②閑話休題:続 ベテルに電凸した話

今回もそれなりに痛い表現があります。
表現がまろやかになる様によくかき混ぜて見たのですが、やっぱり痛いです。
あと私の文章力がカスカスなので会話文が多い内容でお届けしています。
ラノベチックになりました。痛いのもラノベも苦手な方は読まない方がいいです。



第二次宗教戦争 夏の陣

前回はまだ冬だったが、季節は巡り第二次宗教戦争は夏の陣を迎えた。

胃が痛いだの喉がガラガラだのと体の不調も重なる中開拓者でパートナー生活をしている姉妹達と毎週ものみの塔の予習をする事になった。
同じ群れの年上の姉妹が何かと声を掛けてくれて一緒に出かけたりする様になった。
ずっと母が研究司会者だったのが、園芸長老の奥さん姉妹と3人で研究する様になった。
今思い出しても開拓者の姉妹達は嫌いじゃないし、一緒に出かけたりしてくれた姉妹も優しかったし、研究司会者の長老妻姉妹も嫌いではない。比較的好きな方ではある。
私は明敏な者になろうとした。愚かな18歳、19歳の私は進んでいって報いを受けたので、19歳の後半はひっそり息を潜めて機会を伺おうと思った。

そのうちに『アメブロ会衆』なる物の存在を知った。まぁ、ある方のブログの言葉を端折って借りると、エホバの証人の実際の会衆で素行不良な兄弟が戒めに対して逆恨みをし自分の素行不良を棚に上げてエホバの証人を痛烈に批判、その背教的な兄弟のブログの記事(演壇からの話)に集まる似たり寄ったりの人達(コメントで注解)の総称……という事らしいが、内容の善し悪しはあれど、一度読み始めたら止まらなかった。アメブロ以外でもいろんなサイトで書いている人がいることを知った。これは2世の為のライフストーリーで私はその経験から学びたかった。如何に穏便に痛い目(物理)を見ないで辞めようか。
たくさん見たブログの中で、実際に辞めたて1度戻ったけどまた辞めた方のブログがどうして組織に疑問を持ったのか、などを非常に読みやすい文章で書かれていて、ストーキング気質の私はその方のTwitterも粘着質に遡って見た。ただのストーカーの爆誕である。
私は献身とバプテスマを受けたことは無いが、読み終わったその時、私の中の天は開けて何かが鳩のように降りたと思う。多分目から鱗も落ちた。

辞めよう。思い立ったら吉日だ。今辞めよう。

その方に衝動的にフォローもしていないのにTwitterでDMを飛ばした。この時の私は相当に頭のネジが飛んでいたと思う。DM送ると同時にネジも飛んだ。その頭の残念な子供の書く内容に本当にその方は親身になって話を聞いてくれて、本来なら私が相手のいる場所を訪ねて行かないといけないのに『仕事でそちらに行く用事があるから』と言ってわざわざ会いに来てくれたのだ。

あっ、集会に来てそう、区域係か文書係してそう。それが第一印象だった(Wさん見てますでしょうか?本当にごめんなさい)。仕事で来ているので当たり前であるが彼はスーツで来ていて、ボサッとしている子供にスターバックスまで奢っていただいて、前日よく考えたにも関わらず支離滅裂な私の話を聞いて「大変だったね」と言ってくれた。

