孫は可愛いらしい

一般的に孫は可愛いらしい。
目に入れても痛くないらしい。
幼稚園の時私の2つ上の従兄弟が「爺ちゃん!ライダーキック!」と言って座っていた祖父に飛び蹴りを入れたのを見た事がある。そんな事したらぶん殴られるぞ、とドキドキしている私をよそにお爺ちゃんは「おうおう」と笑って従兄弟を抱っこした。
今思い出しても、いやそれは怒らないとまずいだろう。と思うが、育児の責任がないから好きなだけ猫可愛がりできる、自分の子育ての時よりも可愛い。なんて話はちょいちょい聞く。
私も父方の祖父母にも母方の祖父母にも怒られた記憶は一切ない。おじいちゃんもおばあちゃんも現在進行形で大好きである。

私の義祖父は夫が高校生の時に亡くなっているので話しか聞いたことがないが明治一桁生まれの典型的な亭主関白だったそうで朝は8時昼は12時夜は18時と時間ピッタリに食事が食卓に出ていて家族全員で食べるのが絶対だったようで義母から話を聞くだけで、お義母さん凄い。という感想しか出てこない。
そして孫たちは沢山いても女の子ばかりで義母の妊娠中、第2子の赤ちゃんが男の子と分かった途端に神社に言って名前を決めてきたり(儂が名前を決める、と言って聞かなかったそうで夫は読みは普通なのに初見殺しの難読名前だ)初節句に7段の五月飾りを買ってきたり、家にいる時は常に胡座の上に夫を乗せ、出掛ける時は夫だけ連れ回し……と男孫フィーバーが凄かったらしい。
私は男の子を2人産んだので、義母からポツリと「お爺ちゃん、もし生きてはったら2ヶ月に1回大阪から千葉まで通ってたんちゃうかな。多分2週間はさくらさん家に泊まったと思うで」なんて言われて、お義母さんものすごく苦労したんだろうなぁ、なんて他人事のように思っている。

私はエホバの証人の2世として育てられたが、神への献身、バプテスマはしなかった。
したら絶対終わりだと思って何がなんでも回避したが、今となってはそれが正しい選択だったと思える。
最近公式サイトでは、『エホバの証人は信者でなくなった人を避けますか。バプテスマを受けてエホバの証人になったものの伝道をやめ,仲間との交友から遠のいている人たちを避けることはしません。むしろ,その人を訪ね,信仰を再び強めるよう励まします。』
なんて優しい事を言っているがどこの世界線のエホバの証人の話かしら?おとぎ話かしら?と思うくらい嘘である。

『この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつの言葉をかけてもなりません。』という聖書の言葉を根拠として挨拶もしない徹底的な集団忌避が始まる。
人としてこんにちはくらい言えばいいのに!と思うかもしれないが、「『こんにちは』という簡単なあいさつがきっかけとなって会話に発展したり,場合によっては友情に発展したりすることがあるものです。わたしたちは排斥された人に対し,そのようなきっかけを作りたいと思うでしょうか」というのが答えである。
『忠節なクリスチャンは,だれであれ会衆から追放された人と霊的な交友を持たない,という意味です。しかし,それ以上のことも関係しています。神の言葉は,「そのような人とは共に食事をすることさえしないように」と述べています。(コリ一 5:11)それでわたしたちは,追放された人との親ぼくのための交友も避けます。それには,その人を加えてピクニックに行ったり,パーティーを開いたり,球技をしたり,ショッピングや劇場に出かけたり,家であれレストランであれ一緒に座って食事をしたりすることも含まれるでしょう。』
これらは、真面目にエホバの証人として生きてきた人には大打撃を与えるもので、そもそもエホバの証人以外の人達と親しくなることがないようにと教えられているので家族がエホバの証人であった場合、人間関係ゼロスタートになる。
私は物心着いた時から(大人になったら絶対エホバの証人辞めてやる)という意思があったので尻を叩かれようが、肋にヒビが入ろうが、経済制裁に会おうがエホバの証人で親しい人を作らず外に親しい人を作るようにしていた。

