見出し画像

リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十話 無条件で愛される

無条件で愛される

天正17年5月27日、私は男子を出産した。

初めての出産は、時間がかかった。
身を八つ裂きにされるような痛みに、私はうー、うー、と獣のような声でうなり続けた。
気が遠くなるような痛みの中で
「母上はこれを3度も体験した」
と思うと、改めて母の強さと母を一人の女とし身近に感じた。

もうこれ以上いきめない、無理だ・・・・・・と思った瞬間、股間からズルリと赤子が出てくるのがわかった。産婆が私の中から出てきた赤子の頭をゆっくり引き出す。頭も身体も血まみれの子を、あたたかい湯で丁寧に洗い流す。だが、まだその子は何も物言わない。私は不安に襲われ声が出せない。その時、産婆が子供の足を持ち逆さづりにし、お尻をぱんぱんと叩いた。その子の股の間に男子のしるしを見た。

私は「泣いて!声を出して!」と力尽きた身体で祈った。子はまだ泣かない。産婆はさらに強い力でばん!と真っ赤になった赤子の尻を叩いた。その時、沈黙を切り裂き、ほぎゃー、と高い声が部屋中に響いた。生まれて初めて、我が子がこの世に声を放った瞬間だった。
「茶々様、おめでとうございます!
男の子でございます!」
息をつめ様子をうかがっていた部屋の緊張が、一気にほぐれた。

大蔵卿局が涙を流しながら、生まれたばかりの赤子を私にさしだした。私は侍女に助けてもらいながら身体を起き上がらせ、両手で泣いている我が子を受け取った。ついさっきまで子宮の中にいた子が、今腕の中にいる。こんなに小さいのに、しっかり五本の指があり桜貝のような爪もある。これが我が子か!と息子の頬に自分の頬をすりよせた。その時、乳房からピュッ、と白い乳が漏れ出た。口をパクパクさせ真っ赤な顔で泣く赤子の小さな口に、乳をふくませた。息子はこくこくと無心に私の乳を吸う。そこに何の欲望も汚れもない。私は泣きそうになった。生まれて初めての感情が湧きあがった。それは無条件の愛だ。

愛おしい、と思う気持ちが、心の奥の奥からマグマが噴き出すように、こみ上げた。一心不乱に乳を飲む息子を抱き、ああ、我が子だ、まちがいなく、私の子だ、と胸が熱くなった。
乳を飲み、満足したように眠る我が子は、いくら見ても見ても見飽きる事がない。愛おしくてたまらない。しかも、この子が豊臣の跡取りだ。
秀吉の後を継ぐ男子だ。この子が、私の地位と権力につながる道筋を作ってくれた。

私は天に向かい両手を合わせた。神よ、もしあなたがこの世にいるのなら、私はどれだけ感謝しても足りない。私の目から涙がこぼれた。私は神に感謝をささげた。その時、ドタドタと廊下を走る音がし、乱暴に襖が開いた。
秀吉が男子誕生の知らせを聞き、飛んできた。走ってきたのかハァハァと肩で息をする秀吉は、眠っている赤子をじっと見つめた後、そろりと抱き上げた。息子はぼんやり目を開いた。秀吉は顔じゅうをくしゃくしゃにし、笑顔を広げた。

「おお、これが我が子か。
なんとも可愛いではないか、のう茶々?
よしよし、父がわかるか?
天下はお前のものじゃぞ。
豊臣は、お前が継ぐのじゃぞ」

まだ何もわからない赤子に向かって、嬉しそうに語りかける彼は53歳だった。53年間生き、彼はようやく我が子を抱けた。噂によると、ずいぶん昔側室との間に子をもうけたらしい。男子だったその子は、6歳で夭逝したそうだ。まだ秀吉が伯父信長の家来だった時だが、秀吉はこの子のことを何も言わない。その時と今の秀吉は、立場が違う。
それでも子を亡くす悲しみを知っているせいか、はたから見ても異常なほどの溺愛ぶりだった。
「この子の名は、どうされます?」
私はずっと気になっていたことを聞いた。秀吉は息子から目を離さず
「そうよ、この子は棄(すて)と名付ける」と言った。

私はあっけにとられ「はぁ?何なの、その名前は?」とあきれた。
周りの者たちも、ぽかん、と口を開けた。私は彼を怒らせぬよう首を傾げ「どうして、棄などという名に?」と聞いた。すると彼は
「おう、茶々は知らぬか?
棄て児はよく育つと、ちまたで言われておるんじゃ。
わしはこの子に長生きしてもらい、末永く豊臣の繁栄を託すぞ」と胸を張って言うではないか。