そうか、私、大変だったのか。
大変だったね、頑張ったね、って言われたかったんだ。当たり前だ、大変だった、今まで必死に生きてきた。堰を切ったようにわーーーっと話し始めた私の本当に繋がらない話をうんうんと聞いてくれて、その子供のどっちつかずの気持ちを、好きなことして生きたいしか考えてない愚かな子供に現実が見えてくるように、本当に現実的な一言、「本当に辞めるなら今の仕事は親も知っているし辞めた方が僕はいいと思うよ。」という言葉で我に返った。
仕事は、本当に楽しかったのだ。
「でも、今の仕事は辞めたくないんです。」
「うん、わかるよ。でもきっと以前電話されたのなら今度は電話じゃなくて連れ戻しに来るかもしれないし。」
「そうですよね……。」
「僕も力になれることは力になってあげたい。寮付きの仕事とか多分紹介してあげられたりはすると思う。でも今の現状ならなかなか難しいなァ。」
ごもっともオブごもっともである。
むしろその状況でデモデモダッテをしている私が1番手に負えないただのイヤイヤ期の子供と同じで。
黙ってしまった私に彼はぐいーっとコーヒーを飲み干してから「まぁ、エホバの証人の言うハルマゲドンなんて一生来ないし、今でも少しづつ出来ることはあると思うよ。何かあったら相談にのるからね。」
その後は私も仕事があって、ありがとうございました。また連絡させてください。なんて言って別れたと思うが彼に出会ってお話させてもらった事は確実に私の人生のターニングポイントになった。
『ハルマゲドンは来ない。』という言葉はドッヂボールで強く投げられたボールを胸で受け止めた時くらいずしりと重かった。
実際私はあまりエホバの証人の教義に興味が持てず、ハルマゲドン来る来ないも何処か自分に関係の無い話だと思っていたのにそんなに重い言葉だとは思わなかった。
(ハルマゲドンは来ない。ハルマゲドンは、来ない。)
その日1日噛み締めながら仕事をしたのを覚えている。
ハルマゲドンなんて信じてないと思っていたけれど、適当に生きてハルマゲドンで死のうと漠然と考えていた私はありもしないハルマゲドンを待って老いて人生終わるとか最悪だ、短くない時間を無駄遣いする訳にはいかないから、早く辞めよう。でも仕事は変えたくない、環境だけ変えたい、そんな事出来るのか。
そんな堂々巡りを続けて答えが出る訳もなくただ日にちだけが過ぎていった。

1週間も経たない頃だろうか?まだ寝ていた私の部屋の扉を母が乱暴に開けた。
「ちょっとどういう事なの!?」その日は怒鳴り声で一日を迎えた。

私の家には携帯電話の利用に関してルールがあった。
・夜はリビングに置いて置く
・携帯にロックはかけない
・異性とメールでやり取りしない
・親の電話に絶対出る事
これらは高校生で初めて携帯を買い与えられた時からのルールで、最初は『誰がお金払ってると思っているの!』だったのが社会人になり携帯料金を自分で払う様になっても『そういうルールで買ったでしょ!』に変わっただけで、深夜に帰る時は「置き忘れた」なんて言っていたが「最近置かないよね」なんて言われたので取り上げられた時の方が面倒だし、しばらくの間は携帯リビングに置いておこう。と思ってその日私はリビングの所定の置き場に携帯を置いていた。

そう、母は勝手に携帯のメールフォルダをチェックして『エホバの証人辞めたいんです』『どうやって辞めたんですか』『ぜひ会ってお話したいです』なんてやり取りを見てしまったのだ。しばらく大人しく従順だと思っていた娘が背教者とやり取りしていたのだ。
ブチ切れ待った無しである。
かくして、母は私の寝起きを叩き起して説明を求めた。

「もう私エホバの証人は限界なの、続けられない。だからやめた人にやめ方教えてくださいってお願いしたの。」
「向こうから連絡してきたんでしょう?」
「違うよ、私が、自分から、その人に連絡取ったの。」
「それが一体どういうことか分かってるの?」
「分かってるよ、相手が背教者だって言いたいんでしょう?本名はお互い知らないけど、その兄弟は僕だったんだって。1度辞めて戻ったけど辞めたって。私はその事を詳しく教えて欲しくて自分から近付いたの。色々考えて、私はエホバの証人に向いていないし、私の人生にエホバはいらないと思ったの。」
母は呆然とした顔で私を見て、それからキュッと眉を釣り上げ睨みつけるような顔をして、一筋涙を流した。私は母が泣いている所を見た事が無かったので動揺した。

