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【680球目】こんな会社にしたい

10年前の経営計画書を見返していると、こんな会社にしたい!という想いを記載していました。

第35期経営計画書の一部

今日はこれについてのお話です。


自立した社員が・・・

自立した社員が自分の考えを持って能動的に動き、やりがいを感じながら仕事をする会社。こんな記載をしています。

リーマンショックの後、誰に言われた訳でもなく、危機感だけを感じて営業エリアを広げていきました。それまでの高砂~明石~神戸市西区という限られた範囲から、兵庫県内全域が営業エリアへと変わっていきました。
全域と言っても北は加東市までですので、兵庫県の中部から南部までです。
今では、本当に全域になっています。

やりながら、数多くの失敗=良い経験をして来ました。
やりながら、色んなことを考えていました。35期はまだ生産推進グループが誕生する前です。一般的な派遣事業を行っている中においても、自身が考えて行動する、能動的に動くことで成果を出せば、それが喜びややりがいに直結すると考えて、こういう表現になっています。

そもそも、私自身が強制されるのが嫌いという面も大きく影響しています。

お客様に・・・

お客様に価値を提供できる会社。
この時は、まだ生産推進グループがありません。一般的な派遣を行いながら、お客様に価値を提供したいという想いを持っていました。具体的にどの様な価値を提供していくのか。やったことがないことをやる、他の人がやらないことをやる、そんな想いが強かった気がします。

九州のとある県で、誰もがやらない支払単価を設定したことがあります。
当時、とてつもなく人が集まり一気に在籍人数は伸びていきました。その反面、毎月の収支は見たくないほど悪かったです。ほとんど利益が出ない状況でした。しかし、九州に進出して間もなかったことと、まずは売上を立てないと前に進めない、最初から利益が確定するという派遣事業の当たり前に対しての挑戦という意味もありました。

今となっては大成功です。その時のその動きがあったからこそ、今の三陽工業が存在しています。生産推進グループが出来てからは、お客様に提供する価値も変化してきています。お客様にも三陽ファンになって頂くために、試行錯誤しながらシンカを進めています。

社員が周りに・・・

社員が周りに自慢できる会社(周りからいいなと言われる会社)
これも、その時には全く実現出来ていなかったことです。もちろん、まだまだこれからですが。

当時、三陽工業とネットで検索しても当社は出てきませんでした。他の三陽工業しか出てこず、4ページ目や5ページ目にいかないと三陽工業のホームページは出てこない状況でした。三陽工業 明石と検索すると、やっと1ページ目に出てくるような状況でした。今、三陽工業と検索するとトップに出てきます。トップに出てこずとも、上位には表示されています。

自慢できる会社。
人によってポイントは違うと思います。三陽工業は日本の製造現場を元気にする会社である。このビジョンに共感してくれる人、そういった仲間が増えていくことによって、そのビジョン達成に近づいていきます。

現在のZADANのテーマでもある、三陽ファンを増やすことにも繋がっていますね。漠然と考えていたものが、少しずつ形になって来ている感覚です。そして、それはもっともっと鮮明にしていく必要があります。

最後に

10年ひと昔とはよく言ったものです。10年前に考えていたこと、取っていた行動、自身の事ですので鮮明に記憶しています。こういった文書やgambaの昔の記載を見返すと、その時にどういった考えや感情だったのかはつい最近の様に思い出します。

漠然と考えて言葉にすることも時には必要だと考えています。突拍子も無いようなことでもそれを言い続けていると、思考と行動がそこに寄ってきます。結果として、漠然と考えていたことでも実現してくる。それが漠然と考えるのではなく、強烈に考えて強く想えば実現に近づいてくるのは当然のことです。

日本の製造現場を元気にする。
強く想っています。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。


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