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3歳と対等に喧嘩する50代
一応わたくしめは、バプテスマ死ぬ気で回避した伝道者落ちのJW2世なので、「もう断絶したいです。会衆の人に道端で会っても相手の方から足の塵払ってどっか行って欲しいです。」と長老に言っても「バプテスマ受けてない人は無理ですね!」というアンサーを貰っている為、忌避はされていない。
未だに地元の会衆の姉妹たちから実母経由で手紙が来たり(そろそろ……記念式の季節ですね……今年も来るかな……)。
孫は可愛くて
ピザちゃんとその家族の話
私の地元の会衆にはクセ強芸人ならぬクセ強エホバの証人がゴロゴロ転がっていた。
犬も歩けば棒に当たる、さくらも歩けばクセ強JWに絡まれる。
ただ、笑い話にすると自分の当時悲しかった(当社比)出来事も面白く昇華できるかな?と思うので今月はその独特な兄弟や姉妹やその2世の子供たちや研究生(もう離れてしまったので今も研究生か進歩してバプテスマ受けてるかは知らないので、あくまで当時の立場で)ほんの少ししか
鞭の話(中学生)ただし、閲覧注意
人並みには羞恥心が私にはある。
ショッピングモールのトイレに入ってる時にベビーキープに座らせておいた下の子が個室の鍵を勝手に開けてしまって「きゃー!」くらいの羞恥心はある。
ただ、私は人前で脱げる。
銭湯とかそういう場所という訳ではなく、知らん人の前でスッポンポンになれる。無感情で脱げる。その先にある行為も、名前も知らない・二度と会う事は無いだろう人と無感情でできる。
今は結婚してるし、性病(今
結婚前後のすり減った話(後編)
母に対して『話が通じる』というのは本当に24年生きてきて初めての事だった。
話が通じる事に関して、私は感動よりも若干の恐怖を覚えた。なんか裏があるのでは?としか思えなかったのだ。
それから1週間後、8月某日に話は進んで、母と彼を会わせて話して、早くて冬遅くても来年の春には籍を、という事で落ち着いた。
「お父さんの鬱の様子見て話しておくから。」
それはありがたい。なんて思いながら過ごした。
お宅のご
貴方の概念はどこから?
私は最近28歳になった。
ついこの間まで(私が生まれて四半世紀経ったのか)なんて思っていたからそこからもう3年も経ったのか。おかしいな、私気絶でもしていたのかな?と本気で考える程度にあっという間に28歳になった。薄ら暗い話ではあるが、この調子で無事1914年に関係する世代の油注がれた14万4千人が全て天に召されてどんな言い訳を捻り出してくれるのか見てから死にたいと思う。痴呆とヘルニア持ちの家系から
③閑話休題:続々ベテルに電凸した話
ようやく電凸します。
今回は痛くありません。
ただ、私がサタンだ!と言えるくらいには反抗の精神が強いお話になります。
エホバの証人に相応しくない人間とは私の事だな……と書いていて改めて思いました。
金曜日の集会に間に合う様に小走りで改札を抜け、電車に乗り、駅まで迎えに来た母の車に乗り込む。
駅から王国会館までは10分程で、適当に書籍研究の今週の部分に線を引っ張って、会場に着いたら始まるまで寝て、
②閑話休題:続 ベテルに電凸した話
今回もそれなりに痛い表現があります。
表現がまろやかになる様によくかき混ぜて見たのですが、やっぱり痛いです。
あと私の文章力がカスカスなので会話文が多い内容でお届けしています。
ラノベチックになりました。痛いのもラノベも苦手な方は読まない方がいいです。
第二次宗教戦争 夏の陣
前回はまだ冬だったが、季節は巡り第二次宗教戦争は夏の陣を迎えた。
胃が痛いだの喉がガラガラだのと体の不調も重なる中開
①閑話休題:ベテルに電凸した話(長いよ)
この話には痛い表現がしこたま出てくるので、痛い表現が苦手な方は読まない方がいいと思います。私はこの記事を書くのに1週間かかって、書き終わるまでに3回泣きました。
なるべくあまり痛くないようにソフトタッチに書くように心がけましたが、苦手な方は見ない方がいいです。(注意喚起しないで公開しちゃったので悩んで15分後に書き足しました)
神奈川県海老名市、と言えばメロンパンだのスタバ併設オシャンティー図書
結婚前のすり減った話(前編)
私は生まれてから24年間『エホバの証人の子供』として育てられた。熱心な母と研究生の父に育てられ、神権家族(両親ともにエホバの証人の献身した兄弟姉妹の家庭の事)では無い90年代生まれの家庭にしては珍しいくらいエホバの証人的に厳しく厳格な家で育てられたと思う。
どんな家庭環境で育ったかが分からないとなかなか読み辛いと思うのでほんの少し、鞭世代ではないにもかかわらず鞭(家庭によってスリッパだの、靴べらだ
えぇ、まぁそうですね
「実家で親に子供の面倒見てもらってて。」
私に子供がいると知った人は私が今現在週に2日仕事してる事を知ると『子供は保育園?誰かに見てもらってるの?』と問う。
その返事は上記の言葉になるのだが、その後に続く言葉は決まって『そうなんだ!実家で見てもらえたら安心だね。』だとか『実家で面倒みてもらえるなんていいね。』になる。
返事はタイトルの通り、「えぇ、まぁそうですね。」
客観的に見たら、私自身は特に