鞭の話(幼少期)

エホバの証人と聞いて、まず思い浮かべるのはなんだろうか。

輸血をしないだとか、選挙に行かないだとか、誕生日を祝わない、だとかそういうものが思い起こされやすいと思う。
敬虔なエホバの証人は「聖書にはこう書いてあります。」なんて前置きをしてスラスラ聖句を言って「だから私たちは聖書に書いてある神の言葉に喜んで従いたいと思っているのでこういう事はしないんです。」なんて言う。
喜んで神に仕えたい人は仕えたらいいと思う。
普段より7倍熱くした炉に放り投げられようが、突然国家反逆罪で逮捕されようがその人自身の信仰や信念はその人自身のものであるからである。迫害されようが、尊重されようが、認められているのが信条の自由であり、何を信仰するかは個人の自由である。

それはあくまで、自ら考えてそれを選んだ1世の親達の世代の話であるが。

宗教2世はそうはいかない。
「そんなの親に反抗したらいい話でしょう?やらなければいいだけでしょう?」なんて軽々しく言う人達も中にはいるけれど、一言言わせてほしい。
____じゃあ、あなたが2世の子供として産まれてきたらよかったのにね。

衣食住を完全に親に依存している子供が『親を敬わない子供は如何なる手段でもいい、懲らしめて矯正しろ』という大義名分を宗教組織から与えられている親に抵抗して行き着く先は子供が立派な2世として生きるための虐待である事を知らないなんて幸せですね。羨ましい限りですわ。というのが私自身の気持ちである。
私もそんな家に生まれたかったな。


平成もまだ一桁だった頃、私はエホバの証人の子供として産まれた。
元々心臓の弱い上に、麻酔が効きにくく血液が凝固しにくい体質の母は妊娠中絶を医師から勧められたそうであったが『人工妊娠中絶はいかなる理由があっても殺人である』というエホバの証人の教えに背く事が出来なかったので私の妊娠継続を決意したそうだ。私は母の胎で受精した瞬間からもう2世として育てられる事が決まっていたのだ。
母の妊娠期間はかなり大変なものだった様で妊娠初期から流産しそうになっているのを無理やり点滴で抑えて、正産期になるまで24時間点滴したり、絶対安静でトイレと食事以外は寝たきりで座るのも禁止、帝王切開は心臓も持たないし、麻酔も効かない、血も止まらない、加えて輸血も出来ないので絶対無理なので経膣分娩一択というハードなものだった。
(カルテが入っているクリアファイルに赤いマッキーで大きく『エホバ』と書かれたそうだ。)

で、なんとか産まれてきた子供は睡眠障害で4歳まで3時間以上まとめて寝ることの無い、体力おばけでこれぞADHDと言わんばかりの不注意と多動と興味のあるものにだけ過集中する子供で、初手から詰みである。私がそんな子供満身創痍で育てる事になったら多分産後うつになる。相当育てにくい子供だったろうな、と自分の幼少期振り返ると思う所は多々あるので、親の目から見たらそれ以上の苦労があったと思う。

じゃあ尚更、親の言う事聞いて親を敬いなさいよ。と思われるかもしれないけれど、多動児とエホバの証人は恐ろしく相性が悪い。
もう今ハルマゲドンが来い、と思う程に相性が悪すぎる。

今はリモート集会らしいが当時は週3回エホバの証人の王国会館という宗教施設で開かれる周回に2~3時間大人が聴く内容を子供も椅子にじっと座って大人と同じ様に話している内容をノートに取り、演壇から話されているタイミングで聖書を開き、聖句を目で追い、そして大人と同じ様に集会前に予習してきた場所を手を挙げさされたらマイクを取って注解する、手を挙げてもさされなかった時に椅子の前後に座っている人が当てられたらマイクを取ってその人にすぐさま渡す……という事が求められた。
自慢ではないが、私は知能指数だけは高く毎回テストで【6M+】という知能の発達は現在の月齢より6ヶ月以上上の発達段階ですよ、なんて結果を叩き出していたので同い年の子供(と言っても幼児であるが)よりも出来ることが多かったので、要求は高かったと思う。

私は、椅子に今でもジッと大人しく座っていることが出来ない。
今現在テレフォンアポインターの仕事をしているがこれは時給がいいからやっているのであって本来はやりたくない仕事である。椅子にじっと座っていることが苦痛で堪らないので事務などの仕事は本当に向いていない。
貧乏揺すりはしないけれど、足はブラブラするし右の足を組んでは左の足に組み直し、コロコロが付いている椅子で座面も360°回るので椅子の脚に自分の足をかけて左右に揺れたりかなりウザイ人だと思う。個人の事業所でアポインターがMAX4人しか1日に入れない会社だから出来るフリーダムであると思う。
多分、ハンドスピナー回しながら電話してもいいならジッと座れると思う。3時間くらいなら。

大人になって抑え気味に頑張ってもそんな人間なので理性より本能で動いてる子供の頃はまずじっとできない。貧乏揺すりしたいし、椅子に座っても足がつかないから脚もブラブラしたい。今開かないといけない聖句よりも自分が好きなルツ記の物語の部分読みたいし、ソロモンの歌(雅歌っていうんです?他の聖書は)でソロモン王のダサいポエム読んでたい。あなたの歯は洗いたての羊のようだみたいな寒々ポエム読んでいたい。ノートはお絵描きしたい。ノート書かなくていいから話を聞けと言われたら演壇の兄弟を見つめるよりも飾られてる花の花弁の枚数数えたくなるし、それがダメなら2分に1回首鳴らしたり指の間接鳴らしたり、それすらもダメで究極に何も出来ないならば、眠くなっちゃう。
エホバの証人的にダメな子供の爆誕である。

