ピザちゃんとその家族の話

私の地元の会衆にはクセ強芸人ならぬクセ強エホバの証人がゴロゴロ転がっていた。
犬も歩けば棒に当たる、さくらも歩けばクセ強JWに絡まれる。

ただ、笑い話にすると自分の当時悲しかった(当社比)出来事も面白く昇華できるかな?と思うので今月はその独特な兄弟や姉妹やその2世の子供たちや研究生(もう離れてしまったので今も研究生か進歩してバプテスマ受けてるかは知らないので、あくまで当時の立場で)ほんの少ししかフェイクは入れず、ありのままに書こうと思う。

ほんの少ししかフェイク入れないので(あれ、もしかして、あの人では……?)って気づいた方いらしたら多分地元どちゃクソ近いのでDM下さい。笑
地域大会は幕張メッセぞ?とだけ書き添えておきます。


最初に。
私はそこそこ年の離れた、年下のピザちゃんが大嫌いである。
今は地元の隣の会衆の区域に住んでいるので買い物だったり色々被るのでなるべく出会ってしまわないように彼女とその家族(特にピザ母が苦手)なので似たシルエットの人に会った時は静かに気配を消している。

なぜ「ピザちゃん」と呼んでいるかというと、元ネタはネットスラングの『ピザでも食ってろデブ』のピザである。
チー牛、みたいな悪口である。ごめんね、わたしは君をこっそりそう呼んでいる。今でも。


そもそも、私はピザ母とピザ兄がすこぶる苦手であった。
1番ピザ母とピザ兄の関わってきた古い記憶は私が幼稚園の時の記憶であるけれど、ピザ一家がお父さんの仕事の都合で海外にお引越ししないといけない~という状況で、お昼ご飯か何かを持ってピザ宅に伺ったら「お前らマジで明日明後日で海外行くんだよな?もしかして夜逃げ?」くらい普通にお邪魔したお家の雰囲気でピザ兄は雑然とした子供部屋で床に布団敷いておでこに熱さまシート貼って寝ていて、全く状況が分からないまま母に「ピザ君とここにいて。」と言われ、(ご飯渡したらすぐ帰ってお家でお昼ご飯食べるって言ってたのにな……)と空腹抱えて座っていたらバン!と子供部屋を開けたピザ母に「さくらちゃん!なんでそこに座っているの!?早く部屋を片付けて!」と怒鳴られ、片付ける?あっしがですかい???となりながら散乱しているおもちゃを適当に段ボールに詰めた。

だいぶ大きくなって、ほぼ同じシチュエーションに出会ったので「そういえば、なんであの時私ピザ兄の部屋を片付けなければならなかったのだろうか?」と思い出して母に問うと、
「ピザ姉妹はねぇ!みんなから海外に荷物送らないといけないから早く荷造りした方がいいって言われ続けたのに『大丈夫!』って言い続けて引越し3日前くらいに全く何の荷造りもしてなくて群れのみんなに掃除と荷造りさせたの!昼食の援助って話だったのに、荷造りさせられたし敷金礼金帰ってこないでしょ?ってくらい汚い部屋の掃除もさせられたんだから!」と怒っていた(この後に書くが、ピザ母は全く同じシチュエーションを繰り返す)。

要するに、あの時幼稚園児だった私は引越しの段取り全く出来てない上に子供が風邪ひいたかなんかして寝込んでる部屋の掃除をさせられたのである。
よく考えたら、当時小学校中学年~高学年であったであろうお前、幼稚園児がせっせと片付けてる中よく手伝いもせず微動だにしないで布団で寝てたな、感心するわ。


そして経つ鳥跡濁しまくって海外に行き、新たなニューフェイス、ピザちゃんと共に数年後一家は帰ってきたのである。

最初、私はピザちゃんが来たのが嬉しかった。
歳が1番近い子は一個下の長老の息子(この一家も難アリ)で、1番歳の近い女の子は学年が5~6個離れた年上の全く会話が合わないお姉さん達で女の子は私しかいなかった。
そこに彗星の如く現れた年下の女の子である。お姉さんになれる。そう思った。

当時、私は小学校中学年で学校ではラメラメや匂い付きのペン、缶々の筆箱(落とすと死ぬ程デカい音するし秒で本体凹む)や布のアホみたいにデカい筆箱、プロフィール帳やらブロックや布やコルクの変わったシールとシール帳とかがめちゃくちゃ流行っていた。
私の家では父方祖父母から連名で貰えるのみのお年玉は一旦全没収、そのうちの1,000~3,000円程度が親と相談で好きに使える金額だった。
当時ゲームを買った残りを何に使うか相談して、本当に今でもよく覚えている、絶対集会の予習するから!と、コアラのマーチとかの匂い付きのセボンスターみたいな六角形の可愛い箱に入った7本入で750円くらいだったちょっとラメ感のあるペンのセットをお年玉から買ってもらった、アピタで集会の行きに。

