①閑話休題:ベテルに電凸した話(長いよ)

この話には痛い表現がしこたま出てくるので、痛い表現が苦手な方は読まない方がいいと思います。私はこの記事を書くのに1週間かかって、書き終わるまでに3回泣きました。
なるべくあまり痛くないようにソフトタッチに書くように心がけましたが、苦手な方は見ない方がいいです。(注意喚起しないで公開しちゃったので悩んで15分後に書き足しました)


神奈川県海老名市、と言えばメロンパンだのスタバ併設オシャンティー図書館だの、色々楽しい物がたくさん出てくるが、エホバの証人的に考えると一言『海老名ベテル』に尽きる。

何度か私も行ったことがあるが、簡単に分かりやすく説明すると日本中の手に職やコネをもち、テモテの様にエホバに忠実で会衆でも良い評判を得ているエリートエホバの証人がひしめく憧れの地である。「あそこは日本にある地上の楽園よねぇ」なんて宣う姉妹もいた。
なので経費削減……ならぬ、いろんな人に開かれたベテルで奉仕をして欲しい、なんて労働法違反なテンポラリーボランティアやらパートタイムコミューターなんて制度ができた時はドキがムネムネしてる(比較的)若い兄弟姉妹が多かった。私はこれっぽっちも興味なかったが。

そんな地上の楽園に私は電凸した事がある。
何故そんなことをしたのか記憶が薄れないうちに書いておきたいと思う。


切っ掛けは、第1次JW辞めよう聖戦である。
ちなみに数年に渡る家庭内宗教戦争は第3次電凸で終わりを迎えるので、そこまでお付き合い頂きたい。

第1次宗教戦争は高校卒業後半年くらいの時である。
卒業式の翌日から働き出したアルバイト先(後に準社員にもなる。正社員になれなかったのにはJWが密接に絡みついてくる。)仕事にも慣れ、これは給料毎月毎月入るなら家にいる意味無くないw?という若気の至り&その慢心が生活態度にモロ出てしまって早々に勘づかれた。
親は子供の変化に意外と敏感である。
「明日、話があります。」
終電で帰ってきた私に母はそう言った。

「これは、どういう事?」
両親揃ってバーンと目の前に出されたのはたまたま駅前で配っていたのを受け取ってしまってカバンに入れっぱなしにしていた夜のお仕事情報誌とhotpepper、そして洋服タンスの中にしまい込んでいた賃貸アパートの契約に必要な物のメモやらお店でいくつかピックアップしてもらった間取りであった。両親は2人とも、定期的に私の部屋を家探しするが、それは私の部屋から友達だったり図書館だったりから借りたり買ったりしたBL本だの漫画だのを見つけて悪霊を家に持ち込んだと糾弾するためだと思っていたので、まさか高校卒業後もそんな事されると思ってもみなかったので驚いた。マットレスの中に隠せばよかったと死ぬ程後悔した。後の祭りである。
「……」
「自分の口で説明しなさい。」
「家を出ようと思って。」

そこからは弾幕シューティングゲームのボス戦かな?というくらい、ちょっと働き出したからって調子乗っている、それで大人になったつもりか、家にいてもダラダラして何もしない人間が一人暮らししたから急に家事ができると思ってるのか、頭がおかしいんじゃないのか、どうせそういう事だろうと思っていた、あんたの考える事なんて手に取るようにわかる、考えが甘いんだよ馬鹿か、仕事でノーメイクはダメだと言うから化粧品買ったのにすぐ色気づきやがって、売女にでもなるつもりか、なんて言われたが、もうこうなったら言うしかない。

「一人暮らししたら、私はエホバの証人を辞めたいと思う。ずっと辞めたいと思っていた。」

椅子から落ちた。
普段ご飯と散歩以外で吠えない犬が私を庇うかのように唸ってからギャンギャン吠えて私の顔の前に立った。
キーーーーンとしている耳に「わんこは危ないからこっちに来ててね」と母が犬を抱き上げた。
犬はまだ吠えていて、心臓がものすごい勢いでバクバク鳴った。
立ち上がろうと手を床に付いた時に何か赤いものがパタと落ちた瞬間髪の毛を掴まれた。
「てめぇは自分が何を言ってるのかわかってるのかーーー!!」
痛い、やめて、ごめんなさいと許しを乞う私に父親は髪の毛をむんずと掴んで自分の胸元まで引き寄せ耳許でそう怒鳴った。

