結婚前後のすり減った話(後編)

母に対して『話が通じる』というのは本当に24年生きてきて初めての事だった。
話が通じる事に関して、私は感動よりも若干の恐怖を覚えた。なんか裏があるのでは?としか思えなかったのだ。
それから1週間後、8月某日に話は進んで、母と彼を会わせて話して、早くて冬遅くても来年の春には籍を、という事で落ち着いた。
「お父さんの鬱の様子見て話しておくから。」
それはありがたい。なんて思いながら過ごした。
お宅のご主人、もう既に知ってて別れろって言いましたけどね、とは言わない事にした。

2週間後「ママから聞いたよ、まだ別れてなかったんだね。」と切ない顔で言われた。
えぇ、私はこの結婚で家を出る事に全てをかけてますから。とは流石に言えなかったので「うん」とだけ返事をした。

義父はその時もう既に余命幾許の末期癌だったので、結婚前のお顔合わせは義父の体調も考慮して大阪で行う事になった。
結納はしないにしても、手土産の交換という物がある。というか、まぁ普通に考えてお土産交換位はお顔合わせ出なくてもするだろう。


さぁ、ここから私の神経はデッサン用の鉛筆並に細く尖っていく。
ここから先は全て母のターン!ドロー!!母は手土産を召喚!この手土産はお顔合わせの時に、娘の顔とメンタルに泥を塗る事が出来る!!になるので、読者の皆様は盛大に笑って欲しい。笑ってもらえないと私が凹む。供養だと思って大爆笑してほしい。事実をなるべく面白くお伝えするので。



さて、私が今現在住んでいる千葉県にはいい鉄板の『まさに千葉!』というお土産がある。ディズニーランドのお菓子~とかそういうものではなく、The王道というものがある。落花生である。
私は手土産はなごみのよねやの落花生最中かオランダ屋の落花生パイ、もしくはヤマスの落花生のなんかしらにしようと考えていた。
もしそれが親的にアウトならそごうで虎屋の羊羹か福砂屋のカステラでいい。手土産に困ることの無い地域で良かった!といくつかNGだった時の候補も考えながら手土産の心配なぞ500円玉くらいの大きさしか脳みそに入っていなかった。これが数日後から脳内メーカーで頭の中全部『手土産』で埋まる日々が来るとは誰が想像しようか。

手土産のお代は私が出します、と母が言っていたので私は母からお金を貰って買いに行く為に手土産の候補を伝えた。
何故お金を貰って自分が買いに行きたかったかと言うとエホバの証人的に熨斗紙がOKなのかNGなのかがイマイチよく分からなかったので、熨斗のない手土産買ってこられた時に格好がつかないというのもあったので私が買いに行きたかったのだ。
多分母の頭には熨斗なんて文化はない。半分外人(実際にほぼ外国ルールの家庭で育ったクオーターである)だしな。と私は思っていた。
「手土産は蜂蜜にしようと思うから結構です。」
私は泡を吹いて倒れたかった。
なんで蜂蜜。1万歩譲って山田養蜂場のなんかなら許す。そう思って私は聞いた。
「どこの蜂蜜?」
「直売所で売ってた。」
直売所広場!?直売所って言ったぞこいつ!!は??直売所!!?!?脳内の処理は追いつかないがとりあえず理由は聞こう。
「なんで……蜂蜜?それはちょっと手土産には向かないよねぇ?」
「近所で養蜂やってて、色んな花の蜂蜜が売ってるのは珍しい。向こうのお義父さんもそれなら食べれるでしょう。」
「嫌でも蜂蜜はちょっと……。お顔合わせ何だから普通の手土産にしようよ。ちゃんと熨斗かけて、」
「なんか文句でもあるの!?」
大アリだよ、文句がそれで無いわけないだろう、馬鹿か?とはもうヒステリックに怒っている母に何言っても大噴火するだけなので今日は引きさがろう。
明日から何としてでも蜂蜜は避けなければ……と思い私は引いた。全ての間違いはここから生まれた。

翌日仕事から家に帰るとホクホク顔の母が私にこう言った。
「これ。ほらいいでしょう?」
蜂蜜である。蓋のない箱に入って透明ビニールでラッピングされてそこそこいい値段の値札シールの貼られている蜂蜜がそこにいた。
(詰んだな)と私は思った。
ベジブロスにハマって変な野菜クズの汁を何でも料理に入れるブームが去ったら今度は蜂蜜が来たなーとは思っていたが、それを今後親戚になる家族にまで押し付けるとはもう辛い以外の言葉が出ない。

「いいとは、いいとは思うんだけど、手土産には向いてないと思うんだよね。だからこれの他にもう1つお菓子買わない?」
「はぁ?」声のトーンが下がった。やばい。
「これは、ほら、包装されてないし、お義父さんの送り迎えにお義姉さん家族も来るから個包装で分けられる方がいいと……思うんだけど……。」
「包装なんて自分でやればいいでしょう!!」
詰んだな。これはもう修正効かないやつだ。
20ウン年の勘は当たった。

