なぜAI時代に「読解力」が重要か。AIができないこと? #加筆修正する


はじめに


私たちの目に見えない所で、AIが活躍するようになりました。相場のトレードの多くはAIによるアルゴリズムが動いていると言われていますし、SNSなどにおける広告のマーケティングにもAIが使われているようです。Twitterは誹謗中傷対策の一環としてAIを使用すると明らかにしています。


AIでできるようになってきた細かな具体例を列挙すると、チャットボットや画像識別、不明瞭な画像の解像度を上げること、白黒写真をカラーにすること、機械の不具合の検知や原因分析、医療の診断、翻訳・通訳、囲碁将棋の分析、などです。


人間の労働力が機械に取って替えられたのと同様に、労働市場における「人間の頭脳」が、AIに置き換わろうとしているのです。あらゆる思考が人間を凌駕するシンギュラリティーは、我々の気づかないところで確実に迫っているのです。


そんな中で、「読解力」の重要さが近年注目を集めています。AIにできないことの代表例として「読解力」というのが挙げられるのです。


では、なぜAI時代に「読解力」がそれほど重要なのでしょうか。また、そもそもAIが苦手なこととはどのようなことなのか。みていきましょう。


AIとは?機械学習と深層学習について


一般的に、AI(人工知能)とは機械学習と深層学習をする仕組みのことを指します。


機械学習とは、人間の指令によって大量のデータの法則性を見出すような学習方法のことを言います。

一方、深層学習とは、人間の指令に関わらずにデータの分類分けや法則性を見出していく学習のことを言います。

例えば、大量の自然風景画像を読み込ませ、動物を含むものと含まないものを峻別させるという学習を想定します。機械学習は、人間が「こういうものが動物ですよ」と教え、そのような特徴を捉えたうえで仕分けをする、ということになります。深層学習とは、「これが動物です」という例を与えて、それにそって、動物かどうかの判断を行い、間違っていたら間違っていた要素を抜き出してまた判断を行っていく、という繰り返しによって、制度を上げていくということに特徴があります。深層学習は、何度もそして何十二も間違いを探していき制度を深めていくということから「深層」といわれるのです。


AIは、大量のデータの法則性や分類分けに関して人間の知能を凌駕して発達しているため、「人工知能」という呼ばれ方をするのです。


AIができないことを知るには、まず得意なことを考える。


筆者は、将来的にAIは、「思考」に関する全ての分野で、人間を上回る(シンギュラリティ)と考えています。

しかし、だからといって、すぐに(数年、十数年以内)に「AI>人間」になるとは思いません。

現状では、AIにも苦手な分野があり、しばらくは、人間以上の「思考力」を持てない分野というのもあると思います。

さらに人間の存在意義という根源的なことを考えると、例えば、AIに「人間に似た感情」を持たせることはできるとは思いますが、どのような「感情」を「善い感情」とするかの価値判断は、生きとし生ける人間がするしかないです。なぜなら、生きる主体としての人間の存在意義は、自分の判断を自分で行うというところにあるからです。AIが「判断」を促したり手助けしたりすることはあるとは思いますが、どのような生き方によろこびを感じるか、ということは我々自身が考えることだと思うのです。もし、それでさえAIに判断をしてもらうことをよしとしてしまえば、人間の存在意義はなくなると考えていいと思います。


人間の存在意義の話が長くなりましたが、「AIの苦手分野」を克服し、人間の判断にまで大きな影響を及ぼすにはまだ時間がかかると思います。


苦手分野を知るためには、得意分野を知る必要があります。数学のテストの点数が平均点以下だったとしても、英語や社会がそれ以上に悪い結果の場合は、数学が苦手分野だとはいえないということです。


では、AIができないこと、苦手分野とは?