集会中にそういった事をしたら我が家ではシミリ(多分方言)と呼ばれていたが、初めは太ももを思い切りつねった指をねじられる。これは飛び上がるくらい痛くてアザができる。ここで問題行為を辞めたら終わりだが、そのシミリをされた時に『今寝てませんけど!』などちょっと反抗的な態度を取るとすぐさま腕を捕まれ抵抗してもトイレに連れていかれる。鞭である。

鞭、とは文字通りの鞭である。
は?子供に?どういう事?と思った人は本当に良い家庭で育てられたのだろうと思う。
エホバの証人ものみの塔聖書冊子協会は近年「そんな事指示なんてしておりません。体罰?はて?なんのことでしょうか?」とすっとぼけて都合の悪い物を隠してしまっているが、実際には『体罰は子供の命を救うものともなります。なぜなら、神のみ言葉聖書には、「単なる少年から懲らしめを差し控えてはならない。あなたが彼を細棒でたたいても、彼は死なない。細棒をもってあなたは彼をたたくべきである。その魂をシェオールから救い出すために」とあるからです。さらに、「愚かさが少年の心に結び付いている。懲らしめの細棒がそれを彼から遠くに取り除くものとなる」とも述べられています。(箴 23:13,14; 22:15) 子供の生がいにわたる利益を大切に考える親なら、弱気を出したり、うっかりしたりして、懲らしめを与えずにすますようなことはないでしょう。必要なときには愛を動機として賢明かつ公正な処置を講じます。』と今では絶版になった冊子にははっきりと書かれているし、私が産まれた1993年11月には当時4歳の男の子が懲らしめの鞭で亡くなってしまうという事件が起きた。(その事を問うと、大抵「その人はエホバの証人の研究生であったのでエホバの証人の鞭の用い方を曲解してしまった痛ましい事件なんです」と他人事かつ被害者の様な答えが返ってくるので鞭2世としては非常に腹立たしい。)

懲らしめの鞭が1番酷かったのが80年代~90年代で子育てに関するプログラムが扱われた時には「我が家は100回叩きました。子供はその後見違える程言うことを聞くようになりましたし、『鞭するよ』とか鞭を見せるだけで泣いて悔いる様になりました。」などとドヤ顔で鞭で子供が『自主的に』にエホバを賛美するようになった成功体験が各地で語られる様になり、某風邪薬のCMではないが「あなたの家の鞭は何?」「私は布団叩き」「私は竹の物差し」「ガスホース切ったもので叩く方がかなり痛いみたいだし、折れなくていいわよ」なんて話題で盛り上がる親達を私は見た事がある。
こういう事を書くと必ずヤブ蚊の様にわいてくるのが『今はそんな事してません!エホバの証人を貶めたい背教者の言葉を信じないで!今では鞭は用いられていません』なんて言い出すエホバの証人がいるが、何も知らないのはその人達だけであり、エホバの証人という組織が隠蔽化・陰湿化した上でバリバリ鞭を使っていた親世代が研究の指導をしていて神の名において子供たちを正しい道に導く為に子育てにも口出ししているので今現在鞭をされている子供はいないなんて言い切るのはナンセンスであり、ただその人が無知なだけだと思う。

今ではエホバの証人の施設内で鞭は控えるようにとお達しがあるので集会中騒いだ子供は「帰ったら鞭です」と耳元で囁かれ家に帰ってから叩かれるようであるが、私は狭間の世代だったのでその場でしっかり叩かれた。
トイレの個室に親と2人で入り自ら下着を下ろして親が叩きやすいようにスカートをたくしあげて尻をつき出す。
下着を下ろすことを渋ったり、声を上げて泣いたり、思わず鞭を避けたり、、をすると鞭が追加される様になっていて最後に「ありがとうございました」と言って終わるのが流れであり、あまりに理不尽な理由で鞭をされ『叩きやがって』みたいな親の目から見て反抗的な態度が表情や態度に出てしまうと終わったはずの鞭が追加されてしまうので、いかに悲しそうにもう二度としませんという態度を出すかにかけていた。
私自身が1番覚えているの鞭は、寝ているのを何度も起こされたのに「寝てない」と言い張り、最後に起こされた時に「寝てないって言ってるのに!」と逆ギレかました時、母に無言で腕を掴んで引きずられるようにトイレに行き(また鞭か)と思ったらトイレに入った瞬間「嘘つきやがって!」と髪の毛を鷲掴みにされ「そんな嘘ついている口は洗って綺麗にしてやる」とみんながトイレ使用後に使っている所々黒ずみだいぶ角の丸くなった石鹸を口に入れられた時の事は忘れられない。
皆さんは牛乳石鹸を食べた事があるだろうか?ミルクのいい匂いがするけれどおすすめはしない。
甘い匂いとえづく苦味と舌がしばらくピリピリした事だけはお伝えしておきたいし、私の歯型がくっきりついたその石鹸は最後まで使い切られた事もお伝えしておきたい。自分がトイレで手を洗う度にしっかり残った歯型を見てどんなに酷く悲しくて恥ずかしい気持ちになったかも。大人になって語彙力が増えた時に、あの時の気持ちは『酷く悲しい、恥ずかしい』ではなくて『惨め』だったんだ、と気付いたことも。

私は本当に親に対してというよりエホバの証人の教えに対して反抗的な子供であったので実の親から何度も『サタンの子』と呼ばれていた。
鞭の話はまだあるが、幼少期はこんなもので済んでいた。幼少期は。

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