貴方の概念はどこから?

私は最近28歳になった。
ついこの間まで(私が生まれて四半世紀経ったのか)なんて思っていたからそこからもう3年も経ったのか。おかしいな、私気絶でもしていたのかな?と本気で考える程度にあっという間に28歳になった。薄ら暗い話ではあるが、この調子で無事1914年に関係する世代の油注がれた14万4千人が全て天に召されてどんな言い訳を捻り出してくれるのか見てから死にたいと思う。痴呆とヘルニア持ちの家系から生まれたのと、周りがかなりご長寿で大抵老衰でなくなっているし、関係ないかもしれないが愛犬も老衰で眠っているうちに亡くなったのでおそらく私は長生きできると思う。



そんなどうでもいい事は横によけておいて、皆さんは『お誕生日』という概念を初めて知ったのはいつだろうか?

「そんなの、物心つく前から知っていたよ!」という人はおそらく何らかの形でご家族や親しい周りの人達におめでとうと祝われてきたんだと思う。
それはとても良いことだと思う。それに関して私は恨み辛みを言ったりしないし「今日誕生日なんだよね~」なんて言われたら初対面の人でも「おめでとうございます!!えっ、なんか飲み物くらいプレゼントさせて下さい!」なんて言って全力でなんか奢りたいばばあになる。

私は誕生日に限らず、初詣だの夏越の大祓だの、各季節のお節句やクリスマス等の行事が大好きだ。時間と労力とお金の許す限り全部盛りしたい。
近所でお祭りやると聞いたら子供にいそいそと甚平さん着させて(甘やかしが過ぎるかな……)とは思いつつ露店で玩具やお菓子を買ってしまう。
今は、そんな生活をしている。
今、は。



私はお誕生日の概念を知ったのは5歳の10月である。
正確に言えば10月二十何日である。
なんでそんなに覚えているのか、という人もいるかもしれないけれど、私はハッキリ覚えている。
きっかけは幼稚園のお芋掘りだった。

お芋掘りで掘った芋は2.3本、ビニール袋に入れて持って帰れたのだが、それでも沢山ある芋を集めた先生はこう言ったのだ。
「残りのお芋は10月のお友達のお誕生日会の時にだしますよ。」


はて、10月のお友達のお誕生日会とはなんだろう?
私は『お誕生日』という言葉も知らなかった。


ただ、そこに行けば持って帰る以外の掘った芋も食べれる、という事だけはわかった。


絶対に食べたい。


私は家に帰って母に言った。
「10月のお友達のお誕生日会のお芋が食べたい。」




一旦ここで私自身の話になるが、私は23歳で医者から「これ以上胃炎悪化したら胃に穴が開くから入院してください。」と言われるまでご飯を底無しに食べることが出来た。
どのくらいご飯が食べれたか、というと離乳食の頃からしこたま食べた。1歳半健診で、周りのお母さんはヒョロヒョロの子供を抱っこして「子供が食べたい気持ちになるように、人参はお花の型抜きをして……」なんて離乳食相談受けている横で、はち切れんばかりに丸々している私を抱いた母は『4枚切りの食パンなら1袋食べた上にヨーグルトもフルーツも食べ、牛乳も250㎖飲んで、まだ欲しがる』なんて事前アンケートに記入し保健師から「お母さん!食べさせすぎです。まずはスープから、そしてサラダ、一気に出すと食べすぎるので一品づつ出しましょう……」なんて離乳食期にワンオペでそんな事出来るかいな!という内容のアンサーをもらったり、今話している幼稚園の時は「絶対足りないから違うのにしなさい。」と言われても可愛いミッフィーの弁当箱が欲しくて泣いて縋ってようやく買ってもらったのに、遠足から泣きながら帰ってきて驚いた母がなぜ泣いているのか聞いたら「お弁当が足りなかった。」と答えミッフィーの弁当は1回しか使わなかった。小・中学校の時は毎日オカワリしまくっていた女子だったので、中学2年生の時には担任の先生から「さくらさんの具合が悪いので迎えに来てください。」と電話が掛かってきて母が「熱があるんですか?」「いやぁ……。」「頭が痛いんですか?」「いやぁ……。とにかく具合が悪いのですぐ迎えに来てください。」とガチャ切りされ、渋々迎えに来た母が担任から説明されたのは「さくらさんは朝からあまり体調良くなさそうだったんですけど、今日給食残したんです。」と言われ母が言葉を失う程には食べた。
高校時代も朝学校ついたらおにぎり1つ。授業の合間におにぎり。昼もしっかり土方(鬼の副長じゃないよ、ドカタだよ。)弁当を食べ、おやつを食べ、帰ってからすぐご飯を食べて夕飯も食べた。
痩せの大食いだったので、食べても食べても太らなかった。167cm身長があるのに体重は高校の時47kgしか無かった。
なので、学校で新学期になると私だけ養護の先生が給食や弁当の時間に訪ねてくるイベントがあった。
ほとんどの養護教諭は私の食べる姿を見て(あー、ハイハイ理解理解。)という顔で帰って行った。
とにかくめちゃくちゃ食べる。
夏休み期間中は2週間で30kgの米を食べた。母は「いい加減、冗談みたいに食べるのはやめてくれる!?」と激怒していた。

