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小説:雷の道(火曜日) #05

実家に帰ると家の中は真っ暗だった。
年老いた両親を起こさないようにかつて自分の部屋だった場所に手探りで足を踏み入れた。
電気を点けるとそこには、あったはずの机も本棚もベッドもなかった。
四角い部屋の真ん中に四角い布団が敷かれているだけだった。

十五年の不在。
駅に着いて真っ先にここへ来るべきだと思った。
でもどうしても足が向かなかったんだ。
怖かったのかもしれない。
結衣のものを目の当たりにする事が。

押入れを開けた。
整然としていた。

おそらく中のものが全部取り出され仕訳けられ、再び納められたのだろう。あるのは顕微鏡、天体望遠鏡、美術全集などだった。

僕が大量に残して行った教科書やノート、参考書、私物はどこへ消えたのだろう?
でも文句を言える立場じゃない。
不在にするということは、そういう事なのだ。

隅に段ボールが一つあった。
それを外へ引きずり出した。
思ったよりも軽かった。

開けると僕の私物が入っていた。
学年毎の通知表、写真卒業の時もらった寄せ書き、高校の頃付き合っていた結衣からの手紙、それらのものが時系列的に整理されていた。
おそらく一度熟読され吟味され再び納められたのだ。
こういうことをするのは姉しか居ない。

でも腹はたたなかった。
それよりも少しすっきりした気持ちになった。

結衣。
高校三年生から卒業する直前まで付き合った女の子。

彼女は高校生活に彩を与えてくれた。
モノクロの受験勉強生活を潤いあるものに変えてくれた。
そう。物事というのは同じものでも見る角度によって大きく変わる。

僕は結衣が書いた手紙を読み返した。
上手い文章だった。
綺麗な字だった。
でもそれだけだった。
本当にそれだけだったんだ。
それ以外にどんな感情も湧いてこなかった。
終わっていたんだ。
ただ時間が必要だっただけだ。
十五年という歳月が。
当時の僕に聞かせてあげたい。
時間が解決してくれるんだよ、と。
だから悲しむことも怒ることも、ましてや恨むこともないんだよ、と。

一番下に白い封筒があった。
でも封が閉じられていた。
まるで記憶がなかった。
少し迷ったけど封を切った。

それは美沙岐にあてた恋文だった。
手に取ると昨日の事のように蘇ってきた。
何枚書いたんだろう。
書いては破り、破っては書いた。
どのくらいの時間を費やしたんだろう?
その徒労とも思える膨大な作業に。出されるあてもない文章のために。
でもそれは、そのセリフは僕を支配した。
夜の闇に紛れて離さなかった。

ペンを取り机に向かった。
それは溢れるように次から次へと出てきた。
どこにあったのか、どこを彷徨っていたのか、皮膚の間から湧き出てきた。それを両手ですくいあげた。
一滴もこぼさないように細心の注意を注いで。

今、手にしている手紙はその生き残りなんだと思った。

「美沙岐に手紙を出すなんて初めてだよね。
突然でごめんね。
でも、突然はいつかやってくる。
そのいつかがやってきただけだ。
昨日、廊下ですれ違ったね。
振り返ってみたけど美沙岐は他の事に夢中だった。
僕はずっと後姿を見ていたんだ。
目が離せなくなるんだ。
体育館に居るときもそうだ。
美沙岐を見ていると胸がいっぱいになる。
練習がきついことを忘れてしまうくらい苦しくなる。
でも、美沙岐の視線の先はいつも別の所にある。
僕を見ることはない。
そしてまた胸が苦しくなるんだ。
こんな事がずっと続いている。
日を追うごとに増している。
今は夜で少し落ち着いているけど、朝になって学校に行って、美沙岐をどこかで探してる自分がいて、この気持ちをわかって欲しくてこれを書いている。

もう気付いてるとは思うけど僕は美沙岐の事が好きだ。
ずっと前から好きだった。
初めてなんだ。
こんな気持ちは。
だからと言って今すぐどうにかなりたいとかそういうんじゃない。
いや、どうにかなりたいのかな。

僕は美沙岐を恋人にしたい。
将来、自立した大人になって美沙岐とつきあいたい。
美沙岐を僕だけのものにしたい。
必ず僕は美沙岐と対等につきあえる大人になって立派な大人になるから、その時までどうか一人でいて欲しい。
誰のものにもならずに」

これを姉が読む可能性があった事にぞっとした。
封をしておいて良かった。
そして美沙岐に出さなくて本当に良かったと心から思った。




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