今冷静になって思い出すと、耳がキーンとしたのはフルスイングビンタのつもりが私が俯いてボソボソ喋っていたばかりに耳にクリーンヒットした結果だし、話し合いで済むと思っていてぶん殴られるなんて1mmも思っていなかったので普通に体が無防備すぎて吹っ飛んだだけだし、運悪く片してなかったガスヒーターに鼻を強打したから鼻血が出ただけだし、犬は私を同じレベル、もしくはちょっと下に見ていたから急に吹っ飛ばされた私を庇って父と母に吠えた(彼はとても賢い犬だった)。

私は割と長い物に巻かれるタイプなので「はい!分かっていませんでした!ごめんなさい!もうしません!離してください!!」と叫んだ。「分かってない奴がこんな事する訳ないだろう!キチガイがお前は!!!!」と怒鳴った父は私髪を掴んだまま、ラーメンの湯切りをする様に激しく手を上下させた。
余談であるが、この後父は両手首を捻挫した。私は病院に行かなかったが、1ヶ月程ずっと首を痛めていた。
「ふざけんな!てめぇの態度がここ数ヶ月おかしいのは分かってたんだよ!いつ気付くか、いつ態度を改めるか待ってたんだよ!!その結果がコレか!ふざけるんじゃねぇぞ!親を舐めるんじゃねぇぞ!分かってて見逃してたんだよ!バーーーカ!」
おおよそこんな事を言われた。もう少し言葉は汚かったかもしれないし、もう少し綺麗だったかもしれない。
私はパニックで目の前が砂嵐の様にザワザワして胃から何かが込み上げた。
「もうその程度にしたら?」という母の言葉で父は髪から手を離した。
「座れ!正座しろ!」
「ごめんなさい、トイレ行かせてください。」
私は走ってトイレに行った。悲しいかな、吐き気で嘔吐いただけで酸っぱい唾液しか出てこなかったし「トイレに閉じこもるのはやめろ!」という怒鳴り声で慌てて居間に戻った。

怒鳴られたのと同じような事を延々と言われ、小さくなった私に反省したのだと思ったのか、その後新生活するにあたり必要なものを全てノートに書き出しさせられ、ネットで値段を全部調べさせられ、書き出し、自分の給与と貯蓄でで賄えるか計算させられた。
それから、生活するにあたりどんな家事が必要か書き上げさせられ、如何に自分が家で家事を手伝っていないか、自分の事しかしていないか指摘されて終わった。
18歳の冬だった。

第2次宗教戦争は1年後であった。


趣味しかしてないTwitterで何となく『エホバの証人』とか色々検索して出てきた元JWの人の色々な呟きに本当に背骨に雷が通ったというか、当時交わっていた会衆には元べテラーの子供とか神権家族で小学生でバプテスマ受けましたとか霊性高くて親に従順な子が多かったので同じ思いで外に出た人がいるんだ、という事に本当に感銘を受けた、と同時にこの気持ちを誰かに話して楽になりたい、という本当に自己中心的な考えもあった。話して楽になるなら誰でもしているだろうに、私は本当に当時それしか考えていなかった。

また同じ頃に『さくらさんは頑張っているから給与も上げてあげたいし、望むなら最初に面接で言っていたように正社員にしてあげたい』と上司から言われていた。願ってもない話だった。
私は着物で接客して四季折々のお料理をお客様に提供し、野菜だの魚だの調理方法だのその料理にあうお酒だの、本当に仕事が大好きで出来たら一緒京懐石と心中したいくらいその仕事が大大大好きであった。親には報告せずに、正社員になりたい旨を伝えた。親に伝えたら1000%ダメだと言われるのが分かっていたからだ。それに正社員になれば、勝手に自己都合で辞めるわけにはいかないし親だってそうは簡単に私を辞めさせることが出来ないだろうし、営業業務を覚え次第、他店移動になる事が分かっていたから合法的に家から出て寮で一人暮らしするチャンスだと思っていた。
これでエホバとイエスとその他大勢にグッバイできる。そう信じて疑わなかった。

