見出し画像

19歳で白血病になった私

そもそもnoteを始めたのは私の病気が再発したからで、Twitterをメインに私のことを知っている方へ向けてなんですが、せっかくだからnoteでの繋がりも出来たらと思うので

今更だけど自己紹介します


生まれも育ちも大阪!
6歳の時に公文の先生と小学校の先生から
『演劇とかやらせてみたらどぉ?』
という勧めで母から『受けてみる?』と提案され
訳もわからず『やるーーー!』といって
芸能事務所のスカウトオーディションを受けたのが始まり。
子役としても別にそれほど成果は出してないけれど
とにかくお芝居の世界に魅了されて、
特に舞台に立つのが大好きです(*´꒳`*)
中学生の途中から演劇部に入って
高校生になる頃には劇作をしたり演出もして、
『まだまだお芝居勉強するぞー!』という気持ちで
大学まで演劇専攻に行きました。
ここまではまぁ順風満帆な?演劇ライフ。

2014年19歳で白血病発症

2013年の末ぐらいから慢性的な怠さと体力の低下があり
なんだろうな……運動不足か……?と思っていたんですが
2014年の年明けから高熱が続いて首が動かなくなり
近所の病院に行ったら『大きい病院へ……!』と言われ
紹介された病院は先生が1人しかいなくて
しかも出張ばっかりで病院にいないから
殆ど何もしてくれず『これじゃいかん!』と
母が抗議して紹介状を勝ち取り、
40℃近い高熱を出したままの私を抱え
今の病院へ駆け込みそして緊急入院。
【急性骨髄性白血病】と診断され、
すぐに治療が始まりました。

白血病の診断を受けて


白血病にも種類があって私の場合は
【急性骨髄単球性白血病】という分類で
いわゆる難治性の白血病です。
抗がん剤が効きにくい・効いても寛解を維持しにくい
つまり、再発しやすく治りにくい白血病です。
骨髄移植をしても5年生存率40%と言われて
そらもう衝撃です。
ついこの間まで、舞台に立っていたのに。みんなと大学に行っていたのに。なんで……。
目の前は真っ暗。
そこからはまぁー!荒れたよ。怒り狂う荒波でした。
同期が『大学だりぃー』とか言おうもんなら
私と変わってくれ!!!私は行きたいのに!!!!
と怒り狂ってたわけです。
当時の彼氏には何回も別れ話をしました。
当時の私は彼の幸せよりも自分が彼を不幸するかもしれないことが辛かったんだと思います。
自分も辛いのに、彼が私のことで悲しい気持ちになるのはもう抱えきれないと思っていました。

過酷なのが当たり前な治療


6年程前の私がしていた治療は、
今から考えるとやっぱり過酷なものでした。
まずご飯が食べられない。
1日に3口程度しか食べられない時もあって
トイレから離れられないことの方が多かったです。
あとは免疫が無いときに来る高熱。
そして免疫が回復してから来る脱毛。
ほんで止まる生理からの不妊。
しんどいのは身体だけじゃなくて
女の子として可愛くいられることも出来ず、
この先に家族を作る夢も失い、
坊主頭でトイレに張り付くことが精一杯。
メンタルもボロボロで孤独感いっぱいの治療でした。

骨髄移植

骨髄移植のための前処置(致死量の抗がん剤)は
それはもう更に過酷を極めました。
【医療用麻薬】をしていたけれども
それでもやっぱしんどかったし
なんかもう覚えてないです笑笑
記憶から抹消してるかもしれない笑笑
ただ、気合い入れてご飯は食べました。
とにかく食べる。吐いても食べる。
そうこうして20歳の誕生日を病院で迎え(冬生まれ)、
更に年越しも病院で過ごし、
気合で2015年の1月15日に退院しました。
1年ぐらい短期退院を挟みつつ治療しました。

退院してからの5年間


幸いなことに私はドナーとの相性も良くて
慢性的な拒絶反応とかはあんまり出ませんでした。
これはすごく幸運なことだったと思います。
経過も極めて順調で演劇の世界に戻ることができました。
退院が決まったときに
『一緒に演劇やろう!』と言ってくれた仲間がいて
かまとと小町という劇団を作りました。本当に感謝。
私の人生においての宝物です。
たくさんの先輩方からもお誘いを頂いて
色んなお芝居にも出ることが出来ました。
大好きで憧れていた先輩とも一緒にお芝居が出来て、
本当に生きていて良かったと思いました。

再発からの今現在


私の過去の投稿を見れば分かって頂けると思いますが
今年の4月に再発していることが分かりました。
元々、難治性白血病である上に腫瘤という形で見つかり
レアカードを沢山引いてしまってる感じです。
でも!!!医学はこの6年でとても進歩していて
抗がん剤の副作用止めも当時より良くなってて
今回の方が断然マシ!
いや……1クール目だから一概には言えないけど笑
更に5年前から変わったことで1番大きいのはこれ

私も大人になった25歳だもの。

笑笑。
ちゃんとお母さんや先生や看護師さんや掃除してくれる人やヘルパーさんや、なんか色々な人に不機嫌で捻くれてお礼も言わないなんてことはなくなりました。笑
布団から出てこずに引きこもることもなくなりました笑
自分で働いて、働くことの大変さを知ってからは
みんなが私のためにやってくれたことを
きちんと理解できるようになりました。
理解するの遅い気もするけどね。笑笑
【理不尽な病とちゃんと向き合う】覚悟が出来てきて
【大切な人・大好きな人が増えた】ことが
この5年の成果だと思います。
もちろんその間にいろんな人に怒られたり
悲しませたりして学んだことだけどね。
ちゃんと教えてくれる人がいて感謝です。

病気の自分を許せるようになりました。
大切にしてもらっている実感が持てるようになりました。
私の大切な人を、大切にしたい。幸せにしたい。と思えるようなりました。
私が頑張ることで誰かを勇気づけようとは思わないけれど、私が頑張っていたことが誰かの参考になればいいなぁ。

他人が頑張ってるから頑張らないと!
なんて思う必要全くないと思います。
のんびりゆったり。ね。
どこかで治療に耐える誰かも、社会で生きづらさを感じる誰かも、孤独な人も、幸せな人も、みんなに救いがあることを祈ります。

この記事が参加している募集

自己紹介

白血病の私はコロナや特発性大腿骨頭壊死症などで働くことが難しいのが現状です。頂いたサポートは医療費や生活費として大事に使わせて頂きます。私の経験がお役にたてば、応援して頂けると幸いです😌