「私は、貴方をサタンと一緒に滅ぼされる為に産んだ訳ではありません。貴方はエホバがいなかったら生まれてこなかった子供です。」

私がエホバの証人になっていなかったら、妊娠中絶していた。お父さんも私が死ぬか子供が死ぬか選べと医者から言われ、妻を助けて欲しい、でも妻の信仰を私の願いより優先して欲しいと医者に言ったから中絶しなかった。貴方はエホバがいなかったら生まれてこなかった子供なのに、存在する意義を与えたエホバを『自分の人生に必要が無い』という理由で捨てるのか。人の数だけ正しさは無い。善か悪かはエホバが決める事でその大きな原則のうち、ここまでが大丈夫というラインは各々の良心にそって決めること。好きか嫌いかじゃなくて、もう成すべきことは決まっている。エホバの証人を辞めるという選択肢は初めから無いの。

そう、母は時折涙を拭いながら私に言った。
私はただただ母が『泣いた』という事に酷く罪悪感を感じたが「好きか嫌いかでは無くしなければならない」という言葉を聞いて、母と話し合いは不可能だと思った。
「わかった。ごめんね、でも私にはもう出来ない。」
物理攻撃の無い話し合いって何時ぶりだろう?と思いながら私は仕事に行った。
色々考えつつ、もし今日帰ったら、背教者は家には入れられないから出ていけ、と言われたらどうしよう。最低限の荷物を持っていくことも許されないかもしれない。なんて考えてドキドキした。
その日は帰りたくない気持ちと忙しさが比例して21時上がりだったが、洗い物がひと段落するまで残れるかと上司から言われ、二つ返事でOKした。
そのくらい家に帰りたくなかった。「今日私、ラストまで残りますよ。」と安請け合いして閉店作業を引き受けた。

終電は不味いかなぁと、終電1本前の電車に飛び乗って家に帰った。
玄関は真っ暗で(よかった、2人とも寝てる)そう思ってた小声でただいま、と言いながら鍵を開けた私は玄関の三和土に足を踏み出した瞬間吹っ飛んだ。
私が車を停めた音で起きた父親に顔面を殴られたのだった。
漫画みたいに綺麗にとはいかなくても私は外玄関に仰向けに倒れた。父は何か怒鳴ろうとしたが、母からの「もう遅い時間だから大声出さないで」という言葉に従ったのか開けた口を閉じて私の髪の毛を鷲掴みにして玄関の中に引き摺り入れて鍵をかけた。
あの時『キャーー』なんて叫んでいたらあそこまで酷い思いはしなかったかもしれないなんて、誰かが警察呼んでくれていたかもしれない、なんて何度も思い出しては妄想したけれど、時間は巻戻らなかったし私は神からも警察からも行政からも救われなかった。
絶望の音と共に鍵はガチャリと閉まって父は低い声で言った。
「とんでもない事をしてくれたな。」
髪の毛を掴まれたまま私の頭を玄関の上がりかまちに2.3度打ち付けた。痛かった。もう戦う前から抵抗する気は削がれていた。そのまま靴を脱ぐように言われ、よろよろ靴を脱いで上がると、早くしろグズグズするなと脇腹に蹴りが入った。
私は転んだけれど、ザリザリしたタイルの三和土よりフローリングは少しやわく感じた。
四つん這いの様な格好で床に両手をついた私の尻にも蹴りが入ったがもう蹴ったのが父でも母でもどうでもよかった。これで気が済むなら尻でも腹でも蹴って怒鳴って寝てくれ、と思った。

