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精神病棟の闇を暴く"なりすまし" 患者【映画『アイ・アム・ノーマル』作品解説】

正常な人間を精神病棟に送り込んだらどうなるのか?

そんな挑戦的すぎる実験、通称「ローゼンハン実験」からインスパイアされたという映画『アイ・アム・ノーマル』。

衝撃のラストが表していたものとは一体なんだったのか…

ローゼンハン実験とともに、その映画の様々な謎を紐解いていきます。


〈作品時間〉19:46
〈監督〉Olia Oparina
〈あらすじ〉「至って正常な人間を精神病棟に送り込んだらどうなるか?」精神病棟の正当性を調査するために行われた「ローゼンハンの実験」に基づいた物語。精神病棟の存在に疑問を持った女性が実際に病棟に乗り込み、世間にその実態を公表しようとするも、思わぬ展開が待ち受けていた...

***


ローゼンハン実験とは

映画の大きなテーマとなっている「ローゼンハン実験」とは、1973年、
スタンフォード大学のダニエル・ローゼンハン博士によって実施された実験で、ボランティアで募った健常者8名(ローゼンハンも含む)を精神病棟に送りこみ、医師が見分けることができるのかを観察するというものです。

この8名は、「『ドスン』という音が聞こえる」などの偽の症状を医師に伝え、氏名と職業を偽る以外は、精神科医からの質問に全て正直に答えるようにとされました。

しかし、この幻聴症状だけで、参加者たちは統合失調症などの重い精神疾患があると判断され、見事に全員入院することとなったのです。
8人の入院日数は平均19日間、最長で52日だったといいます。

このローゼンハン実験は、「精神疾患の判断基準が非常に曖昧で、医師たちでさえもよく理解できていなかった」という非常に恐ろしい実態を明らかにしました。

当時、精神科に入院すれば市民権を最長30日間も停止させられたほか、電気ショック療法などの拷問のような治療も行われたため、この実験結果は精神医学会のみならず、米国中を震撼させたのです。

こうした動きを受けて、診断基準は大きく変更。今ではようやく精度の高いものになってきているのだそうです。



気づかれることのなかった偽患者たち

劇中でも描かれていたように、入院中、実験の参加者たちはごく普通の行動をし、症状の改善も訴えましたが、聞き入ってもらえることは滅多になかったといいます。

他の患者と同じように薬を飲まされ、ローゼンハンがメモを取っていても、その行動までもが精神疾患の兆候であるとされました。

こうした状況から、精神科医たちが、いかに主観的かつ恣意的に診断の判断を下していたかがわかるかと思います。

ローゼンハンはこれらの実験結果を通して、「精神病院内において人間のラベリング(決めつけ、偏見)、および人間性を損なう危険性が存在する」と結論づけました。

つまり、精神病棟に入ったことで、より状態が悪化する危険性があったということなのです。 

一方で、他の入院患者たちからは、8人全員が「あなたは、本当は病気じゃないでしょ?」と言われ、ローゼンハンにいたっては、「あなたはたぶん教授かジャーナリストで、病院について調べてるんでしょ?」と言われたのだそうです。

彼らがどうやって退院できたのか詳細にはわかりませんが、8人の退院理由は「精神障害の寛解」とされ、嘘が見破られたのでもなく、また、完全に治癒したとされたのでもありませんでした。



主人公はキーラ?カーラ?

さて、主人公の女性は、名前を「カーラ」と呼ばれていたり「キーラ」と呼ばれていたりとよく分からないことになっていましたが、「名前と職業以外は嘘をつかなくてよい」と言われていたことから、彼女の本名がキーラで、カーラというのは実験のための偽名だと考えられます。

そのため、ローゼンハン教授や、終盤に登場した婚約者と思われる男性からは、「キーラ」と呼ばれていましたね。

また、彼女の腕のタトゥーに刻まれていた「ニーナ」という人物ですが、キーラのセリフから、おそらく彼女の元親友で、かつてこの病棟に入院し、命を絶ったものであると考えられます。

キーラが今回この実験に応募したのも、きっと、「うつ病で自殺」したとされているニーナの、亡くなった真相を突き止めるためでもあったのかもしれません。



ナンシーという人物とは誰だったのか

また、同じ病棟にいたナンシーという謎の人物ですが、おそらく彼女は、「誰か」にニーナを重ね合わせた、実在しないキーラの想像上の友達であると考えられます。

水槽を割ってしまったシーンでもキーラひとりしか捕まらなかったことや、亡くなってしまった「ニーナ」と全く同じ赤いコートをナンシーがきていたこと、そして、ラストシーンでナンシーの姿が見えなかったことからもわかるかと思います…。

おそらくキーラは、かつてニーナを救えなかったという後悔から、”ナンシー”を作り出してしまったのかもしれませんね。

金魚の水槽を割ったのも、自ら命を絶ってしまったニーナを暗示しているようでもありました。

ちなみに、終盤で登場した、暴れて取り押さえられていた女性ですが、手首に切り傷があり、前のシーンで "ナンシー" が割れた水槽のガラス破片をこっそり持ち出していたことから、彼女は本当の"ナンシー" の姿であるようにも考えられます…。



彼女は元から精神疾患だった?!

ですが、キーラは元から精神疾患があったわけではありません。

はじめの教授との面接でも言われていたように、彼女に精神疾患がないのは明らかでしたし、医師に統合失調症があると診断されたのも、当時の不適切な診断基準ゆえの曖昧な判断でした。

しかし、キーラはまるで本当に精神病患者であるかのような扱いを受け、貶められたことによって、その植え付けられた人間像に自らなってしまったのです。

”ナンシー”という存在は、なんでもなかった彼女が、精神病棟での生活を通して精神に異常をきたしてしまったことを、はっきりと表しています。

特別な目で見られ、特別に扱われることによって、自分自身も自身のことをそのように見てしまう。

だからこそ、人のことを簡単に判断してはいけないということを、この映画は伝えています。


今もまだ残る精神病棟の恐ろしさ

この映画のもう一つの見どころは、1970年代を思わせるどこかノスタルジックな映像の雰囲気です。

今作の撮影監督を務めていたハリナ・ハッチンス氏は、別の作品の撮影現場で、小道具の誤射により亡くなられました。

世界観にグッと引き込まれる彼女の映像をもう見ることができないのは、本当に悲しいですね。

この美しい映像と病院内のリアルな描写が、キーラから人間性を奪った、精神病棟の恐ろしい実態を私たちに見せてくれています。

ローゼンハン実験を機に、精神医療の世界は少しずつ見直されることが多くなっていったそうですが、精神疾患に対する認識は、まだまだ差別的なものも残っています。

そして、このキーラの物語は、いまだにほぼ世界一レベルの精神病床数を誇る日本にとって、決して昔話ではないようです…。


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