バプテスマ受ける受けないで数年単位で言葉だったり、時には殴る蹴るを含む揉める事もあったが何とか受けずに済んだので私はその点恵まれていたと思う。
でなければ、今現在実家を行き来することは無かった。

ここでまたタイトルに戻るが、孫は可愛いらしい。
私が一人っ子で他に兄弟か姉妹がいたら多分可愛がられる事はなかったのではないかと思うけれど外孫とはいえ1/4血の繋がった孫は可愛いらしい。
ただ、最初からフィーバーが来た訳では無い。

上の子供が生まれた時はあまりよく思われていなかった。

ここから先、そこそこに、下品な話を書くのでそういった類の話が嫌いな人はここで読むのをやめて欲しい。
結論から言うと、上の子供はエホバの証人的に褒められた妊娠では無かったのでなるべく遠ざけたいと思っていたけれど、下の子供を妊娠した時にエホバの証人的におめでとうと言える妊娠だったのと、子供は嫌いだけど、だんだん分別がついてコミュニケーションが取れるようになった上の子が可愛くなってきて下の子も可愛いと思ってもらえるようになった、というオチである。




当時、入籍をする前部屋を探したりなんだかんだで夫(当時は彼だけれども、もう面倒なので全部夫で通す)と2人で出掛ける時は実母から非常に遠回しに「2人きりだからって、変な事はしないように」と毎回SEXをしないように口酸っぱく言われていた。
ごめんなさいね、付き合ってすぐに致しましたわ。とも言えないし、わかっちゃいるけど、今日この後しますとも言えないので「うん」とだけ返していたが、そういう雰囲気になってこちらも断る理由もないので致していた。そもそも実母は私がその時点で生娘だと思っていたようだが社会人になってすぐエホバの証人辞めたすぎて婚前交渉した事がみんなにバレて欲しい気持ちでどうでもいい人で捨てている。一度、一線を越えてしまえば親指の爪くらいの自尊心しか無かったので思ったより大した事がないなと感じてしまい自分の身体ごと自分自身を大切にしようと思う気持ちより、フルタイムで仕事してるのに親に全額管理されてリアル1ヶ月1万円生活していたので社会人時代は常時金欠で、短時間でいいお金になるし、職業に貴賎はないとはいえ所謂そういったサービスをするお店にいた事もある。今となっては多少申し訳ないなと思わない事も無いけれど、当時は彼氏もいなかったし、わたしが生きる為には必要な事だったのでその点後悔はしていない。

夫は夫で、どうせ責任取るし子供は最初から2人欲しいと言われていたのと歳が離れていて出来れば早く子供が欲しいという気持ちもあったのか避妊するつもりが欠片程しか無かった。よく考えなくてもクズである。
私は私で子供が出来たらどうしよう、両親みたいに子供を虐待する親になる自信しかないから子供なんてまだ産みたくない、避妊して欲しいという気持ちと、今まで付き合った人の中で1番好きな人はこの人だし相手から結婚の話も出たし、この人と結婚出来なかったら一生あの家から出られなくなるから嫌われたくないという気持ちもあって、まぁ夫の事を言えないどころか私の方がクズである。最悪、子供が出来てどうしても育てられないなら早いうちに特別養子縁組でどこか縁のあった所に養子に貰ってもらおうとも考えていた。実に潔いクズであったと思う。