そうは問屋が卸さなかった。

早く立てとまくしたてられ、髪を再び掴まれて散歩嫌いの犬を引きずる様に階段を登らされた。
そこに座れと言われ、フローリングに正座をした。
反省したかと思えば今度はなんて事をしてくれたんだ、お前に反省という言葉は無いのか、親を困らせて楽しいのか、等と髪の毛はグシャグシャでおでこと頬に一文字の青アザを作ってヒクヒクとすすり泣いている私にシャワーの様に怒鳴り声が落ちてきた。
ヒクヒク泣いているだけで反応がない私に苛立ったのか時折更にボリュームを上げて父は怒鳴ったがその度に母が賢い犬を抱っこしながら「もう夜遅いから大声出さないで」と言い、少し小さくなるものの、また大声を出し、また母に窘められる、を繰り返した。
前はいなかったもう1匹の犬はあの日の賢い彼の様に私を庇って吠えたが「お前もうるせぇ!」と父に怒鳴られ隣の部屋で父が怖すぎて嘔吐いていた。臆病な彼も私を庇おうとはしたが、その後自分の小屋から出てこなかった。
正直あの時、頭はガンガン痛いし、顔もズキズキ痛いし、擦りむいた膝もジクジクと傷んで、私はなんでこんな家に生まれてきちゃったんだろう、ということしか浮かんでこなくて、私、自立して生活したいってだけでなんでこんなに痛い思いしてるんだろう。とボロボロ泣いた。口からはごめんなさい、もうしません、私が悪かったです、すみませんでした。しか出てこなかった。
怒鳴られている途中にも、相槌打つタイミングがズレたりして聞いてるのかコラなんて言われながら頭や脇腹に蹴りが入って、そのうちに(ああもうどうでもいいや、どうしようもない。もうどうにでもなれ。)という気持ちになった。そう思った瞬間に私の瞳は濁って光が無くなったらしい。もう謝っても許してもらえないなら殴る蹴るがやまないのなら諦めるしかない。そう感じたんだと思う。そしてその諦めた態度は怒り狂って100%感情が私に向けている父はそれ敏感に感じ取った。
私の項垂れた頭を髪を掴んで上向かせ、死んだ目をしているな!と怒鳴ってそのまま力任せに横に振った。もうどうしたらいいか私には皆目見当もつかなかったし、痛い早く終われ、しか頭に無かった。過呼吸という程ではないが息がしにくくて何か叫びたかったけれどもう何を叫んでいいのかも分からなかった。サスペンスドラマで強烈にビンタされた女の人が床に片手をついて倒れた体を支え、叩かれた頬をもう片手で抑え怯えた目で見つめる、様な体勢に思わずなった。

もういい。こうなったら仕事に行けなくしてやる。
そう言った瞬間父は私に馬乗りになって私の顔面を殴り始めた。今までも散々言っただろう!常識的な時間に帰ってこいって言ったよなぁ?なんでいつもこんな時間に帰ってくるんだ!頭おかしいのか?そんなにお父さんが言ってることはおかしいか?常識的な時間に家にいろというのがそんなにおかしいのか!やめられないのか!と殴りつけた。私はそこでようやく帰宅時間が遅いのにも怒っているんだと気づいたし、やめて!もうやめて!と最初の2発くらいは叫んだが、父の瞳のギラギラしたのを見て体の小さく縮められるパーツを縮められるだけ縮めて、ごめんなさい、痛いです、許してください、早く帰ります、と言うことしか出来なかった。
母はその時何か言ったのか、何も言わなかったのか、止めてくれたのか、ただ見ていたのか私は記憶にない。
もういい!勝手にしろ!こっちの手が痛てぇわ!さっさと寝ろ!!
そう怒鳴って父は赤くなった両手を擦りながら寝室に向かった。母は犬を丁寧に布団に戻し、私を見て(この時何か言ったのかもしれないが、この時心臓のバクバクしている音と耳の横の太い血管がシュウシュウ音を立てて流れている音しか覚えていない。私をチラリと見たのだけは記憶している)父のいる寝室に向かった。
私の人生で聞いた無慈悲な音はその時のリビングの扉がバタンと閉まる音で、ようやく終わったんだ、と土下座の格好で声を殺してワンワン泣こうとした。
ワンワン泣いた、なんて言うほど涙が出なくて、でも頬を伝った涙の跡が滲みた時に、今私の顔はどうなっているんだろう?と思った。
震える手で鏡を見て番長皿屋敷のお岩さんみたいな酷い顔の女がいた。それを見て顔を冷たい手で触ってからワンワン泣いた。明日仕事なのにどうしよう。
もう夜中も過ぎて、深夜だったが私は幼馴染のA子に電話した。
『A子寝てたよね、起こしてごめん、親に顔を殴られちゃって顔がすごいことになっちゃって、明日っていうか今日だけど朝もし時間あったら、コンシーラーで何とかするの手伝ってくれない?』
『えっ、大丈夫かよ。いや大丈夫じゃないじゃん。明日仕事ないからいつでもおっけーよ!』
『ありがとう、朝寄らせてもらうね。』
少しでも顔の腫れが酷くならないように、タオルで冷やしながら、なんて表現したらいいのか分からないグチャグチャの気持ちが喉に詰まって息が苦しかった。

