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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十一話 give and takeそれも愛の一つの形

give and takeそれも愛の一つの形

天正17年9月13日、私は鶴丸と共に大阪城に入城した。

秀吉は鶴丸が生まれた時から、彼を自分の後継者に決めた。
そのため山城淀城から大阪城まで、豊臣の権勢を誇るように絢爛豪華な大行列が従った。
大阪城に着いた私は、抱いていた鶴丸を乳母に預け、華やかな輿から降り大阪城に足を踏み入れた。
秀吉は上機嫌で、私達を迎えに来た。鶴丸を見るなり顔中をくしゃくしゃにし

「おお、鶴丸、ようやく来たか!!
ほれ、ほれ!!」
と乳母から鶴丸を奪い、抱っこした。
その様子を、傍らにいる妻の寧々が静かに見ていた。私は寧々に、ほんのわずかだけ頭を下げた。

寧々に会うのは、久しぶりだった。
伯父上が生きていた頃、初めて寧々に会った。
柔らかな笑みをたたえた彼女に、華やかさはないが、凛とした芯の強い女性だと感じた。そして内心よく秀吉の妻になったな、と驚いた。

次に会ったのは、私達姉妹が北ノ庄城を出て秀吉に保護された時だ。
寧々も、私達の元によく顔を見せた。何かと世話をしてくれた寧々だったが、その目はいつも笑っていなかった。
この時から彼女はすでに、夫が私に惹かれているのを知り、警戒していたのだろう。私は控えめに秀吉のそばに立つ寧々の顔を見て、彼女は私が鶴丸を産んだことを知り、どんな気持ちだったろう?と考えた。

秀吉は鶴丸を抱いたまま、身体を寧々に向けた。
「ほれ、これが豊臣の跡継ぎの鶴丸じゃ」
私は彼が鶴丸を寧々に抱かせようとしているのを見て、反射的に身体が動いた。こんな女に私の大事な鶴丸を抱かせたくない!母親として本能に近い気持ちが私を動かした。

その時、私より早く大蔵卿局が動いた。さっと秀吉のそばに走り、頭を下げささやいた。
「関白様、そろそろ鶴丸君(きみ)は、お乳の時間でございます」彼女の言葉は丁寧だったが、有無を言わせなかった。秀吉は女のパワーゲームに気づかないまま
「おお、そうじゃったか!鶴丸、お腹がすいたか。
さぁ、たんと乳を飲んでこい」
と何も疑わず、寧々に向けていた身体を大蔵卿局に向け、抱いていた鶴丸を彼女に預けた。

私は「よくやった、大蔵卿局!」と心の中で拍手喝さいし、一歩前に出た片足を元に戻した。私はこの目で見た。
寧々は鶴丸を抱こう、と手をさし出そうともしなかった。
やはりこの女は鶴丸のことなど、何も思っていない、そう思うと私の背筋はぞわり、と震えた。
寧々の微笑みの裏側にある冷たいもの、それを感じるとまた身体が固くこわばる。それでも私はこの大阪城で生きていく、と心に誓い、城に案内された。

私達の部屋は、大阪城の中でも一番陽の当たる、見晴らしのよい広い場所だった。真新しい畳の匂いがし、床の間には美しい白百合が飾られ、甘い香りを放っていた。白百合は亡き母上がすきだった花だ。これは偶然だろうか?

私は侍女に、白百合を花瓶ごと他の部屋に移すよう命じた。旅で疲れた体に、白百合の匂いは強すぎる。部屋を開け放ち、匂いを外に逃す。ここは寧々の部屋から一番離れた部屋だそうだ。ようやく匂いが薄れた部屋で身体を横たえ、これも寧々の采配かと考えた。

もし秀吉を本当に愛しているなら、どんな手段を使っても彼が望むものをあげればよかったのだ。彼女は秀吉を、本当に愛しているだろうか?
あるいは夫を愛しているから、他の男に抱かれたくないのだろうか?

大蔵卿局がお茶を持ってきたので、身体を起こし庭を眺めた。夏の名残の日ざしと秋がひそむ風が、心地良い涼をもたらした。私は熱くて飲めないお茶を手に、また寧々のことを思う。

私は秀吉に対し、愛はない。
彼が私を鶴丸の母とし、権力と地位を与えてくれることは感謝する。
だが、それは当然だ。
彼が欲しいものを、私は与えた。
その対価とし、揺るぎない地位と権力を受け取る。
give and take それも愛の一つの形だ。

天正13年寧々は秀吉が関白になると同時に、関白の正室を意味する北政所の称号を得ていた。
その前年、彼女は朝廷から女性の最高位、従一位を授かっていた。
どこを取っても、彼女は揺るぎがない天下の関白の正室だ。
しかも彼女は、ここに住む多くの秀吉の側室達の取りまとめもしている。

私はようやく両手で持った茶碗が、ほどよい熱さになったのを感じた。
寧々・・・・・・あの秀吉の女好きにも嫉妬せず、たくさんの養子を育て手なずけた賢い女。そして秀吉の妹、旭を家康の妻にすることを提案した政治手腕もある危険な女。この女には、気をつけねばならない。私は飲み頃になったお茶を、ゴクリと飲んだ。