義父は数年前から癌を患っており、もう長くはないという時に夫と付き合ったので夫自身、父親に結婚すると言って安心させたい気持ちもあったんだろうなぁとは思う。もしかしなくても既成事実をさっさと作って結婚する話と同時に子供が出来たというのも言いたかったのかもしれない。
が、結婚前の親族のお顔合わせして入籍を今年中にするかどうかを話していた時に義父は亡くなった。お顔合わせの時点で末期でもう鎮痛のモルヒネ打って何とか出てもらっていたのでそう長くはないと覚悟はしていたが、食事会から家に帰る時に義父は「親としての責任は果たしたなァ」と義母に言っていたそうなので、そこで気が抜けてしまったのかもしれないが2週間後に亡くなった。
と同時に、私の妊娠がわかった。
忌引まで籍入れるのを待つ訳にも行かないので3ヶ月後に籍を入れることを決め、引越しの準備をしたり、あれやこれやと色々して、親に報告したのは妊娠8ヶ月になった時で「俺は今日殴られるのを覚悟で行く」と言ってまぁ開口一番すみませんでした!と頭を下げた夫に気を遣わせない程度の『もう性別わかったの?』『いつ産まれるの?』という普通の質問をしたのは実父で、実母は最後まで沈黙したままだった。

流石に生まれた時翌日はお見舞いに来てくれたが、その後はほぼ音信不通。
私は実家に犬を置いて出ていったので月1~2回犬を可愛がりに母のいない時間こっそり帰ったり、たまに30分くらい母と世間話する程度で、お宮参りだのお食い初めだ、初節句だ、お誕生日だのには一応お誘いを夫がしたものの宗教上の理由でお断りされ、このままこういう関係で行くのだろうと思っていた。

2人目は、本当は学年を1つあけて……なんて思っていたら予想外に3月生まれの子になってしまい学年続きの年子か……という気持ちもありつつ安定期入る前くらいに両家に伝えた。
まだ世間はビフォーコロナで普通の生活をしていたが、急に実母が私に「里帰りはするの?」と言い出した。

明日、もしかして噂のハルマゲドンが来るのか?

元々古希を迎えた義母に来てもらおうか考えていて里帰りなんて1㍉も考えていなかったので、急にどうした?なにか裏でもあるのか?と色々考えたが話せば話すほど、なぜ母娘として同じ屋根の下に生活していた時にはこういう関係になれなかったのだろう、と思うくらいヒステリックですぐに手が出る実母は夢にまで望んでいた普通の母親だった。
「息子君が慣れるように月1で1人で家に泊める練習したら?」
「息子君に椅子買いました」
「えっ、入院中息子君と一緒に家族ルームで泊まるの?新生児の世話しながら面倒見るのは無理しすぎるから、家で見るよ」

豆腐の角に頭でもぶつけたのか?という変わり方だった。
予想外に私自身切迫早産で緊急入院したり、帝王切開になったりで結果お世話になりっぱなしになってしまったので感謝はしている。
あなたの望む娘になれなくてごめんね、と思えるくらいには本当にありがたいと思ってる。

今思い返してみると、実母は生みの母親が毒母(これがまた毒母以前に人間性が絵に描いたようなクズ人間で、クズエピソードを抜きにしても性格が非常に私に似ている)を心の底から軽蔑していて没交渉、育ての父母はもう鬼籍に入っているが、私を妊娠した時は飛行機の距離で産前産後のお手伝いが全く望めず、という状況だったので手伝ってあげようと思ってくれたのかな、とも思えた。

一番最初のnoteで『実家で子供を見てもらって仕事に行っている』と書いたが、それも「いつ働くの?働くなら見てあげようか?」と実母から声を掛けてくれたから実現した事であってそれはそれで感謝もしている。

孫は可愛いらしい。
行くたびにおもちゃが増え、おもちゃをしまう棚ができ、とうとう着替えまで買いだした。

きっと私が覚えていないだけで、わたしも物心つく前はああやって遊んでもらったり、エホバを抜きに愛されていたのだろうか?だったら、物心ついてからもそうしてくれたら良かったのに。

私はいつも、ママ、だっこしてー!と抱っこをせがむ2歳を抱えて、楽しかった?と子供に問うと「きょうはね、じぃとばぁとあそんだのよォ」と眠そうな、それでいて満足気な顔をしている子供を見て「よかったね、楽しかったんだね」と返事をするけれど、本当は自分は子供が羨ましくてたまらない。

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