朝、そそくさと家を出てA子の家に行った。あんたも私の娘よ!とアハハと笑ってくれるA子のお母さんが玄関を開けて私の顔を見て「あらー、どうしたの女の子がそんな顔で。痛かったでしょう、可哀想にねぇ……早く入りな!」と招き入れてくれた。
「ママン、私これで仕事行きたいんだけど、結構腫れてる?鏡を見てもヒドイなしか分からんくて、自分の顔わかんなくなっちゃったよ。ママン大丈夫かなぁ。」
「だ~いじょーぶ!A子お化粧上手だからね。でもどうしたの!?って心配されちゃうかもよ?」
「大丈夫、私今ドジっ子って職場で言われてるし、顔に2本真っ直ぐのアザがあるから、駅の階段でてっぺんから落ちた~って言うから!多分みんな笑って信じるよ!」
私はそこでようやく笑えた。
モソモソ起きてきたA子とA子のママンに、いや~昨日めっちゃバイオレンスでさ~なんておどけて面白おかしく説明した。笑ってないとやってられなかった。
A子はせっせと下地を塗ってアザや傷をコンシーラーで消してファンデーションをはたいてくれたがたが青アザは蒙古斑の様に浮き、赤い傷は薄赤く走り、片目は腫れて口の横は切れた所が盛り上がり、何とかしたけどもなんともなりませんでした、という顔になった。
多少チークで赤みは隠せても蒙古斑なアザは少し浮いていた。
ただ、どすっぴんの一番ヤベェ顔は昨夜から何度もまだ腫れてる、ここも腫れてる、ここは切れてるなんて何度も鏡を見たのと、疲れてるのに一睡も出来ずおどけて喋ってナチュラルハイになっていたのでこれは仕事行けるわ!と思った。
「どうする?」
A子は恐らく、これでも仕事行くの?という意味で私に問うた。
「ありがとう、もう時間だし行くわ!本当に助かったよ。本当にありがとう。」
私は普通に仕事に行った。

当然職場で全員から『お前顔どうした!!?!?』と聞かれたがもうそれは当たり前に誰もが聞くと思っていたので、昨日さぁ、終電の一個前乗りたくて走ってホーム行ったらさぁてっぺんからけつまづいて落っこちた上に終電の一個前の電車目の前で!閉まったの!有り得なくない!?なんて口から流れる様に嘘をついた。
HAHAHA、馬鹿だなーー!気をつけろよ!なんてみんなは言ってくれたが、何人かはなんかあったんだろうなと勘づいたと思う。それ以上何も言わないでくれた優しさが優しすぎて辛かった。

二度と仕事に行けないようにしてやる、と言われて殴られたのでその日は電話がなる度にビクビクしたし、誰よりも電話を取るように心掛けた。なんかあったら私が出てぶち切る方がいいし、最悪こっそりかかってきたら受話器上げとこう。なんて思っていた。
危惧していた電話はかかってこなかった。
その日はずっと呼吸が苦しかった。
家に帰ると「その顔で仕事行ったんだ、その根性は凄いわ。そんなに職場が好きなんだ?それともそんな顔でも何も言わないで上司はお前を働かせたの?なんか上司に弱味でも握られてるの?馬鹿みたいだね。」
ビールを飲みながらそう言った父に小さく「うん」と返して部屋に閉じこもった。
明日は仕事休みだ、と思ったら涙が滝のように出た。そしてそのまま泥の様に眠った。
あまりに息がしにくく痛いのが続くので整形外科に行った。レントゲン撮ったらあばら骨が2本程ほんのりヒビが入っていて『アバラはねー折れやすくできてるから!固定できないし、痛み止めの湿布だけ出しとくね!』と医者に言われた。