「お義姉さんにも買えばいい。」
蜂蜜は2倍になった。

これ以上は詳しく書くと数日くらい、セルフ思い出しメンタル病みをしそうなので簡単に書くが、家の近所の直売所に同じ蜂蜜ギフトセットの取扱が無くなり、直売所をあちこち死んだ目しながら母と蜂蜜ギフトセット探しをし、なんとか手に入れる。ようやく2セット目を買えたのはもう出発の前々日だった。
その日父は仕事が休みで3人で蜂蜜ギフトセット買って箱を包装する為の緩衝材やらお渡しの紙袋やらを100円ショップに買いに来ていた。
母はラッピングを私に丸投げしたので、蜂蜜の瓶が綺麗に収まる箱を探し、見栄えがそこそこの緩衝材を探し、なんとか体裁が整いそうな包装紙を探し……というのを狭い100円ショップでグルグルまわって1人アレデモナイコレデモナイ……を続ける事およそ30分。私は携帯を全く見ていなかったので親の着信に全く気付かなかった。
むしろ、私が100円ショップにいるの知ってるんだから連絡寄越す必要はほぼ無いはずだ。
「そんな紙選ぶのに何分かかるんだよ!」
激怒した父は目を三角に釣り上げながらズンズンこちらに歩いてきた。
いや、お宅の奥様が初めからお菓子買ってくれたら何もしなくて済んだんですけどもね。とは流石に言えないので「大きさがあう包装紙がないんだよ、デパート包みしたいから。」と言ったが聞くわけがない。知ってたが。

結局私はデパート包みを諦め、キャラメル包みをする事にして、早くしろ早くしろと控えめのボリュームで怒鳴る父に急かされゴワついた和紙の包装紙を買った。柄物やオシャレなデザインやどピンクにハート柄とかは普段のプレゼントにはいいが、お顔合わせには向かないので、無地のそれを選んだがこれがもう痛恨のミスであった。

100円ショップの箱はお菓子の詰め合わせ用の箱では無いので、蓋の厚みが若干浮くので、上手くキャラメル包みできない上に、ゴワついた和紙は時間が経つと反発し見えない様に貼り付けたセロハンテープの粘着力に勝ってしまう、つまり包装紙がバラけるのだ。
今なら誰かゴリラテープ持ってこい、くらいは言えるのだがもう前日で、のぞみにしようと言ったのに、安いからという理由でこだまに乗る事になった私達家族は始発の電車で東京行ってお昼前に大阪に着きたい。そして私は仕事でもう包装紙買いに行くゆとりもなく家に帰ってラッピングしている。
何事もネガティブにしかとれない女になっていたので私は絶望した!さよなら絶望先生!!
私は深夜、おいおい泣きながらラッピングした。
完成したのはどう見ても素人が包みました!という非常に残念な仕上がりのそれだった。
おかしい、私はデパ地下で洋菓子のラッピングの仕事していたのに。こんなはずではなかった。あの百貨店の包装紙で包みたい。そしたら、絶対上手く包めた。
自分の実力はこんなものでは無い。と私は1人言い訳大会をしていた。自意識過剰部門で1位だと思う。


朝日が眩しかった。


大阪に着いても受難は続いた。三日三晩ではないが、ほぼ完徹で、ボロボロになりながら手土産はクソ蜂蜜(蜂蜜に罪はないがもう憎しみの塊にしか当時の私には見えなかった)なのに謎に私の服装だけ体裁を整えたい母の『振袖を着ろ』という指示に従って私は早朝から振袖を着てなんとか大阪に来ていた。ストリートファイターだったら多分ダンの我道拳で一発K.O.する体力しか残っていなかった。

なんかあった時のためにと早く着いていたのと、車が渋滞にはまって少し遅れそうだと彼から連絡があったので先にお店に行って少しお部屋を見せて欲しいと思ったが、ここでうっかり両親を連れていくと中で待ってようなんて言い出したらもう非常に面倒臭いので、それとなく言ってみた。
「ちょっと2人で駅ナカ見てて。私、お店でお部屋のセッティング確認したいから。」

