鬼瓦席(京都 高台寺)


「鬼瓦席(おにがわらのせき)」

京都の高台寺にある茶室。

境内の方丈、書院の背後に位置し、遺芳庵とは露地を隔てて向かい合うようにして建っています。

江戸初期の豪商・灰屋紹益(じょうえき・1610~1691年)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)遺愛の茶室と伝えられます。

この茶室はもとは遺芳庵(※紹益の妻・吉野太夫(1606~1643年)遺愛の席と伝わる)と同じく、紹益邸内にあったそうです。

その後、千家十職の駒澤利斎が所有していたこの茶室を、明治41(1908)年に京都の美術商・土橋嘉兵衛が譲り受け、高台寺に移築したそうです。

もとは妻面に楽焼の鬼瓦が掲げられていたので、「鬼瓦席」と名付けられたそうで、その鬼瓦は今は点前座勝手付の壁面に掛けられています。楽家四代・一入の作と伝えられています。

内部は四畳半で、躙口正面の位置に台目床を構えています。床の横には付書院が設けられ、明り窓には障子を引違いに立て、下は地袋としており板戸を建てています。

同じ面の壁面には三枚障子の貴人口があいており、やや腰が高めの障子が用いられています。

客側の入口として躙口があり、その上には下地窓があいています。

亭主側の入口には火灯口形式の襖と二枚襖の勝手口が設けられ、茶室というより居間や客間のような意匠となっています。

点前座には上記の鬼瓦が掛けられ、入隅は楊枝柱としています。

天井の構成などは利休流の草庵風な四畳半を基調にしつつも、付書院を設けることで書院的な格式をもたらしています。

掲げられた鬼瓦や三枚障子の貴人口など他では見られない特色ある席となっており、今も高台寺に現存しています。定期的に茶会が開かれているそうです。

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