その次の出勤日、私は閉店作業をするシフトになっていた。父はおらず、母だけが家にいたがあれだけ痛い目見たら閉店作業しないで帰ってくると思っていたらしく、私は普通に閉店作業をこなして家に帰ると、
「こんな時間(終電で帰ったのでもう時間は25時近かった)までどこほっつき歩いてたの?もうしません、反省しますって言ってたよね?」と問いただした。
「もうでてしまってるシフトは変えられないよ、次のシフトからは21時上がりになるけどお父さんの言ってた20時上がりはすぐには無理だと思う……。」
「はぁ?じゃあ帰ってくんな!」
「ちょっと待ってよ、家に入れて!」
玄関で入れて、帰ってくんなの押し問答が続き、そもそも既に数日前から満身創痍の私と無傷健康飲酒の母に私が腕力で勝てる訳もなく痛む腕を庇った瞬間にドアの隙間から突き飛ばされて鍵を締められた。
私はインターフォンを鬼のように押したが『いい加減にしてくれる?何時だと思ってんの?』と言われてインターフォンの電源を切られたのでもう為す術もなく、歩いて20分の交番まで歩いて移動した。
もうなんて惨めなんだろう!以外の言葉が出てこなかった。いい歳した女がえぐえぐ泣きながら交番まで2車線道路をとぼとぼ歩くのもなかなかエグいものがあるが、そうしてたどり着いた交番は電気が煌々と着いているだけで施錠され誰もおらず、何かあったらこちらにと書かれている電話番号に電話をかける気力もなく、私は更にそこから45分かけてJRの駅まで歩いて駅前交番に入った。
「親から暴力振るわれて、給与も取り上げられて、勝手に口座の暗証番号まで変えられて、家まで追い出されたんですけど、私はどうしたらいいですか?」
若い警察官は困った顔で奥に消え、別のおじさん警察官が出てきた。一語一句違わず同じ事をもう一度言うと「家庭内の事はねぇ、なんにも出来ないんだよね。」と苦笑いして言われた。
「勝手に、本人が居ないと出来ないはずの口座の暗証番号変えるのって家族でも犯罪になりませんか?」
「なるにはなると思うけど、難しいねー。親御さんに電話してここまで来てもらう?」
「もう、結構です。」
終電もなくなった駅の路線バスの待合ベンチに座ってこんなに惨めな人はいるか?と思った。年齢確認されたけど、19歳と言っても保護されもしなかった。
携帯の充電は20%も無くて、でも1人でいるのは寂しくて悲しくて堪らなかった。迷惑だって分かっていたけれどまた私はA子に電話をした。
『遅くにごめん』
『今度はどうしたの?笑』
『家を追い出されてしまった。笑』
『え、大丈夫……?』
『ごめん、大丈夫じゃないかもしれないいいい』
夜中に電話するだけでも迷惑だが、突然の号泣はあまりにも迷惑が過ぎると思う。
『待って、今どこに居るの、迎えに行くから待ってて。動いちゃダメだよ!』
30分くらいでA子は自転車で現れた。
「本当に申し訳ない気持ち、以外言えないんだけど、私もうどうしたらいいか分からなくて、」
「いいよ、家に泊まりなよ。私は明日仕事だからさっさと家でちゃうけど。」
2人で45分、駅からA子の家まで歩いた。
途中からジャンジャン両親と知らない番号から電話がかかってきて、充電もゴリゴリ無くなった。
両親の電話を一旦着信拒否にして、充電は3%。
まだその時はパカパカする携帯、いわゆるガラケーを使っていてA子と私は全く違う機種を使っていて充電器借りれなかったので電源を落とした。
迷惑家出少女はA子が仕事に行ったのも気づかずに爆睡し、朝はA子のママンの作った朝ごはんを食べ「追い出されたらまた来な、あんたも私の娘だからね!」と言われて送り出された。
何食わぬ顔で仕事して、夕方上司に呼ばれた。
「さっき、お母さんから電話あったけど、お前昨日家に帰ってないのか?」声は少し怒っていた。
その怒った声が怖くてどこかがジクジクと何かが痛んだけれど絞り出すように言った。絞り出すよう言わないと泣いてしまうと思った。
「……帰りましたよ、家から締め出して帰ってくるなと言われてしばらく玄関外にいましたけど、家の電気が全部消えてインターフォンも電話も繋がらなくなったので友達の家に泊めてもらいましたけど。」
「事情は俺には分からないけど、とにかく今目の前で家に電話して今から帰るって言いなさい。あと、家に帰って今後の事をよく話し合うって俺と約束して。明日からお前は2週間休みだから。」
ゴーーンと頭を金槌で殴られた様に感じた。お前はこの店に、要らないと言われたのと同義だと思った私は「休みはいりません、シフトもうでちゃってる分は働いてその後新しいシフトからの休みでいいです!」と慌てて言ったが上司はピシャリと「いいから休んで欲しい。またお前をシフトに入れて電話されたりしたら逆に業務に支障が出るから、ちゃんと話し合って、シフトに入れるのか、もう続けないかもちゃんと決めてきて。」
あの時の私は(仕事で必要とされている)というのを軸に生きていたので本当に目の前が真っ暗になった。
上司とチーフの見守る中、レジ前で家に電話して父に「今から帰ります」と言って電話を切った。スタッフにしこたま謝って家に帰った。

