子育ては難しい

子育ては難しい。

当たり前だろう、人間育ててるんだぞ。と言われたらそれまでだけれども、私には子育てが本当に難しい。

私は世間一般でいう普通の子育てがしたい。現在進行形で I'm そうしている つもりing である。
ここから先は完全に自己満足ではあるけれど、いつか息子氏と坊やマンが巣立った後に当社比幸せに育って自分の人生を生きてくれていたらいいな、と思う。もちろん比較対象はよその子ではなく自分である。それが学歴だとかいい会社に就職したとかではなく、二人の子供が成人した後、彼らにとって各々有意義で世間一般的な幸せの物差しはいろいろあるだろうが、彼らにとって『普通に幸せ』な人生を送ることができそうかという点での当社比だ。



私には底なし沼より深い普通への執着があるからだ。


私事ではあるが、上の子(息子氏)が今年の9月から満3歳児として幼稚園に編入して4年保育を受ける。
『お母さんは、おそらく色々他の幼稚園を見に行かれてこのカトリック園を選ばれたと思うのですが、息子氏君にどの様な幼稚園生活を送って欲しいと思われていますか?』と園長先生との二者面談で言われた。
「個人的には、正直分別のつかない子供のうちから宗教教育をする事は実は反対なんです。ただ、色々な事に感謝をするとかそういった理由で祈ったり、困っている人に自然に手を差し伸べる事ができるようになる、道徳教育としての宗教教育はいいと思っているのと、こちらの園ではキリスト教のお祝いに限らず、日本の季節の行事も行っていたり、モンテッソーリ教育をしているというのが非常に魅力的だったので選びました。」と率直に言った。
本当に、カトリックだろうがプロテスタントだろうがお寺さんだろうがなるべく大人になって分別がつくようになってから信仰したければして欲しい。
強いて言うなら、近所のプロテスタント系幼稚園は1日の予定に礼拝が含まれていて、行く事にしたカトリック系幼稚園はせいぜい食事の前に主の祈りをするくらいで、そのくらいなら個人的にはまだセーフかな……という私のエゴで選んだ。楽しく幼稚園に通ってくれるなら本来どこでも構わない。
大人になった子供達が、将来ふと幼少期を振り返った時に「えっ?うちは普通の家だったんだよね。特に何も無いかなー。ちょっと母親がちゃんとしなさいとか言っててウザかったくらい。」なんて言ってくれたら私の子育ては成功だと思っている。


私の子供時代の話をしよう。
私は実の両親から見たら反抗期が長い手のかかるサタンの子だったと思う。
未成年の私が反抗して反抗して反抗する度に父は「あんたの言う『普通の生活』って一体なんなの?何をもって『普通』だと思ってるの?この腐敗した世の中のイカレポンチが何の目標もなく『ただ楽しいからする。将来なんてどうでもいい』って楽しい事ばかりする事が普通だっていうの?」という、どう考えてもそれはエホバの証人抜きにして世間一般でいう『普通』とも乖離してはいませんかという『普通』で毎回私の心に砂袋でフルスイングしてくれたので、パッと見きっと私の心はどこもかしこも健全そうでいて普通に見えると思う。内側はダメージが深刻だったとしても。


私の『普通』と父や母の言う『普通』は地球と月の距離より遠い。紙を42回折っても辿り着けないほどに遠い。むしろ定義が違うと思う。
私の考える所謂『普通』は仕事して趣味して友達と楽しく過ごし、時には人間関係に悩んだりし、行事は和洋折衷何でもござれ、犯罪は犯さず、税金を納め、選挙に行き、その人生の延長線上で結婚だの妊娠出産に子育て、、というライフステージを自分、もしくはパートナーと一緒に過ごして最後に誰にも迷惑かけずに人生を終えれたら最高だよね、もしかしたらそのうちに考えがアップデートされて今までと180°違う価値観になる事があるかもしれないので、異論は認める。くらいのささやかな『普通』である。

片や父と母の言う『普通』は『普通=正義』である。
エホバを崇拝し、上位の権威に従える所は従い、慎ましくエホバに選ばれた清い民、神の王国のキリストの大使として地上で24時間クリスチャンとして生きる。
それが自分にとって、楽しいか、楽しくないかや、好きか、好きではないか、は重要ではなく『正しいから』行なう、というのが2人の『普通』なので今日も2人はエホバの証人として苦痛が伴ったとしても狭き道を邁進している。もう個人の好みだから好きに突っ走って欲しい。もう人生の半分以上傾けて走っているのだから今更止めはしない。2人には2人の人生があるのでもうどうにでもなればいい。