特にコアラのマーチいちご味の香りのピンクのペンが本当にいい匂いで、ペン先鼻の穴に刺さるんじゃね?ってくらい近づけてペン吸いしたり、メモ帳にくだらないメモ書いてメモ吸いしたり、にゃんこよろしく吸っていた。
そのくらい大切にしていたペンとメモ帳を持って、ピザ一家の家に行く事になった(フラグである)。
見せびらかしたい気持ち半分、肌身離さずペンを持っていたい気持ち半分で、私はピザ宅に母と伺った。

ピザ母と実母がなんか話している横で、私はピザちゃん(当時まだ幼稚園児くらいだけれど幼稚園には通っていなかったはず)から海外の話聞いたり、自分の通っている学校の話したり、ピザちゃんの画用紙に持参したペンでお絵描きして匂いを2人で嗅いでいた。
ピザちゃんがいたいけな幼女であったのは重々承知しているが、お前自分のペンじゃないからって書きすぎじゃね?ってくらい遠慮なくガンガンすいすい画用紙にペン先からインクを伸ばしていくので、私は途中で「もうおしまいね!」とペンを取り上げてカバンにしまおうとした。
ピザ母は人の家に半日居座っても帰らないくらい話が長い人なので、早く帰りたい母はその様子を見て「そろそろ帰る」みたいな話をした時に事件は起きた。


ピザちゃんが爆音で泣いてフローリングに転がったのである。


私はそんな事したらボコボコにされる系の家庭に生まれ育ったので、ピザちゃん、おま、鞭やぞ?と思って慄いたがピザ母は「ピザちゃん~ピザちゃん~」と終始帰って欲しくなくてギャン泣きしているピザちゃんをヨチヨチとしていた。
うちの母は遠慮が無いので「じゃあ帰りますね~」と帰ろうと私の肩を押したが、私は帰れない。
ピザが私の大切な匂い付きペン握りこんで床ローリングイヤイヤしているからである。

「ママ……私のペン……。ピザちゃんが持ってる……。」とこちらも申し訳なさそうに言うと、ピザ母は私に言った。

「ごめんね、ピザちゃん引っ越してきたばっかりであまりおもちゃ持ってないから こ の ペ ン 欲 し い み た い 。」

------嫌だが???
私は大人からそんなお願いされたのは初めてで、本当にびっくりした。泣いて与えられるのならイエスは四十日四十夜断食して泣いたらサタンからこの世の全て貰えただろ、ふざけんな。とは今では思えるが、小学生の私は酷く動揺した。

目の前には泣き転がってぐちゃぐちゃの顔のピザちゃんとペン寄越せと言ってる大人。
背後には(なんでもいいからさっさと帰りてぇわ)オーラを出してため息をついた実母。
うっかりここで『ヤダヤダ!ペンあげたくない!だってまだ買って3日目だもん!ぴぇん!』なんてしたら確実にぶっ飛ばされる。私が。

私は7本の中から1番個人的あげてもいいかな?という微妙なカラーを、冬限定パイの実のくすみブルーとコアラのマーチ(通常)のくすみグリーンを見せてピザちゃんに見せた。
「イッポン……アゲルヨ……」
「いらなーーーい!!!!」

よっしゃ!いらん言うたぞ!けぇるぞ!!!

「ピ ン ク が い い !!!!!!!!!」
ふざけんな!解散!!!!

そして私は背後から撃たれる。
「あげるって言ったんだから1本あげたら?」と母は呆れた様子でそう言った。
次の瞬間、ピザは私の筆箱からピンクを抜き取りさっきまで泣いて顔面ぐちゃぐちゃだった人とは思えない上機嫌さでニコニコと玄関までピザ母と一緒にお見送りしてくれた。
「さくらちゃんありがとうね~」


私は帰りの車でメソメソ泣いて、母から「じゃあ最初から断ればいいのに……」と溜息をつかれた。
あれ、断っていいなら先に言ってよ。とは口が裂けても言えなかったし、ぶっちゃけピンク以外は匂いしか良くないカラーのペンだったので、私のお菓子の匂い付きペンへの熱意はスーーーっと冷めた。


ピザ母はかなり間があいて生まれたピザちゃんがどんなにメタボリックでも、御本人がメタボリックだからなのかハチャメチャに溺愛していた。多分鞭とかされた事無いんだろうな。くらい溺愛していた。
ピザちゃんは小学生になった頃、後ろ姿がオバチャンにみえるくらい背脂が付いていてガタイもよく、とある姉妹に通りすがりに「立派!」と悪気無くその立派な背脂を小気味良い音を立ててパンパンっと叩かれた時に嫌な顔するくらいデブには気を遣わなくても内面も外面もグッドルッキングガールだとピザ母は信じて疑っていなかった。

食べたいものを好きなだけ食べ、その身と同じくらい大きな愛をもって育てられたピザちゃんは集会中思い切りハナクソほじって指先についたそのハナクソをピザ母に見せるとあらあら仕方ないわね!とばかりにピザ母がティッシュで指先つんであげるくらいビッグな愛で育てられた。
その弊害は、小学生になっても自分の嫌な事があったらギャン泣きしてでも押し通す、に現れるようになった。

