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やれることをやる。しばられない!

20年前、新採が集められて言われたことは、
24時間、教員であれ
朝は、早く来て、校門周り、玄関周りの掃除をやれ
全ての机を拭き、トイレ掃除をして、お茶を入れろでした。

そのため、私は、新任校では朝6時に出勤してました。素直に、そうしようと思っていたので、嫌だとか、マイナスの気持ちはありませんでした。
17時以降も、教材研究や教育論文を書くのが楽しくて、学校に泊まることもありました。

そのうち、自分なりに仕事の進め方、教材研究のやり方、論文の書き方が解るようになり、17時までに仕事を終わらせ、大学や大学院に通ったり、好きなことをして過ごすようになりました。

休職の原因になった、粘着質で、暴言、暴力をふるう同僚に会うまでは、学年主任をしたり、実習生の指導教官をしたりして、過ごしていました。
校長からは、校務分掌に関して校長室に呼ばれ、学校の今後に対して、必要な事を共有して、学校のために動いていました。とても楽しかった。

でも、取り組みを提案したり、そのために準備をしたりしていると、必ず、どこからともなく彼女が来て、言われのない事でどなったり、なじったり、バカにしたり、、

人生で何の脈絡もなく、急にどなられたり、なじられたり、バカにされたりしたことがなかった私は、何がなんだか理解ができませんでした。
(中高、運動部で、きつい練習や、試合結果に対しての叱咤激励はありましたし、時代的に中学時代は、先生が竹刀を持って歩いていた時なので、ある程度、メンタルは強いです。)

そのうち、次はいつ、どこで、何を言われるのか、暴力なのか暴言なのか予測不可能で、いつも構えていないといけなくなりました。

それに加え、、、

校長は、何も動いてくれませんでした。


校長の還暦の誕生日には、飲み会をひらき、バラを準備して、職員一人ひとり、お祝いを言いながら、バラを渡し、最後に花束をつくる演出も考え、楽しい飲み会を企画、実行したのに、
それに対して、色々難癖をつけ、何も手伝わず、結局参加し、参加後に文句を行ってきた、パワハラ彼女の方には、何の指導もしない。(校長曰く、指導すると、面倒なことになるから、しない。通じない。)

校長の一言は、
「あなたが、しばらく学校を休んで。」
でした。



じゃあ、今は、、、
やれることは、やります!
やるべきことは、やります!


「学校とかわいい子どもたちのために!」

ただ、自分の仕事じゃないことを押し付けられてるな、と、思ったら、
「確認ですが、これは、私の担当ですか?」
と、必ず一言聞きます。

それは、自分を大切にする事につながるからだと思うからです。

すると、相手は、
「じゃあ、いいよ、他の人に頼むから。」

「本来担当ではないけど、よければ、手伝ってくれませんか?」
と、何かしらの反応があります。

「じゃあ、いいよ」なら、やらない。
「手伝って」なら、手伝うか、手伝わないか、その時の本来自分がやるべき仕事の状況に応じて決める。「全て手伝えない」なら、「手伝える範囲で手伝う」提案をする。

そうやって、自分が決定していく。
そうすることで、仕事中も、
自分の心を守ることになると思います。

復職して、7年目の今!実行していることです。

この文章が誰かの役に立つといいです。


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