そう、わかった。とすんなり両親は駅ビルに消えた。
彼に電話をかけ、今どんな状況だ~というのを聞いてお店のセット確認するのを伝え、携帯のナビを見ながらお店に行こうとした瞬間、父から電話が掛かってきた。オイオイ、5分も経ってねーーよ。
「どうしたの?」
「見る物ないからそっち行くわ。」
「ちょっと待って!どういう事?」
そっち行くわ、と言った瞬間ガチャ切りした父に静止が届くはずもなく、30秒後には私の目の前に両親がいた。今からそっち行くどころか来ながら電話してるじゃん。
「何も見るものないから」の一点張りで二言目には「時間あるけどどうする?」である。ある暇はそこのなんもない駅ビルで潰してくれ!!!
「私、お部屋の確認したいから、本当にここで待ってて欲しい。ここからの行き方も知らないから、それも確認したいし、もうお願いだからここで待ってて。」
「だったら一緒に行けばいい。」
「お父さんにはまだお部屋一緒に来てもらう訳には行かないし、もし向こうの家族に会った時向こうは彼がいるから気付いても挨拶むずかしいでしょう?だから迎えに来るから待ってて欲しいの。」
「店の外で待ってたらいいだろう!」
見るものなくても適当に時間潰せやとは思ったし、そういう話じゃねーから頼むここにいてくれるだけでいい!!というのがモロに表情にも出た。私はイエスやブッタではないので仕事で時給が発生しない限り理不尽なクレーム対応に関しては人間性が秒で顔に出る。
あからさまにイライラしだした私に父はキレ始めた。
大阪駅のエスカレーター前でこっぱずかしい。標準語で言い争う振袖女とスーツのオッサンなんて、関西ではなくても場合めちゃくちゃ目立つ。おめぇらどっから来たんだっペ?くらいの田舎モン炸裂である。
恥ずかしくなり冷静になった私はスタバで珈琲を飲もうと提案した。母は乗りそうだったのに父は言った。
「えぇ……新幹線で珈琲飲んだし……。」
いいから黙って静かにいてくれ、という気持ちが勝って私は言った。
「お願い、珈琲飲んで。私がスタバ奢るから。」

なんとかスタバに両親を押し込んで珈琲を頼み、トイレ行くと言って私はなんとか小走りでお店に行き、部屋のチェックをして、小走りでスタバに戻った。着物着て接客していた私は草履でダッシュするのは慣れていたので、20分もかからなかったと思うが戻りが遅くてイライラしている父とそんな父にイライラしている母が待っていて「ごめんね、トイレ遠い上に個室少なかったよ。トイレ行くならお店のトイレがいいかも。」なんて話をすり替えながら私は両親とお顔合わせの席に向かった。

向こうの御家族からはデパート包装紙に熨斗のついた何度かテレビで取り上げられたことのある有名な海老の姿煎餅を頂いて、シュルシュル音を立てて小さく縮んでいく私を他所に母は「家の近所で養蜂している所があって~」とクソダサ素人包装の蜂蜜を渡した。
ゴリラテープのご用意ができませんでしたので、両側テープが取れてカービィみたいな見た目のソレに私は泣きそうになった。
その後体調が良くなかった義父を車まで先に送っていく時に義父と義姉に「すみません、本当に変わった手土産渡してしまって。他のものを考えていたのですが、どうしても蜂蜜が良かったみたいで……。」と謝ったのを両親は知らない。羨ましい限りである。



その後、義父が亡くなってしまい、籍入れる云々がいろいろバタバタしてしまい、結婚後の食事会どうしようかと考えていて、我が家は親戚がほぼ北海道なので挨拶のしようがないけれど、向こうは大阪にそこそこ親戚がいるから大阪でまた食事会の方がいいかな?と私と彼で話していたのを母に伝えると、母があからさまに機嫌が悪くなった。
「前は向こうのお義父さんが具合悪くてって事でこちらから大阪に行ったけど、うち、嫁に出しただけで別に彼さん入婿に貰った訳じゃないんですけど。」
なるほど、わからん。そのまま続きを求めるとそんな事も分からないのかとばかりにため息をついて母が言った。
「お顔合わせの時にお義母さんも『娘は嫁に出したのに今日こうやってお義父さんの事で手伝ってくれて~』って、嫁に出したのに向こうの家から借りて手伝ってもらってるみたいなニュアンスで言ってたのに、どうしてうちばかり大阪に行かないといけないわけ?普通そちらがこっちに来るのが筋だと思うんですけど。」

私は頭を抱えた。
もう既に私はその時籍を入れていて実家を出ていたので両親の機嫌を見つつ説得したり、妥協できる所を話し合うというのがもう難しかった。
そしてぶっちゃけ母の言うことにも一理ある。
が、大阪にいる親戚に紹介したい、というのもあったのでもう頭を掻きむしった。気付くと両手の爪は無意識に全部かじってギザギザになっていた。
そしてこの状態の親に話し合いは無理だと思って夫にはマイルドに母の意見を伝えた。
「そしたら、今回はオカンと姉貴達に千葉に来てもらって食事会して、俺たちだけ2人で大阪に行って挨拶しようか。」
なんて物分りのいい夫なんだろう!!!私は色んな意味で泣いた。