そう、ピザちゃんはいじめられっ子(……というより、周りの子がドン引きしてあいつには話しかけんとこ!みたいな感じで避ける)になったのである。

「ほら、うちの子エホバの証人でしょう?できない事が多くて、世の子からいじめられて学校に行けないの……。」とピザ母はあちこちに言いまくっていた。
私の友達がピザちゃんと同じ集合住宅に住んでいて、運の悪いことに妹ちゃんがピザと同学年だった時、お母さんが何も知らなくて勝手に「妹ちゃんと遊ぶ約束した~」と来たピザちゃんを家に入れてしまい、帰宅した妹ちゃんが自室で勝手に遊ばれていてショックを受けピザちゃんを何とか家から出した後「私がいじめられるからあの子絶対家に二度と入れないで!」と泣きながらお母さんに言うくらい、ピザちゃんは忌み嫌われていた。
分かるよ、私も同じ気持ちだ。

そんなこんなで、会衆の区域内で隣の学区に引っ越す事になったピザ一家、自分は半日、人の家に「もう帰ったら?そろそろ夕飯だし……」と言われても「ウチは大丈夫だから!」とゴリ押しして居座る系なのに頑なに自分家には人入れないと思ったら汚家でした!という事実と、もう家の退去日近々に迫ってるけどなにも準備してません!という激しいデジャビュで会衆総出レベルで荷造りとお引越し、汚家の汚掃除が開始された。
エホバの清い民は綺麗な言語て話して身体も家も清潔にって一体なんだったんだろうねwwwって今なら思う。
敷金礼金取られたらたまらないから掃除して!と言って掃除させてたけど、サッシも窓枠もカビだらけだし、むしろプラスでお金取られそうだわ。というお家を何とか綺麗にして新しいお家、新しい学校で生活をスタートさせたピザちゃんは『エホバの証人の子供だから』新しい学校でも迫害されて大変だったらしい。

私は口が滑ってピザ母に言ってしまった。
「そうでしょうね。」
次の集会の時、掲示板に張り出された割り当てを確認していると、肩を掴まれ振り向くと、涙目のピザ母に「さくらちゃん!前の集会の時の!本当に傷付いた!謝ってください!!」言われた。
これが噂の謝罪と賠償ニダってやつか……とザワつく掲示板の前で「あー、すみませんでしたねぇ」と軽く謝って帰った。母伝に「なんか凄い怒ってたけど、何言ってるかよく分からなかったから『何言ってるかよく分からないけどうちの子がすみませんね、そういう子なので構わないで。』って言っておいたから、あんたも構わないように。」と釘を刺された。


お約束の通り、こちらからは近付かないにも関わらず、ピザ母は私の節目節目にそういう揉め事はこりん星に飛んでいきましたわ!とばかりに近付いては喧嘩を売ってきた。
うちの母に「ピザちゃんはお下がり貰えなくて~!お下がりあったらなんか頂戴ね!」とか、私に「そのお洋服可愛いね!どこで買ってるの?」と言ってきて「MLサイズ展開なのでピザちゃんには着れないと思いますよ。」と悪気なく返してブチ切れられたり理不尽な目にあいながらも、唯一私がピザちゃんにお下がりまわせそうな服があった。
赤いチェックの組曲のワンサイズ大きめに着るのが可愛いジャンバースカートである。
ジャンバースカートってちょっと子供っぽいし……とそれをお下がりでまわした。
次の週の集会でピザちゃんはそれをジャストサイズで着こなしていた。
ダボダボデザインってあんなにジャストフィットする事あるんだ……!と感心していると、スススーっと這い寄ってきたピザ母は私にドヤ顔で宣った。

「さくらちゃんにはブカブカだったけど、うちのピザちゃんにはピッタリで着れたわ!(要約:お前は貧相で着こなせて無かったけど、ウチの子にはピッタリでよく似合っているわ!)」

乾いた笑いしか表面に出てこなくて助かった。


そうやって、学年が4つか5つ離れている私に謎にピザ母は張り合ってきた。高校受験で県内で人気のちょっと変わった高校に入学したら「フーン、うちのピザちゃんもあまり頭が良くないからそこでいいわ(要約:あなたが受かるならウチの子が受からないはずがないから制服と受験対策問題集クレクレ)」とかことある事に丁寧に神経を逆撫でしてきたので、私が集会に来なくなった時はさくら母姉妹、子育て失敗してpgrと喜んでいたらしい。
そりゃ自分の子供、ピザ兄もピザちゃんも生き残ってるもんね。

お母さんはお気付きでは無いようですが、フリーターです!週3~4この曜日のこの時間でなければどの時間でも入れます!って採用されたアルバイトで「もう来なくていいよ」とか「全然忙しくないから今月お休みしてください」っていうのは、エホバの証人だから迫害されてシフト入れてもらえないのではなくてマジで仕事できないしむしろ人件費削減で1番削りたい人ナンバーワンって事だし、1回採用したら会社都合でクビってなかなか難しいから、自分から「辞めます」って言ってほしくてそういうシフト組まれてるんですよ。

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