私は、ああ、これが農民出の男の発想ね、と憮然としながら、寧々を思い出した。そして「もしや、これも寧々の案なのでは?」と勘繰った。妻である寧々も、もちろんこの子の誕生は耳にしているはず。男子であることも知っているだろう。
これから寧々とも、うまくやっていかねばならない。
私は不満を笑顔でくるんで、秀吉に言った。

「そうですね。あなた様の言う通りにいたしましょう」
そう口では言ったが、一度も我が子に「棄」などという名を口にしなかった。してたまるか。お前の子ではない。
建前は、お前の子だ。
だけどこの子は私のものだ。
私がお腹を痛めて生んだ、愛おしい子だ。私は秀吉のいないところで「王子」と呼びかけ、うっぷんを晴らした。

城には続々と祝いの品が届いた。畳が見えないほどのたくさんの品が
うず高く積まれた。そのあまりの多さと煌びやかさが、秀吉の権力を示す。それらを眺めながら、これが最高位の権力か、と驚きながらも誇らしくなった。これを我が子が継ぐ。そしてこの私が豊臣の後継ぎの生母だ。この子の母は、私以外誰もこの世にいない。この子にとって産みの母親は私一人だ。そう思うと、私は鬨(とき)の声をあげるように、高らかに笑った。

息子が、私の生き甲斐だった。
朝起きたらすぐ我が子を連れてこさせ、抱き寄せた。
日中もできるだけ、そばに置いた。夜、乳母に連れて行かれるのが、恋しい男と離れるように、涙が出るほどさみしかった。乳母に連れて行かれると半身がもがれたようで、飲ませぬ乳がでる乳房の張りが痛かった。その痛みは私に治長を思い出させた。
治長はもちろん、この子を抱いていない。
この子は、私と秀吉の子だ。
彼は他の家来達のように、自分の子に頭を下げる。

だがちらり、と頭を上げた瞬間、この子を見て、この上もなく幸せそうな笑みを浮かべ、すぐ無表情に戻る。私は彼の笑みに救われると同時に、心が痛くなる。
我が子の赤子ながら整った顔は、猿顔の秀吉ではなく、幼い頃の治長に似ていた。それを知り二人を結びつけるのは、治長とその母の大蔵卿局だけだ。

「若君様は、すくすくとお育ちです。
乳もよく飲んでおります。
けれど安心してはなりませぬ。
幼き頃の男子は、女子に比べ身体が弱いのです。
いつ、災厄に見舞われるかわかりませぬ」

凛として言い切る大蔵卿局の言葉に、私は身震いした。

「そんな不吉なことを、言わないでちょうだい。
この子に限って、そんなことはない。
この子の身体は強いはずだ。
なぜなら・・・」

「淀様!」
大蔵卿局はピシャリとさえぎった。

「そうです。
秀吉様のお子様ですから、お身体は強うございます。
ですが、念には念を入れたほうがようございます」

彼女は私の言いたい事を封じた。そうだ、どこの壁に耳があるかわからない。私はもっと用心しないといけない。そう自分に戒め、言った。

「わかった。
これまでにも増して、あの子を大切にしてやってちょうだい。
乳母にも良くしてやって。
いい乳が出るよう食べ物も精がつくものを与えて」

と言うのが精いっぱいだった。

我が子が生まれた時、他の夫婦は一緒に子を抱き喜ぶのだろう。私はこの城で一人だ。秀吉は、離れた大阪城にいる。
だが決して名を明かせられない遺伝子上の父親は、すぐそばにいる。
我が子を抱きしめられないまま、仕えている。

その夜はしとしと雨が降っていた。
忍びやかに降る雨は、私の肌をしっとりとさせ、心も身体も濡らす。
私の子宮はきゅんと鳴り、乳房が息子の唇ではない唇に吸われた感触を思い出す。子を産み落ち着いた子宮が、男を迎えたがっている。身体の中心が波のような快感を覚えていた。私は両手で自分の身体を抱きしめ、じっと耐えた。秀吉からの閨をまだ断っていた。だが私は欲しいのは、あのいやらしい年寄りの身体ではない。
忘れよう、私は母だ、女ではなく、母として生きるのだ。そう自分に言い聞かせ、固く目を閉じ、激しく首を振った。

やがて、秀吉が私達を大阪城に迎え入れた。
子供の名前は「棄」から「鶴丸」に変わった。私と鶴丸、そして大蔵卿局や治長達、生まれた時からそばにいる者たちとみなで、大阪城の門をくぐった。
私は自分で鶴丸を抱き、堂々と入城した。

ついに、ここまで来た。

--------------------------------

したたかに生き愛を生むガイドブック

あなたはどんな存在ですか?

無条件に愛されている、と言えますか?

自信がありますか?

あなたが無条件で愛されている、と自分で決めるとそうなります。

愛されるのに、なんの条件もいりません。

条件はすべて、あなたがつけているだけです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?