では、AIができないことや苦手分野とは何でしょうか。

こちらの記事を参考にしました。


答えが明確に決まっているものに関しては、AI・人工知能サービスのほうが圧倒的に得意です。しかし、明確な答えが存在しない創造的な作業などは、我々人間の方が得意な分野といえるため、その「人間の長所」を伸ばしながらAI・人工知能を活用していくことが重要になるのです。 https://ai-products.net/2686/what-ai-can-not-do/


「答えが明確にあるもの」は得意。


上の記事が指摘するように「美しい」というものに答えはないです。何を美しいと思うかどうかは、確かに美しいと多くの人に共有されているものは多くありますが、それでも「何を美しいと思うか」というのは、かなり人によります。

また、「正・不正」というのも答えがでにくいものだと思います。割と答えが出る場合として「裁判」が考えられるが、それでも控訴や上告でさらに決定を覆そうということはよくあることで、必ずしも正しい答えがあるとは言い切れない部分があります。もっといえば、おばあちゃんに席を譲るべきかとか、差別是正のためにマイノリティー人種を優遇する制度を作るべきかとか、家庭におけるゲームのプレイ時間目安を決めるべきかとか。人それぞれに善悪の捉え方は違っていて、それに対してAIが答えを出す、というのは難しそうです。

さらに「思考」以外のことについては、AIでは対応できません。「動作」「価値判断」「愛情」「ぬくもり」「居場所」「感動の共有」など、これらはAIでサポートはできても、AIが主体として直接これらのことをすることはできません。「思考」ではないからです。


AIが苦手なことできないことをまとめると、「美」、「正・不正の判断」はAIの苦手分野で、「動作」「価値判断」「愛情」「ぬくもり」「居場所」「感動の共有」など「思考」以外のことは、AIが直接できる訳ではないということです。


なぜ、「読解力」が重要か。


この記事の本題はここからです。


なぜ、シンギュラリティーの進むAI時代に、「読解力」が重要なのか。


端的に言えば、AIが答えを判定したものをどう解釈するか、あるいはそれに基づきどのような価値判断をするかは、人間の「読解力」にかかっているのです。


まず、そもそもAIは「意味」を理解するのは苦手だとされています。ある事象の「意味」というのは明確な答えがあるように思います。しかし、実は人によってとり方が異なる場合が非常に多いのです。

例えば、誰かが「私はスプーンが欲しい」といったとして、その人が、今すぐにスプーンが欲しいのか、デザインの優れたスプーンが欲しいのか、スプーン曲げの練習のためにスプーンが欲しいのか、背中を掻くために欲しいのか、そのような意味を正確に捉えることというのは実は非常に難しいし、答えはないとも言えます。

他にも、例えば、「リンゴが木から落ちた」という事実の意味というのは、人によって捉え方が違う訳で、AIがその意味をどう捉えるかというのは難しい訳です。


「読解力」とは広義には、「意味を理解する」ということを意味します。


狭義には「文章を読んでその内容を理解すること」ですが、広義には、他人がどういう感情を抱いているかや事実にどのような意義を見出すか、ある事象にどのような価値を見出すか、という意味合いもあります。(もちろん、これは恣意的な捉え方ではありますが、筆者はそのように捉えます。定義の恣意性についてはこちらの記事で言及しました。https://note.com/sanpitaron/n/n1ddd1a875877)


もちろん、狭義の意味での「読解力」も非常に重要です。AIが人間の思考を上回っても、そのAIの思考をどう理解するかというのは重要なスキルです。また、そのようなスキルなしには、知的労働とされている仕事には携われないと思います。ちなみに、単純作業は機械でやるよりも人間がやった方が経費が安く済むため、人間の肉体労働というのはなくなっていませんし、今後も極端に減ることはないと思います。一方で、知的労働も「読解力」や「思考力(読解力を基礎とする)」がなければできません。残された労働分野というのは、人間の相手をするという分野です(接客、介護、育児など)。ブルーカラーとホワイトカラーという「くくり」がありますが、それに加えて、「人間を相手にする分野」というのも「くくり」に加えていいかと思います。肉体労働か知的労働かという軸に、人間を相手にするか否かという軸を加えた「労働の分類分け」が今後、有効になると思います。


申し訳ないですが、この辺りで、休憩させて下さい。後日、加筆修正したいと思います。続きが気になる方は「スキ」ボタンを押してください!


まとめ


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