故に、私が反抗するとそれは普通の反抗期ではなく、宗教戦争になる。
今ならルソーとガリレオの気持ちが分かる。と思うくらいには宗教戦争が起きる。

「あんたはエホバの証人が嫌なんじゃなくて、ただ楽な方へ楽な方へ流されてサタンに踊らされているだけ。」
という言葉に、それは違う。自分の意志で考えて行動していると反論すれば、「お前の言っている『普通』がその辺の堕落した人の言う『普通』と何が違うんだ!」と高潔の志のもと戦う人間は言う事が違うな。というクサイセリフを投げられる。

ちなみに母にバレないようにこっそり私と父の2人で機動戦士ガンダムOOを鑑賞中、イノベイターという進化した人類であるキャラクターの「君は僕に造り出されたことを忘れているようだね。いわば君にとって僕は創造主」「人類を導くのはイノベイターではなく、この僕、リボンズ・アルマークだよ」という台詞の後ポツリと「まぁ、決められた事に右向け右で指示されたことだけをするのは楽だけど、人間には自由意志があるからね。さくらちゃんも流されてばかりじゃダメだよ。」と言ったので思わず顎が外れそうになった事がある。そのセリフそっくりそのままバットで打ち返してやるよ。と思ったのはよく覚えている。
ちなみにOOの推しはティエリア・アーデとマリー・パーファシーですので、OO好きな人は仲良くしてください。あと本当にいい沼……アニメなのでぜひ見てほしいです。



私のパートナーである夫氏は、自ら言いはしないものの、(自分が愛されて大切にされていたという自負がある)というタイプなので、反抗期に壁に穴開けて親や兄弟と喧嘩した~くらいのエピソードしか出てこないし、義母からも「(地元にかなり有名な神社があって、そのお祭りに青年会として参加しないといけないのだけれども)周りは未成年でお酒飲んで煙草吸っててもあの子はそんな事せんで、そういう所は真面目でエラいと思うわぁ」なんて未だに言われて真面目で偉いのハードル低すぎて落ちてる小石かと思った話しか聞いたことがない。

それ故に何か気になったりモヤモヤした事を相手の会話のターンを2つくらい潰して喋り倒したその結論が「お前な、そんな事言っても親は親やんか。大切にしないとあかん。」という月光蝶喰らいましたわ、私の心がサラサラの砂になりますわ、なんなら地球の文明滅びましたわ、という力業で会話終了するので何の解決にもならない。

私は本当に自分が可愛いだけの骨無しチキンだから、夫氏に『親がエホバで大変だったんだよね』『結構手足出る家だったんだよね』『行事関係1個もしてないんだよね』くらいの生い立ちしか言っていない。
どう叩かれてどんな気持ちになったかを一言も言ったことがない。なぜなら、母の日の実母へのプレゼント云々であげるあげないで揉めて、軽くジャブで上の言葉を言った時「それでもお前を育ててくれた親なんだから~」を言われた時点で私の心は折れたのでそもそも伝える気持ちが吹き飛んでしまった。
理解してもらおうというのはいわば、諦めてしまったのだ。

最近名前は出なくとも「エホバの証人2世の~」なんて内容の番組を一緒にいる空間で観ていても、ゲームするか、タバコ吸いに行くかして居間から存在がロストするので正直に言うと、私のパートナーは私の生い立ちにはほぼ興味が無いんだな、ちょっと癖強めの家で育った程度にしか思ってないんだな、と思って一緒に見てほしいとかも言わず、エホバの証人というかカルト宗教2世がどんな風に育ったかを知ってほしいとも言わない癖に勝手に凹んで勝手に貝の様に押し黙って心の澱が舞い上がらないようにじっと息を潜めている。


話を元に戻そう。
私は子育てが本当に難しい。
誰かこの癇癪持ちのひっくり返って噎せるほど泣いている子供にゲンコツだの生尻ゴムホース叩きだの体罰を用いずにどうやって大人しくさせる?と考えてしまう時がある。
それと同時に『虐待は連鎖する』という言葉が頭の中をグルグルと警告音と共にかけまわる。
私はここでその鎖を断ち切ろうと思っているけれど、本当に難しい。

数十年後、子供たちからなんて言われるだろう?
そればっかり考えて今日も一日過ごしている。
願わくば、彼らにとって良き親であれますように。

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