ちなみに、そんなにご興味は無いであろうが近況をお伝えしたい。今は食べたら食べた分、太ももと顔につく。鏡を見るとそこにアンパンマンがいますね?お久しぶりです、先日貴方が食べた脂肪でございます。と顔についた肉が話しかけてくる程度にすぐパチパチになる。辛い。


とにかく、私は食べる事に執着していた。
絶対に芋を食べたかった。みんな食べるのに私だけ食べられないとか、もう絶対許せなかった。

今考えると奇跡なのだが、おそらく私と話をした母は私の行きたい気持ちの理由が『お誕生日会』ではなく『お誕生日会で食べるらしい芋』に行きたい気持ちが全振りしていて、『ステータス:芋』になっている事を理解したらしい母は10月のお誕生日会に参加させてくれた。



結果的に言うと、あんなに食べたかった芋の味を私は覚えていない。
しかも、スイートポテトだったのか、焼き芋だったのか、ふかし芋だったのか、それすら覚えていない。

記憶に焼き付いているのは、体育館のあちこちに『おたんじょうびおめでとう』と書かれた壁面飾りとお花紙。キラキラのモールで飾り付けられたステージに三角のトンガリ帽子をつけてメダルを貰ったお友達が座っていて、私が知らないお遊戯をしているお友達。
(今思い出すと、定期的に職員室で本を読んでいたり、先生と1人で遊んでいた記憶があるので、もしかしなくてもお誕生日のお遊戯免除されていた可能性がある。)
ステージを囲む様に用意された椅子に座って貰うお菓子とジュース。
なんて素晴らしい会があるんだ!と私は痛く感動した事を覚えている。
大人になってから意識的に人の話を聞くようにはしているが、当時は先生の話?そんな事よりそこに蝶々が飛んでいますね。くらいにしか考えていないし、ジッと座る事も出来なくてフラフラ勝手にどこかに行く子供だったので、おそらく4月に入った時から毎月お誕生日会の話はされていたが本気で私はお誕生日会の話を聞いてなかったのだ。

私は帰りの車でおやつとジュースが飲めた、どんなに素晴らしい会だったかを母にたくさん伝えたはずだ。とにかく楽しくて美味しい会だった事だけはよく覚えている。隣に座った仲の良い女の子が「来月は○○ちゃんがお誕生日なの。」と羨ましそうに、来月が楽しみで仕方がないというきらきらした顔で言ったこともよく覚えている。

母がそれに対してなんて言ったかはびっくりするほど覚えていない。

そして後にも先にもお誕生日会に出た事はないし、翌年お芋掘りに行った記憶も無い。
1度だけ仲の良かった子がお母さんと一緒にに「○日に私のお誕生日会するから来てね。」とその子が作った2つ折りの画用紙でできたお誕生日会の招待カードを貰ったことがある。
貰った事だけは覚えているが、断った記憶はない。
多分、一緒にいた母が断ったのだろう。悲しかった記憶すらない。

中学生になった頃の話だが、友達が私に誕生日プレゼントをくれてすごく嬉しかった記憶がある。
私はその子が誕生日の時にプレゼントあげたくてもそんなお金がなくて親の貯金箱からこっそりお金を拝借した事もある。


今月、上の子(以下:息子氏)は3歳のお誕生日を迎えた。
午前中プレゼント買いに行って、本人リクエストのトマトのピザを食べ、3の形のロウソクとその周りに灯したロウソクを「ブゥゥゥゥーーー」とお兄さんもう少し可愛い吹き消し方あるでしょうよ、と言いたくなるくらい唾を飛ばしながら吹き消してお祝いした。買ってもらったSwitchで太鼓の達人をし、大阪のばぁばに買ってもらった消防車で毎日下の子(以下:坊やマン)と取り合いの喧嘩をして私に怒られている。
また私の親友からも成猫がちょこんとお座りしたくらいの大きな恐竜のソフビを貰って毎日可愛がっている。

この前の2月には、坊やマンの初誕生で名前入りの餅を背負わせ、踏んで、選び取りもした。
2人とも物心ついた時から祝われてるから誕生日なんていつから祝ってもらったかなんて知らないっすね!受精した時から祝われてたんじゃないですか?(笑)と言えるくらい、自己肯定感と自分が愛されてる気持ちに満ち溢れて健やかに育てよ。そのうちに、お友達呼んでパーティーしようね。
私の中のある日(みんな誕生日にお祝いしてプレゼント貰ってるらしい)と気がついてしまった小さな私を癒す為にも。
動機が不純で申し訳がないけれど、その闇に気付かせないくらいアホみたいに楽しくて明るい幸せしかないお誕生日をあなた達がもう祝わなくていいよ、と自己申告してくるまで、してあげるね。

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