それから、お店の閉店作業ではなくレジ業務を教えてもらうようになり、21時上がりだったのが、22時、23時、最後はもう毎日の様に終電で帰り、寝て、朝起きたらすぐ仕事に行くだけの生活になった。責任が増えた仕事はそれはもう今でも同じ仕事したいくらい楽しかった。
もうその時点で、私の心は早く正社員の稟議が通って、社長と面接して1日も早く仕事覚えて正社員として、他店に移動して毎日楽しくやり甲斐のある仕事をする。それしか頭になかった。両親がどんな目で自分を見ているか、1年前の出来事なんて頭からすっぱ抜けていた。酉年生まれの女は頭の作りが違うのだ。それはもうきれいさっぱり忘れ去っていた。
なんて愚かな19歳でしょう。脳味噌も記憶中枢もカラシの種粒ほどもなかったのね。今でもそう思う。
それだけ『正社員で他店移動して合法的な一人暮らし』は地に足がつかなくなる程に私を舞い上がらせた。毎日楽しくて仕方がなかった。
それを親がどう思っているか、両親という名のエホバがどう思っているかなんて脳味噌の機能を仕事に全振りしていた私は微塵も考えなかった。楽しい!仕事!明日はあれやる!楽しい!今もしかして私は輝いているのではなかろうか?シャイニー!!!もうそれしか考えていなかった。集会は疎かになっていき、予習もせず、適当に行きの車の中でものみの塔の研究記事の答えも見ずに線を引いた。引いてありゃいいだろ、くらいの気持ちでいた。真っ白よりは線が引いてある方がいい。

ただ、ふと考えた時に恐らく両親はエホバの証人でも世の人でもない宙ぶらりんな状態、自然消滅は絶対許さないだろう、と思った。
それから申し訳程度に伝道者として奉仕の時間をあげるのももう辞めたい、というより奉仕の時間を捻り出すのがもう私のその生活スタイルでは難しかった。ほぼ週5.5日働いていた。
休みの日は金曜日の夜の集会がある日と日曜日の午前中に集会がある日だけで、仕事は楽しいけど体は疲れているから金曜日の午前中は休みたかった。そもそも信じていない神について野外奉仕で語る意味ももう見出すことは出来なかった。
そして私は思い知る事になる。
自分の両親の堪忍袋の緒はとっくにブチ切れていた事を。

いつもの様にレジ締めだ閉店作業だをしていた時、営業時間はとうに過ぎているのに外線が鳴った。
「出ますか?」と上司に聞いたが「もう閉店してるし出なくていいよ」と言われたが1分以上鳴る電話に上司は「誰かスタッフ忘れ物かなんかしたのかな」と言いながら受話器を取った。
電話から2メートルは離れていた場所に立っていた私に聞こえるくらいものすごい怒鳴り声がした。声の主は父親だった。
サッと顔色が変わった私に上司は閉店作業を続ける様に、というジェスチャーをしたのでその場を離れたが心臓はバクバクして冷や汗が出て手は冷たく震えていた。
閉店作業はもうほぼ終わっていたので、上司と父親の電話が終わるのを居ない神に祈った。
誰でもいいから早く電話を切ってください。通話障害が起きたら今すぐエホバを信じます。
願いは虚しく、30分以上怒鳴って一方的に電話を切られた上司に謝ろうとした瞬間「さくら、お前親にちゃんと正社員の話をしてなかったのか?」と言われた。「お父さん、どうして毎日遅いのか怒っていたから正社員になる稟議の話して今業務を教えている話をしたら絶対正社員にするなって怒っていたよ。ちゃんとお前が話を親にしなかったからそうなったんじゃないのか?会社に上げた稟議、今日通ったけど親から許可が出ていなかったのならお前はまだ未成年だから俺は明日稟議取り下げる。」
心がぐしゃぐしゃになった音がした。
上司にご迷惑お掛けしました、すみませんでした。と細い声で言うのが精一杯だった。
どうやって帰ったかは覚えていないけれど、家に帰ったら殴られると思って玄関を開けた私は、玄関に仁王立ちしているであろう両親が既に寝ていて驚いた。朝起きた時に「もう二度とあの店で正社員になれないな!ざまあみろ。勝手な事するからだ。店長に言ってやったからもうラスト作業も出来ないな!次に遅くなったらまた電話して今度は辞めさせてやるからな。」と吐き捨てられた。何事もなかったかのように明るく振舞っていたが出勤した瞬間チーフから「さくら昨日親御さんから電話が店長にあったんだって?正社員の話無くなったって聞いたけど、ちゃんと親御さんと話しないとダメだよ!」と言われ調理長から「もう!さくらは馬鹿だなぁ……。ちゃんと言わないと。言わなかったけど俺が1番にさくらの事店長に推して店長にさくらを社員にって言ったのに。でもちゃんと頑張ればまたチャンスはきっとあるから。頑張ってるの俺は知ってるから、何度でも社員に推してあげるからな。」と言われ「ごめんなさい、」しか私は言えなかった。本当に小さくなって消えたい、海の藻屑になりたい。そう願った。
2週間後、私と同期でアルバイトに入った子が準社員になった。おめでとう!と言ったけれど私は羨ましくて羨ましくてたまらなかった。
正直、彼女より私の方が仕事頑張っていた自信があったし本来なら今頃そこで社員になっていたのは私だったはずなのだから。

