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ふしあわせトムはなぜ

しあわせジョン という漫画を知っていますか。

私はつい先日、知りました。
知人がやっているカフェにこの漫画(ちなみに自費出版なのですが)が置いてあり
お茶をいただきながら、あまりに素敵な音楽を聴きながら、この漫画を読みました。

さて、この作中に"ふしあわせ(伏合)トム"というキャラクターがいます。
トムは、主役でいつもやけにご機嫌なしあわせジョン にトムちゃんと呼ばれ、マイペースなジョンにいつも弄ばれている、厭世がちなようでなにかといって真面目なサラリーマンをしているアル中の猫です。猫ちゃんなんです。

私はこのトムちゃんが何とも好きで、とても味わい深いキャラクターだなぁと思っています。
この物語の中で一番、現実世界の人間としては親しみやすい味のあるキャラクターなんじゃないかと思います。

「私の身の回りはこんな人たちばっかりだなぁ」となんとなく、最初にこれを読んだときに彼について思ったけど、実際にはこんなに真面目なサラリーマンの人はあまりおらず
じゃあ何に対してこんな人たちばっかりだと思ったんだろう、と考えたら

今日ふと思い出すように、トムちゃんは私があまり好きでない、自分の父に似ているということに気づきました。

私は、父の、お酒に浸りがちなところや、酔った勢いで何か物事を大きく言うところ、それこそ厭世がちな言葉を垂れ流すばかりのところ、何時間も家族に説法をし始めるところ、などが、あまり好きではありませんでした。
というか、はっきり言って嫌いでした。

家族であるという情感を抜いて他人として言えば、
優秀だがあまり話をしたくない苦手な上司
という認識が私にとっての父の存在です。

トムちゃんは私の父によく似ていると思います。
でもどうして私は、トムちゃんをかわいいと思っているのか、
そう私は、トムちゃんをかわいいなあと思っている。

でもかわいいなあと思っているトムちゃんの部分は、父になんだか似ているような気がするけど、私はトムちゃんに対してはあまり嫌悪感を抱かない。それは単純に血縁者であるかどうかというところだけでなく、何か違うところに要因があるとなんとなく感覚的に思っていました。

せっかくなので言語化できるまで考えてみようと思ったところ
まず1つ、トムちゃんは猫である、
というところはなんとなく理由として大きい気がする。トムちゃんがギリギリ猫の形をしているので、何とかギリギリ、可愛らしく思えるのかもしれない。

でもそれだけでは、嫌悪感を洗い落とすのには理由として弱い。それぐらい私の父に対する、特にアルコールに浸る父に対する嫌悪感というのは、なかなかのものであって、
その父の姿が嫌なあまり、私自身もお酒は好きな気はしていたけど、あまり積極的にポジティブに酔っ払いたいと思うことはなかった。

(結局最近は全〜くそうではなくズブズブに酒浸りなのですが)父に似ている自分が酒に浸るとどうなるのか、なんとなくその姿を想像できてしまい、それを避けるように飲酒自体もなんとなく避けることが多かった。
それぐらい、私にとってアルコールに逃げる父の弱さというのは醜いものでした。

私がトムちゃんに嫌悪感を抱かないのは、トムちゃんがアルコールに逃げたとしても、それによって何か言えないことを言ったり暴力を振るったり、
何より、責任のない愛情表現をしたりしないところが、トムちゃんを醜く思わない理由の根幹なんじゃないだろうか、と考えてみて気づいた。

お酒に奮われる暴力というのはもちろん、許されてはいけないし、人をひどく傷付ける、間違いなく醜いものなのですが
(補足すると私の父は数えられるほどしか人に手をあげることはない人だったからその点は良かった。ただし物にはよく当たった。)

その一方で、お酒の力にかまけた愛情表現というのも、それはそれで大変醜く、人を傷つけるものだと私は思っています。少なくとも、私はそう感じました。
お酒の力を借りないと伝えられない愛情表現というのは、人として、特に親として、あまりにも弱いんじゃないかなと、子供ながらにすごく傷ついたのを覚えています。
大事なところで、自分の弱さを大事な人に押し付けないように、家族じゃない関係においてもアルコールの使い方はよく解って欲しいと、強く思う事柄です。

ここ2,3日、その知人のカフェで体験した良い時間などなど大変嬉しいことがたくさん有ったと思っている一方、なんだか体調がすこぶる悪くて
意識していなかったなりに、言語化できていなかったなりに、トムちゃんについて自分の中でささくれに痛く引っかかるものがあったんじゃないかと、ここまで考えて思いました。

大事な人はそのまま大事にしたいね。難しいけどね。

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