猿面茶席(古田織部の元国宝茶室)

画像1

「猿面茶席(さるめんちゃせき)」

利休の弟子で、利休の死後は徳川家の茶道指南役となった、古田織部(1544-1615年)の意匠と伝わる茶室。

家康の城・名古屋城築城の際に、清洲城(信長の城)の古材を利用して建築されたそうです。

信長が清洲城にいた頃、枝を払った節目が二つある柱がありました。それを見た信長は秀吉に向かい、「汝の面のようだ」と戯れたそうです。

その柱が床の間の柱(床柱)に使われていることから、いつしか「猿面」と呼ばれるようになったのがこの茶席の由来です。

内部は四畳半台目の構成で、点前座には中柱と袖壁が立つ台目構えです。入口は貴人口と躙口の二つで格調高く、全壁面に窓が設けられています。天井にも突上げ窓があり、意匠的な要素として窓を多く用いた織部らしい茶室となっております。

と、ここまで紹介してきた猿面茶席ですが、残念ながら第二次世界大戦の戦火で焼失しました。

名古屋城本丸につくられたこの茶室は、織部死後の1620年二之丸に移築され、そこで明治維新を迎えます。

1929年(昭和4)に市内の鶴舞公園に移築され、1937年(昭和12)には国宝に指定されます。(現在の国宝(1950年〜)の前身(旧国宝)で、待庵如庵と並び日本三席と呼ばれたそうです)

ですが、残念ながら焼失。焼失前の図面をもとに1949年(昭和24)に名古屋城内に再建されたのが現在の猿面茶席です。(ホントに猿の顔のような床柱は見事に再現されていますが、躙口の位置は千家流に移されています)

また、同じく市内の徳川美術館にも一部を除き復原されています。

歴史を振り返る上でとても大切な要素を多数含んだ、文字どおりの名茶席です。

(イメージ図↓)

(国宝・重文の茶室をまとめています↓)

・・

▼茶室建築のおすすめ本一覧です!↓


最後までお読み頂きありがとうございました🍵 記事にスキ(♡)を押すと、「茶室建築のおすすめ本」を紹介します(&励みになります❤)