終わりがあるからそれまでは生き続けていこうね。

あのとき心拍を測ってくれた武田さん、助けてくださった病院の皆さん、無事を祈ってくれた家族、ありがとう。
お腹の中でがんばったコリス、生まれてきてくれてありがとう。
7年間を一緒に過ごしてくれてありがとう。






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