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2024年2月の記事一覧
鬼瓦席(京都 高台寺)
「鬼瓦席(おにがわらのせき)」
京都の高台寺にある茶室。
境内の方丈、書院の背後に位置し、遺芳庵とは露地を隔てて向かい合うようにして建っています。
江戸初期の豪商・灰屋紹益(じょうえき・1610~1691年)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)遺愛の茶室と伝えられます。
この茶室はもとは遺芳庵(※紹益の妻・吉野太夫(1606~1643年)遺愛の席と伝わる)と同じ
遺芳庵(京都 高台寺)
「遺芳庵(いほうあん)」
京都の高台寺にある茶室。
江戸時代前期の芸妓で、灰屋紹益(じょうえき)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)の妻であった吉野太夫遺愛の席とも、紹益が太夫を偲んでつくった席とも伝えられています。
境内の方丈、書院の背後に位置し、同じく紹益遺愛の席とされる鬼瓦席と露地を隔てて向かい合うように建っています。
元は鬼瓦席とともに紹益邸内にあったも
松関軒(京都南禅寺 天授庵)
「松関軒(しょうかんけん)」
京都南禅寺の塔頭・天授庵にある茶室。
明治35(1902)年、壇家の福本超雲氏の寄付により建立されたそうです。
千利休唯一の遺構とされる妙喜庵の待庵(国宝)写しの二畳隅炉となっています。
躙口や床の大きさなど各所の寸法、落掛の床柱近くの皮目や方立のはつり目など、待庵の姿をよく写しているそうです。
一方で、炉の大きさは一尺四寸角(約42.5cm)に改められてお
燕舞軒(京都建仁寺 大中院)
「燕舞軒(えんぶけん)」
京都建仁寺の塔頭・大中院にある茶室。
大中院の書院の西側に位置し、宝暦年間(1751~64年)頃の住職・白堂笠津(はくどうりつしん)が表千家七代・如心斎天然について茶を学んだ頃に造営されたものとされています。
はじめは四畳半に炉を切っただけであったそうですが、後に現状の形に改造されたようです。
内部は三畳中板入りで炉は向切り。西から東へと点前座一畳・中板・客座一畳