家に帰ると母は買い物に出掛けていて、父だけが家にいた。
昨日はどこにいたんだ?A子の家。親御さん知ってるのか?知ってるよ、ご飯も頂いた。どれだけ心配したと思ってるんだ?ごめんなさい。

もう父の言葉なんて右から左だった。
もう何もかも本当にどうでもよかった。

「A子の家からそのまま仕事行ったのか?」
「うん。」
「で?職場でなんか言われたのか?」
「2週間休みにするからちゃんと話し合いなさいって言わ……」私は最後まで言い切る前に号泣した。涙が止めどなく流れて我慢しようとしても嗚咽が止まらず言葉にもならなかった。
「仕事休みになるのがそんなに嫌なのか!!」
そう怒鳴って父はリビングに消えた。
両親揃ってから、着信拒否にしやがってだの調子乗りやがってだの色々言われたがもう仕事出来ないかもしれない。という方が辛くて全部に、はい、すみませんでした、ご迷惑おかけしました、もうしません、と返したと思う。
その翌日も家でしこたま文句を言われ、はいすみませんもうしませんを唱え続けた。その日は集会で虚無の私に園芸長老が声をかけてきた。
「さくらちゃん家出したんだって?兄弟が電話しても出ないし、お父さんもお母さんも心配していたよ。」
はぁすみませんでした、兄弟の携帯知らなかったし充電無かったので。とハイライトの消えた目で答えると兄弟は居なくなった。
母親と話をしているのを横目で見た。どうせ私の反抗の精神が云々の話だろう、と思った。

後日母と今後の仕事について話し合って、必ず21時上がりでサッサと帰ってくると言うことで仕事は落ち着いた。家に2週間いた間、私の頭に1円玉位のハゲがうなじに出来たり、ご飯を食べては吐いて、10本の指の爪は肉が切れるほど歯で噛みちぎった。全部無意識だった。

2週間後『ご迷惑おかけしてすみませんでした』とスタッフに言い回り、私は職場に戻った。
その2日後はたまたま20歳の誕生日で、前月のチーフの誕生日に調理長の独断で調理場メンバーだけにカンパでお花とケーキを買った事で『チーフに媚び売りたいからそういう事した』なんて部下に言われた調理長が、そういう訳じゃないよ~と言う意味でポケットマネーで私にホールケーキを買ったら、自分だけが特別だと思ったチーフは小娘()が調理長直々にもう仕事上がりだとは言え、業務中にホールケーキ買ってもらって歌って祝われたのが大変気に食わず、その数日前まで突然2週間仕事を休んでシフトに急に出なくてはならず快く思っていなかった同期を巻き込んで非常に居心地の悪い思いをさせられ、初めて誕生日でホールケーキを買ってもらってロウソクを吹き消したのに、ケーキはしょっぱくて少し悲しい味がした。
その日は17時上がりで、速攻で着替えて電車に飛び乗った。金曜日の集会に間に合う様に。

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