見出し画像

自分の中の子どもを癒す旅【メンタル】

私はカウンセリングに通っている。回を重ねるごとに、①夢に見ること②子ども時代の自分はどうだったか、ということについて主に話すようになった。

そこから、子ども時代(幼稚園生〜小学校2年生くらい)にひっかかりがあることに気がついた。

夢に出てくる人や状況もそれに関連する。人に言おうとするとき喉まで出かかって言えないことでもあり、今まで心療内科の先生や別のカウンセラーにも話さなかった。子ども時代?問題ありませんでした。というように。

けれど、内向的な子どもだったころの私を癒すことなしに、今現在の私が癒されることはないみたいだ。


今の私は身体がだるくて意欲がなくて、ということはない。やりたいことはまあまあやれていることが多い。なんともない、平常時には好きなことをできている。

しかし局地局所的な不安感(外出が怖くなる・仕事場やスーパーマーケットやイベント会場などへ行くのが怖くなる)が引き金になり、強い自己否定をして、パニック(自傷行為)をし、それがストレス発散になる、というループを約7年ほど繰り返している。

いったんスイッチが入ると、強い絶望感と、希死念慮、自傷(OD、自分をたたく・なぐる)、泣きわめく、ということが起き、生活と人間関係に支障をきたしている…。

MSDマニュアル非自殺的な自傷行為にだいたい当てはまると思う。


約7年繰り返してきているということは、今27歳なので、この症状なしで大人であった時期はない。もはやこの症状が自分の一部であるとも言える。

それでも、生活を改善するためにこのループをやめたいと、強く強く思っている。不安感や落ち込みは治らないとしても…自傷を本当にやめたい。このループ以外の発散方法を、ゼロから、自分の人生に作り直したい


そのための記録として、絶望を感じてパニックを起こすときの感覚を、noteにも書いて残そうと思う。


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

たまに絶望し、ときに自傷をしても、それを受け入れて愛して世話してほしがっている、甘えた7歳か8歳くらいの自分がいる。すごく内向的で優しい子ども。彼女は子犬のようなぬいぐるみを抱えている。泣きたいのになぜか我慢して泣けないでいる。
私はパニックを起こしてパートナーや親に世話されているとき、自分の中の彼女を包み込んでいる…。小さな子どものおかっぱの私は、腕の中にぬいぐるみを抱えている。
彼女は世の中の争いや血や、策略、攻撃性、暴力をまったく受け入れられない。そのようなものが存在している世の中を恐れている。純粋な優しい世界、お母さんの腕の中のような場所にずっと居たい。手の中で粘土をこねたり、絵を描いたりしていたがっている。自分の中だけで完結する、痛くなくて、綺麗だったり可愛いものの世界にいたい。
幼稚園や小学校の庭で、遊具で遊び回り、友達と駆け引きをする同級生を恐れている。あるときある女の子に意地悪される。なぜ意地悪ということをするのかが理解できない。人がイヤな気分になるとき自分がいい気分になるということが理解できない。何か策略を持って人に接しにいくというのがどんなことか分からない。こうすれば相手はこうしてくるだろうと計画するやり方も分からない。


私は何かのきっかけて極端な絶望感を抱くとふとんにもぐって、パニックを起こすかどうか迷う…。かなり追い詰められていても、選択する余地がある。パニックを起こさなければ周りにとっては良いけれど、自分のつらさは引かない…。周りに見てほしい、慰めで優しくしてほしいという気持ちがある。


そして私は7歳か8歳の女の子を呼び起こす。幼児が小学校低学年の子がするみたいに、大声で泣きわめく…。慰めてくれる人は、私を通して、その子までも慰めてくれる。何より私が、その子を包んでいる。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


こういう記録です。

子ども時代について親とも話し始めている。少しずつ。

避けてきたことは結局いつまでも問題として残り続ける。対峙する、その始めのほうにやっと来たのだと思う。勇気を持って向き合いたい。心療内科、カウンセリング、離れている夫、一緒に住んでいる親、周りの人たちといいコミュニケーションをとっていきたいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?