大阪城で秀吉は鶴丸を目に入れても痛くないほど可愛がり、自分の後継ぎだとみなに印象づけた。
と同時に家来一同に私のことも、以前にも増し丁重に扱うよう申し付けた。
だが私はどうにもこの大阪城が居づらかく、居心地が悪かった。
他の側室達は寧々に従い一緒にお茶を飲みおしゃべりをし、うまく手名づけられていた。

時折、寧々から女だけのお茶会の誘いがくる。その場にいたら、私は寧々より格下の扱いだ。どうして豊臣の跡取りの生母が寧々に頭を下げなければならない?私には理解できない。
そもそも寧々は、伯父上の部下の妻だった女ではないか。
秀吉に頭を下げるのは仕方ない。が、寧々にまでおべっかを使ったり、頭を下げたくない。それがわがまま、と言うなら、それでいい。プライドを下げてまで、一緒にいる必要はない。私は体調が優れないのを理由に、寧々に断りの手紙を書くよう、大蔵卿局に命じた。

そして秀吉と二人の時、訴えた。
「この大阪城は、窮屈です。
ここには、寧々様も始め他の側室達もたくさんおります。
あなたが、私のところに足しげく通えば、他の者たちの機嫌は良くないわ。
北政所様も、いい気分はしません。
どこか他の城に移り、心置きなくあなたと過ごしたい」

そう言った私に秀吉は顔をとろけさせながらも、寂しそうに

「他の城、と言ってもなぁ。
せっかくここで、お前や鶴丸と一緒に暮らせるようになって、わしはすごくうれしいんじゃが・・・・・」と言葉をにごした。

「それは、男と女のちがいですわ。
女にはいろんな事情がありますのよ。
一人の女が特別扱いされるのを近くで見ることは、よくありません」

「そうか、なら離れを建てよう!そこだったらお前も寧々や他の女達とも顔を合わせずにすむぞ!」

私は心の中で舌打ちし、とっておきのネタを広げた。顔を曇らせ、不安感をかもし出し言った。
「女はそのように単純ではございません。女は嫉妬深い生き物です。業が深いのです。彼女達の嫉妬が、もし鶴丸に恨みの念となって向けられたら、と思うと、ゾッとします。万が一鶴丸の身になにか起こったら、と思うと私は夜も怖くて眠れません」
と両手で顔を覆い、泣くふりをした。

案の定、秀吉は鶴丸の名を出すと
「わかった、わかった、茶々!鶴丸に何かあっては、かなわん。
今すぐはどうにもできぬが、必ず何とかするから、待っておれ!」
そう言うと、足早に部屋を出て行った。

一人残された私は、ほくそ笑んだ。だが、鶴丸を恨む念はたしかにあるはずだ。
鶴丸が本当に私と秀吉の子供なのか、という噂は、他の側室達からポコポコ出ている。
だが私はそれを耳にするたび
「なら、あなたもすればよかったじゃない?」と思う。

彼女達は私がどれほどの覚悟で、鶴丸を手にしたか知らないだろう。
覚悟がないくせに、できもしないのに、陰口だけ叩く女達。
一生を飼い殺しにされる生き方を選んだのは、自分自身だと気づかないのか?命をかけ腹をくくることもできぬくせに、口を出すな!

私はいつの間にか、布団の端をギュッと強く握りしめていた。こう思う私の身体には、伯父信長と母お市の織田の血が脈々と流れているのだろう。私はそれを誇りに思う。

そして私を抱かずに部屋を出て行った秀吉に、抱かれなくてよかった、と安堵した。
秀吉は鶴丸を出産後しばらくし、以前ほどではないがまた私を抱きに来る。
だがあの治長との深い快感を知った身体に、秀吉との閨は単調だ。
中途半端に身体に火をつけられ、不完全燃焼し、身体がすすけるのを待つだけだ。
じんじんうずく身体から欲望が鎮まるのを一人で待つ時間は、虚しい。

だがこの大阪城にたくさんの目があり、ライバルがいる。
これまで以上に心を引き締める生活に、私は疲れていた。

天正18年の正月は、大阪城で迎えた。
北政所や私、側室達を美しく咲いた花を見せびらかすようにズラリと並べ、鶴丸を両手で抱いた秀吉はご機嫌だった。
私はそこでぶすっと不機嫌な態度を隠さなかった。見世物でもあるまいし、寧々はともかく、なぜ他の側室達と肩を並べなければならないのか解せない。だから早々に退出してやり、部屋でくつろいだ。

そんな私の様子を見かね、寧々が私達を別の場所に移すことを秀吉に進言した。たぶん寧々も、私や鶴丸を目にしたくなかったのだろう。その知らせを聞いた私は「ちょうどよかったじゃない」と、祝いのお酒を口にした。

その年の二月、私と鶴丸は大阪城を出て京に戻った。
そして聚楽第に入った。豪華絢爛なこの城はまったくもって私にふさわしい。
この城で私はようやく色んな目から解放され、息を吸いやすくなった。

私は鶴丸を抱っこし、心の中でつぶやいた。

「鶴丸、ここで母と一緒に過ごしましょう。
大丈夫よ、ここには名乗れぬけどあなたの父も一緒にいる。
あなたを守っている。だから安心して母と過ごしましょう」

聚楽第で、私達は幸せな時間を過ごした。

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