仕事では出さないようにしていたが、家に帰ってから親の顔を見ていると、こいつらのせいで私は社員になれなかった、好きな仕事も責任も取り上げられた、というドス黒い気持ちがムクムクと湧いてきた。正社員になれなかった、エホバ死ね。くらいの本当に私の心の汚い部分が家庭でも会衆でも溢れていたけれど口を開いたら零してしまいそうでなんとか堪えていた。自分が悪かったと抑えようとした。
そんな表面張力でギリギリこぼれない様にしていた私の心にある長老が園芸用ホースをストレートにして水をぶちまけてくれた。

「さくらちゃん、正社員になるの辞めたんだって?今の仕事忙しくて色々疎かになっていたもんね。エホバがそうさせたんだよ、さくらちゃん伝道者になったら1年以内にバプテスマ受けるって言っていたのに中々討議に来ないから祈っていたんですよ。これでエホバに集中出来るね。」
頑張って抑えていた感情は器ごと砕けて、私は物凄い形相で長老に言った。睨みつけて言い放ったと思う。
「兄弟、私はエホバの所為で努力してなれそうだった正社員になれなかったんですよ、エホバの所為で。そう、エホバの所為です。」
八つ当たりにも程があるが、エホバなんか大嫌いだとその場で言わなかっただけ褒めて欲しい。その日から私は目に見えて態度が悪くなったと思う。
私は19歳でまだお子ちゃまで、ただただ自分の要求が通らないのを道でひっくり返って泣き叫んでいる2歳児と同じ態度を示していた。

もう辞めれないならいっそエホバの証人の活動に最低限参加する体だけ示して、腹一杯好きなことをしよう、と行動をシフトチェンジした。
元々学生の時に好きでやっていたのに、仕事が飲食店で土日休めないから出来なかったコスプレのイベントに行くようになった。
自分の好きな『強い』キャラクターになりきって友達と同じ熱量で話が出来て友達が増えて『〇〇のコスプレイヤーのさくらさん』という私が増えていくのが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。誰もエホバの証人の子供のさくら、なんて知らない。ただただアニメと漫画とコスプレが大好きなさくらちゃん、という面だけ見てくれてワイワイ学生みたいなテンションで盛り上がれる場が死ぬ程嬉しかった。

そして親も今までは仕事にハキハキ行って、死んだ目で家と会衆を過ごしていた私が、仕事にはそこそこでソワソワで荷物抱えて出掛けて、家でも会衆でもボヤーとしている私に(何か違うものにシフトチェンジしたな)というのに気が付き始めた。
そしてまた事件は起こる。