そして、激務でなかなか休みが取れなかった彼は、近々の予定で2月末に休暇を取って、1.2日目は大阪に3.日目は義母と義姉家族と一緒に千葉に戻って食事会、4日目は義母と観光、5日目に見送り、という半年分の予定を5日間にギュッと濃縮しました、みたいな予定になった。
彼の仕事が激務だと皆が理解していたのでそこはすんなりと決まった。

それを母に伝えに行った時に、また食事会で向こうのお義母さん手土産持ってくるって言っていたから手土産用意するんだけど、お義姉さん達は翌日ディズニーランド行くみたいだし、蜂蜜みたいな重いものは困るから今回は絶対お菓子にしたいんだけど、私が選んでくるからそれ渡してもらっていい?と伝えた。
すると母は「じゃあオランダ屋でなんか買っておくわ。」と自分から言ってきたので、流石に蜂蜜ちょっとな……って海老煎餅貰って思ったのかな?とオランダ屋という固有名詞を聞いた事で安心しきって母にお菓子を任せた。
もちろんフラグである。


そして、激務が祟った夫は休暇2日前にインフルエンザになる。
新婚旅行も兼ねていた大阪の親戚にご挨拶ツアーは頓挫し、私は2021年現在、未だに夫の親族に結婚のご挨拶の葉書とお祝いやお返しのやり取り以外のご挨拶したことが無い。
それは横に置いておいて、私は既に妊娠6ヶ月で彼がインフルエンザになったりでバタバタしていたので、母がオランダ屋の『何』を手土産に買ったのかチェックするのを忘れていた。
お義母さんが千葉に来る前日には平熱で1日過ごしたので、まぁ食事会は何とかなるだろうとキャンセルせずに進めた。
一応両親と行くか悩んだが、義母が家に泊まっていたのもあったので、私は両親と別行動でホテルのレストランに行った。

何故か大切そうにオランダ屋ではない、謎のレジャーシートみたいな素材でできた袋を横向きに抱いて持っている父と母がいた。
嫌な予感しかしない。確実にオランダ屋ではないが、ワンチャン茶道ででてくる鶴屋吉信だったり亀屋万年堂の茶菓子みたいな繊細なお菓子なのかもしれない。そう思って過ごす事にした。
お部屋に入って父がそっと置いた袋の端から『地元のいちご』なんて書いてある化粧箱が見えたが、中味が見えないのでお願い!いちご以外であれ……!と私は知っている限りのいろんな神に祈った。


お食事会もお開き手前になり、手土産の交換になった時、義母が佃煮のセットを渡してくれて、もう私の緊張はMAXである。もうオランダ屋以外の何が出てきても恥かくのは私だけである。袋から出す前から羞恥心が酷かったので、おそらく私の食べたお料理の中に善悪の知識の実がはいっていたのだろう。
逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……
父が取り出した化粧箱はやはりイチゴで、2パックデカいイチゴが入っていた。別に白いレアないちごだったりとかではなく、普通よりちょっと大きめの、赤ちゃんの握り拳よりは大きいいちごだった。
許されるなら、エヴァンゲリオン発進!!!と言いながら部屋から飛び出して二度と戻りたくない気持ちである。私はその時着物で訪問着を着ていて、帯から下にジョワッと変な汗をかいた。襦袢がびっちょびちょになった。人体の不思議である。
義母は家に泊まってるけど、義姉家族はホテル泊で明日はディズニーランドという事前情報知ってていちごなのか????えっ、頭ヤバくない????いちごに見えて実はお菓子って事????という現実逃避をしている間に母はニコニコと「地元はいちごが有名で~」と話をして義母に渡した。
小学生の姪っ子達ですら(はぁ?)って顔してんぞ。と思ったし、その後トイレで「なんで?なんでオランダ屋じゃないの……?」と母に聞いたら、なぜオランダ屋に拘るのか???という顔で「直売所にいいいちごがあったから。」

わくわく広場への期待値高すぎだろ。
まさか近所のおっちゃんも自分の作ったいちごがわざわざ大阪から佃煮持ってきた人に手土産で渡されてるとは夢にも思ってないだろうよ、と私は無言で思った。
両親がしたり顔で帰った後、ホテルのロビーで「すみません、違うお菓子の話してたのでそれだとばっかり思っていて……すみません……本当にすみませんでした……。ちょっと、というか結構常識がないというか、もう本当にすみませんでした……。」といちごの化粧箱を持った義兄を筆頭に義母や義姉に謝り倒したのを今でも両親は知らない。


最終日、お見送りに行った時に義姉家族が笑顔で「貰ったイチゴ、めっちゃ美味かったで!」と言われたのが唯一の救いである。


あと、千葉には美味しいものが沢山あるのでDMくれたらめちゃくちゃ語るので、美味しいもの食べたくなったら是非私にDM下さい。
ついでにお住まいの地域の美味しいもの教えていただければ、ウィン・ウィンの関係になります。

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