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京都にある茶室

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守るべき文化財の宝庫、京都に現存する茶室を集めました!
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2024年1月の記事一覧

看雲席(京都南禅寺 慈氏院)

「看雲席(かんうんせき)」

京都南禅寺の塔頭・慈氏院にある茶室。

もとは南禅寺下河原町の塚本貞二郎邸にあったものを、昭和6(1931)年に現在地へと移築したそうです。

内部は二畳二台目中板入の席で、全体四畳の広さとなります。床前に台目二畳と丸畳一畳の客座、台目二畳に中板を挟んで点前座の一畳があり、下座床となります。

点前座には中柱を立てて壁留めに引竹を入れて下方を吹抜きの台目構え。客付には

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集芳軒(京都慈照寺 銀閣寺)

「集芳軒(しゅうほうけん)」

京都の慈照寺(銀閣寺)にある茶室。

お寺の庫裏(くり)再建とともに安政年間(1854~60年)に、庫裏の東部に建てられたと伝えられ、平成5(1993)年に書院の東に移築されたのが現在のものだそうです。

内部は全体四畳半のうち、角の半畳を踏込床の枡床の形式としています。点前座は床柱に袖壁を付けて中柱を立てた、台目構えとなります。

床の間からは床脇、点前座からは風

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国宝茶室 待庵(京都妙喜庵)

「待庵(たいあん)」

京都府大山崎町の妙喜庵にある茶室。

待庵は現存する最古の小間席であり、多数の茶室遺構の中でも類を見ない古い手法や部材を留めています。

江戸時代以来、侘び数寄の大成者・千利休の唯一の遺構と伝えられ、天正10(1582)年に豊臣秀吉が明智光秀と戦った山崎合戦の際、秀吉が利休に命じて造らせた茶室であるともされています。

書院との接続状況から現地で建造されたものではなく、別の

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半桂席(堀内家の茶室)

「半桂席(はんけいのせき)」

京都の堀内家にある茶室。

五代・不識斎が晩年に長生庵の背後に建てたと伝えられます。明治25(1892)年に再建されたそうです。

内部は一畳台目向板入りで、点前座は向切りの逆勝手席となっています。

腰張りは反古(ほご)張り、畳は琉球表の縁無のものが敷かれ、侘びに徹した茶席となっています(※資料だと縁ありの琉球表を使用しているものもありました)。

風炉先には下地

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松向軒(京都大徳寺 高桐院)

「松向軒(しょうこうけん)」

京都大徳寺の高桐院にある茶室。

戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲にも数えられる細川三斎の好みと伝えられます。

三斎は、七哲の中でも利休の茶を最も忠実に継承したとされています。

その時代の茶人が多数参加した豊臣秀吉主催の「北野大茶会」において、三斎は影向(ようごう)の松のそばに茶室をつくったそうです。

その茶室は茶会後、移築されたと伝えられま

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清漣亭(京都 等持院)

「清漣亭(せいれんてい)」

京都の等持院にある茶室。

同寺の西の庭、池を見下ろす小高い場所に、衣笠山を背負った位置に建ちます。

この清漣亭と水屋をはさんで四畳半という構成で、江戸時代頃のものとされています。一部では足利義政好みともされていますが、部材的には難しく、義政公が同寺を修復したことからそのように伝わったものと考えられます。

内部は長四畳、一畳が上段で、上段の西側には板床(約1/4畳

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長生庵(堀内家の茶室)

「長生庵(ちょうせいあん)」

京都の堀内家を代表する茶室。

堀内家は代々表千家の宗匠を務める茶家で、久田家とともに、表千家内で重要な位置を占めています。

長生庵は初代仙鶴(1675~1748年)の好みとされています。元治元年(1864年)蛤御門の変の兵火で焼失後、明治2(1869)年旧規を元に忠実に再建されたそうです。

内部は二畳台目で、躙口の正面に下座床を構えています。

点前座は炉を台

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