私の使っていた王国会館は2会衆で使っていて、日曜日の集会だけは2年毎に10時になったり14時になったり互いの会衆が交互に時間を変えて王国会館を使用していた。
日曜日が14時からになったので、10時から18時までのコスプレイベントに途中から参加すると早くても15時半になってしまうので交流も出来なくなるし写真も全然撮れない。
考えた私は10時にイベント参加して①のキャラクターのコスプレをして、14時の集会に間に合うようにイベントを中抜け、集会後アーメンダッシュでイベントにトンボ帰りして②のキャラクターをやれば、エホバの証人の活動も支持しつつイベントで2つのキャラクター出来るじゃん!という素敵な事を考えついた。
長老にあの日言われてからもう全てのやる気を失っていたので、もう趣味にのめり込んで自分が社員になれなかった現実も、エホバが大嫌いだ可及的速やかに滅びが来てくれそしたら死ねるから、という現実も全部ひっくるめて忘れられる楽しい趣味に没頭していた。私は元来快楽を愛する者なので、もう楽しければなんでもいいや、というもう啓示の書にってる滅ぼされる者は私の事でございます。くらいにしか思ってなかった。江戸時代だったらものみの塔も目ざめよも論じるも王国宣教も足蹴にしろと言われたら嬉々として踏むしなんならトイレのちり紙にだってする、そんなスタンスで生活し始めた。もうエホバの証人を辞める事に期待するのは辞めよう。適当に忘れられない程度に参加して、お腹一杯楽しんで、ハルマゲドンで滅ぼされて死のう。食べたり飲んだりしよう。どうせ明日は死ぬのだから。そう考えた。

そして実行すべく前日に衣装も道具も準備して、どんなメイクしてどんなポーズでどんな新しい素敵なコスプレしているコスプレイヤーさんとお話できるかな、なんてワクワクしながら寝た。
もう前もって、この日集会行く前に出かけるから。集会に直接行くから、と言ってあったので大丈夫だと思っていた。

さて、コスプレするにあたり『併せ(あわせ)』というものがある。併せとは、1人でコスプレをするのではなく何人かのコスプレイヤーさんと「この作品で併せしよう!」と計画してその作品に登場する関連したキャラクターを一緒にする、というものがある。
『大型併せ』なんて事になるとその作品に出てくる全員がコスプレイヤーさん達に再現されて壮観であるし、そこに参加するのは1人でコスプレして写真撮るよりもキャラクターとの絡みだったり、キャラクター同士の関連性がある写真を撮ることが出来たり、1人で参加する時よりもグッと楽しみが増えるのである。
そしてその日私は自分から「〇〇の歌の併せをしよう」と言い出しっぺで4人集まって併せをして、カメラマン役の人も募って撮影をしようとしていた。前日からどういう構図で写真撮ろうかな、なんて考えていた。
出かけようとした瞬間般若の能面被った様な母親に止められた。
「絶対に行かせません。」
もう意味がわからなかった。
「元々今日出かけること話していたよ。」
「集会疎かにするつもり!?」
「集会にはちゃんと行くし遅刻もしない。」
「そんなものは信じられないわとにかく絶対行かせません。」
「それは無理です、今日はもう約束をして5人で集まる事になっていて、私が企画した事で集まってもらっているので当日の30分前にキャンセルなんて出来ないから!」
「知らんがな、じゃあ今ここで電話しろーーーー!!!」
押し問答の末ヒステリックにキレた母は私の荷物を玄関を開けて庭に放り捨てた。
メキ、とかバキ、とかとにかく小道具が壊れた音がして慌ててカバンを拾いに行くと予想通り衣装に付いていた装飾品と小道具は壊れていて今から直すには時間が無いし、そもそももう既に遅刻であるし、怒りに任せてやめときゃいいのに、私は母に怒鳴った。
「壊れちゃったじゃん!信じられない!一体何なの!」それから私はカバンを抱きしめて「もういい、バスで行く。」と言って出ていこうとした。つっかけサンダルを履いた母はポニーテールしていた私の尻尾を鷲掴みにして「行かせないって言っているだろう!」と怒鳴り頭を引き寄せると同時に背中にグーでパンチを入れた。
私は外階段で転んで膝を擦りむき、時計を見て(ああ、バス今でたな……)と思って泣きながら友達に電話した。
『言い出しっぺで主催なのにごめん、今日行けなくなっちゃった』
そう伝えた瞬間号泣した私に色々察してくれたのだろう、友達は『泣かないで!大丈夫だよ!今日は私達だけで楽しんでくるね!またやろう!』と言ってくれた。

