頭でっかちな人間は本当に頭がでかくなる
頭でっかちな人間は本当に頭がでかくなるのか。
最近、頭蓋骨矯正や小顔矯正に行って、顔は小さくなったし
目もぱっちり開くようになりました。
そして、キツかった帽子が被りやすくなりました。
つまり、頭が小さくなったのです。
いつも川下りするときに周りよりサイズの大きなヘルメット被ってて
恥ずかしかったのよね笑
首回りから、頭の凝りが取れると頭の張りも取れて小さくなる。
姿勢やストレスが原因…という説明は他の施術でもよく聞くけど。
先日施術を受けたとろで言われたのが、
「頭に氣が集まっているから。それを滞らせず、下へ流れるようにしている。」
という内容で、なるほどなって思った。
先日見たお気に入りのアニメ、地獄楽でも「氣」の扱いがテーマとして出てくる。
ダークファンタージー上のテーマとはいえ、私にはどうも現実的に見えた。
頭で全て考えようとして、頭に氣が集まると血液やその他流れるべき物が頭に集まり続けて滞りが起きるのかも知れない。
そして私の頭はでかくなった。
何の根拠も無いけど、私はいつかこの「氣」を知覚できるようになれると思ってる。
そうなりたい。いつかきっとなれる。
「氣」の流れを感じれる氣がしてる。
以下は、勝手な妄想に過ぎない話ですが
本当は、もともと人類は「氣」が知覚できたり、周波数や波動を読み解けたのではないか。
そして創造主との対話も。
でもそういう能力をフル活用しちゃうと、学んだり葛藤したりするチャンスを失うから
一旦その能力をセーブさせて
学び、葛藤、そこから生まれる喜びと達成感を体験する旅に飛び込んだんじゃないのかなと。
そう考えるなら、どんな困難や逆境も
学び、味わうためのドラマであり、
ビジネス的に言うなら、ケーススタディーなんだろう。
でもまあ、壮絶な逆境の渦中にいるときは、そんな客観的なこと思えないけどね。
遠回りもまた、ケーススタディー。
そして余り関係ないのに、なぜか思い出す幼少期。
4歳になったころ、ヴァイオリンを習い始めた。
親に毎日毎日「さきちゃんヴァイオリンやらない?」と聞かれ続けて
面倒くさくて「やる」と答えた。
全然好きじゃないし、興味の無い楽器で、
才能も無かった。
「どれだけ下手なんだ!!」と怒鳴られ続け、泣きながら弾いた楽器だった。
幼少期の私は、「楽器は泣きながら弾くものだ」と思ってた。今から思うとチャンチャラおかしな勘違いだ。
唯一のモチベーションは、母に褒められたかっただけ。
他にやりたいことは沢山あったけど、自分がやらせたい事以外は許さない親だったから
望みは叶わなかった。
習い事だけじゃなくて、人生の選択も。
いつしか、自分の意思もアイデンティティーも無くなって、
親に認められることを行動の主体とする人間となった。
もちろん今は違うけどね。
自分の道は自分で切り開く。
でもその価値が分かるようになったのは、
真逆の世界を経験して大きく迂回したからだ。
これからは、自分の意思や左脳的感性だけでなく、
波動や周波数も判断や行動に加えていきたい。
本当は答えは分かっているのに、世間の常識と左脳的判断が感性を鈍らせる時もあるから。
何だかな、何言いたいんだか分からない感じになってしまいましたが。
とりあえず、もともとは暗い人間じゃないんです。
でも先日、「第一印象は、どちらかって言うと暗く見えた。」と言われて…(ToT)
悲しいく苦しい経験も、その事象だけにフォーカスするのではなく、
その事象が訴えたいメッセージを受け止めて
嬉しい経験も含めて全ての流れを滞らせずに、中道を進みたいものですね。
そうしたら、どんな経験も人生の深みと味わいとして溶け込んでいき、
バージョンアップした人間になれると思ってる。
今まで色んな経験や挫折があって、
自分でも信じられないような道を進んだ。
だから、
目に見えないものの存在を信じし、
敬意を持つようになった。
いつしかそれも見えるようになりたい。
もとは暗い人間じゃないから
全ての経験と波を受け入れて、
凝りになるような、波や氣は浄化して
バージョンアップするよ(≧▽≦)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?