酷い顔で集会に行くと園芸ホース長老は困った様な、それでいて謎にニコニコした顔で「さくらちゃん、お母さんから聞いたよ。大変だったんだってねぇ。」と声をかけてきたのがもう腹立たしくて「ソウデスネ」「ソウデスネ」「ソーナンデスネ」と壊れたラジオの様に繰り返した。
なんか園芸ホースが語っているが、私の心の中はもう、イベント行けなかった、どうしよう、私としか友達じゃない子いたのに、ドタキャンしてみんなに嫌われたらどうしようしか考えていなかった。
あまりにうわの空だったのだろう。集会が終わると園芸長老はまた声を掛けてきた。
「ちょっとお話いいかな?」
このライフポイントもマジックポイントもゼロの私に一体全体なんの話があるというのだろう。「ほら行くよ」と言われ腕を母に掴まれた私は第2会場へドナドナされた。本当に良く晴れた昼下がりであった。ドナドナドナドナ。

「今日どうして呼ばれたと思う?」
ニコニコと主宰監督と園芸長老が笑って言った。
「長老がお話いいかな?って言ったからだと思います。」
「うーん、さくらちゃん、何か思い当たる物ないかな?」
「特に無いですね。」
「今日何かあったんじゃない?」
「ありましたけど、エホバの証人とは特に関係なかったので何も無いです。」
「さくらちゃんはそう考えているんだね。私達は実はそう考えていないんだ。」
もうどうでもいいから話を進めてくれ、意味がわからない。
「お母さん姉妹から聞いたんだけど、さくらちゃん、コスプレしてるんだって?」
「……してますけど。」
「エホバはどう感じると思うかな?」
「何も感じないと思いますけど。」
「本当にそうかな?どうしてエホバは何も感じないんだろう?」
「私のようなどうでもいい人間のする事にエホバが何を感じるんですか?」
「さくらちゃん、エホバはさくらちゃんの事を本当に大事に思っているよ。傷付いた羊を羊飼いは…………」

いや、本当に大切だと思ってるなら母親と父親を用いてぶん殴ってくるのやめろや。
言ったつもりはなかったがそれは口からところてんのようにデロリと零れた。
「へぇ、エホバは私が大切だから、私が大事にしていた予定を殴って無理矢理キャンセルさせて私にわざと約束を守らせないようにしたんですか?」
「叩いたり、というのはあまり良い事では無いけれど今回行かなかった事はさくらちゃんが守られた、という事にならないかなぁ。」
聞き分けのない子供に言い聞かせるように、本当に小学生に言い聞かせるように長老達は私に言った。
「さくらちゃんが行きたかったのは兄弟達も分かるけど、その先に何があると思う?」
「サタンだとでも言いたいんですか?私は以前兄弟に言われた自分がすごく好きだったエホバの証人に相応しくないと言われたアニメや漫画を見ていません。相応しいものしか見ていません。今日しようと思っていたのもそれに則っていたもので誰も戦いませんし、悪霊崇拝的な内容ではありませんし異教の教えに含まれる内容ではありませんでした。それでまだ何が不満なんですか?」
穏やかに兄弟は言った。
「その格好、イエスが見たらどう思うかな?」
「可愛い、と思うと思います。」真顔で返した。
「その格好で集会に来れる?」
「じゃあ金曜日の集会は今日するつもりだった格好で来ます。」
「そういう話じゃないんだよね。さくらちゃんがよく吟味して選んだ漫画だったとしてもその先突き詰めていくとサタン仕掛けた巧妙な罠が…………」

嗚呼、もう私の話を聞く気初めからないんだな。
そこから私は横でウンウンと相槌を打つ母の横で定期的に「ソウデスネ」という赤べこになった。

結論から言うと「会衆に親しい友達が居ないからこうなってしまったと思うので、開拓者の姉妹達や会衆、群れのレクレーションに積極的に参加して行きましょう!沢山誘うようにしますね。」という事になった。
私はこの頃から健康体だけが自慢だったのに胃薬が手放せなくなり、喉がガラガラになり、胃酸過多、逆流性食道炎と診断されるようになった。風邪も引きやすくなり、身体が丈夫ってなんで今までそう思ってたんだろう?というくらい疲れやすく、胃は常に傷んでいた。

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