sakaki

ただの私の日々の記録23歳

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ただの私の日々の記録23歳

最近の記事

私が思うに、私はシンプル。

最近noteを開いたのも約2年ぶり。久しぶりだ。 書けるかも少しばかり不安だが、書いてみよう。 リハビリ程度に、ここ数年降り積もるに降り積もった違和感を言葉にしようと思う。じゃあ次の文からいきなり本文だよ。 準備はいいかい❔ では本文。 ところで、きみは私と出逢ってから、仲良くなってからどのくらい? 小学生からの仲だったら、かれこれ15年 中学生からの仲だったら、かれこれ11年 高校生からの仲だったら、かれこれ7年 大学からだったら、ここ4年の話になるね アルバイト

    • 価値観の中に我を見る

      "価値観"と私の話。 ここ半年近く、何度"価値観“という言葉を使って物事を考えただろう。何度"価値観"という高い壁の前に立ち尽くすことがあっただろうか。その度に、同じことを良いと思い、同じことを良くないと思える相手。同じことを楽しいと思えて、同じことを素敵と思える相手。彼らとその存在の事実の眩さに何度心の居場所を見つけることができただろう。私の中の常識がこの世の常識ではないこととの葛藤や、それでもなお大事にしたいと思える自分自身の感性。"それは違うよはなちゃん"と言われて自分

      • その事実は今も昔も、永遠に私を溺れさせる

        小学生の時の話。周りがポケモンをする中、わたしはドラクエをしていた。周りが進研ゼミ・チャレンジを受けてたり、KUMON塾に通う中で、わたしは*ドラゼミ(ドラえもんをキャラクターとして採用していた通信教材)を受けていた。けれども、周りがドラえもんを見るのが金曜夜7時の日課だったころ、私はというとキテレツ大百科を見てはOPとEDをお風呂で歌って、そのおかげでコロッケの作り方だけは完璧だった。そしてキャベツを忘れることは今もない。 その時の私は私しか見てなくて、周りの動きと自分の

        • どこまでも甘いケーキを食べたい

          私は今路頭に迷っている。 ショートケーキから苺がなくなった、 そんな虚しさと共に。 ここに文字を残すときは決まって自分の気持ちに波があるときだ。それは調子の良い波の時もあれば悪い波の時もある。言えば今は調子の悪い波の最中なのかもしれない。 現在、私は鷹の台駅付近にたたずむ某美術大学に通っている。そして今は大学2年生の夏の終わり。 美大生としての自分でこの人生が終わるなら今はこんなにも悩んでいないだろうなと思う。もちろん美大生として過ごす時だけが私の人生ではない、人生とはこ

        私が思うに、私はシンプル。

          曖昧は素晴らしいかもしれない

          最近(半年近く)物事を言葉にする行為から遠ざかっていた気がする。と、不意に気づいたように言ってみたけど、それは意図的なものであった。だからか今さっき、久々に過去の自分のnoto投稿を読み返したらとても懐かしかった。猛烈に熱のこもった自分の残した文章から、その時に考えていた考え事、抱えていた悩み事が一気に脳内にフラッシュバックする、そんな感覚があった。と同時に、これらを過去に感じられる事自体が自分が少しだけ成長した証のようにも感じられた。  はじめにも言ったが、近頃私は半端意図

          曖昧は素晴らしいかもしれない

          さあ、やりたいことはなんだ?

          今は春休み真っ只中、新型ウイルスの影響もあって外に出ることが普段より一層億劫になっている。部屋の片付けをする運びになったのもそれが理由なのかもしれない。 部屋の片付けをしていて、見つけたモノを共有したくて文を書きます。まず見つけたもの、それはこれ。 これは、私が高校3年生の時の現代文の授業で書いたものだ。私の母校では毎年"私のメッセージ"と称して、自分の好きなことについて3-5分程みんなの前で話すという全学年共通のものが授業の一環としてあった。(みんな描くものは本当に様々

          さあ、やりたいことはなんだ?

          最近の私はなんだか心が安らかで温かい。

          12月頃からヒシヒシと、今年に入ってから更にヒシヒシと感じているひとつのことがあって、耐えきれず煮詰まっていないまま言葉にします。 最近の私はなんだか心が安らかで温かい。 春休みに入ったとは言えど、自分で考えないといけないことは尽きた訳ではない。しかもそれは私が自分で"考えたいこと"というよりも"考えないといけないこと"や"決めないといけないこと"だったりもするから(二年生に入ってからの専攻決めのことだったり、進路のことだったりそれらって必然的に悩むべきことだったりしてネ)

          最近の私はなんだか心が安らかで温かい。

          彼女のイヤリングは可愛かった

          なんか恋愛ドラマを見てると、相手に振られたりとかすれ違ったりとか切ないシーンでその2人の思い出を振り返る描写がドラマの演出上、この話までの話(例えばそれがドラマの5話目だったらそれまでの1話-4話)の思い出のシーンが切り取られてスローモーションで流れるじゃん、BGMと一緒に。 本来なら記憶としてしか残らない出来事(思い出)がドラマだと映像として物理的に存在させることができて、視聴者の私は見ることができる、ドラマだと形に残らないはずの記憶を可視化することができるじゃない。でも

          彼女のイヤリングは可愛かった

          もっと大人かと思ってた

          もう時期、私の周りの半分くらいの人が "20歳" になりつつある。その中で "20歳ってもっと大人なのかと思ってた"とよく聞く。19歳の私もたびたび思う。 "19歳ってもっと大人なのかと思ってた"ってね。 中3になった時、高3になったときも似たようなことを感じたのを覚えてる。中一のとき、高一のときに見ていた先輩方と同じ年齢、学年にいざなると自分達と、神々しい存在の先輩方との印象のギャップに戸惑った。 あの頃の先輩方と今の私が同い年?ありえない、と。 中学、高校に戻ったよ

          もっと大人かと思ってた

          時に自分を裏切りながら

          自分が変わることばかりを求めていては自分がなくなりそうだ。 今更何をいう、と思われるかもしれないけど私は大の"優柔不断"で。迷うことを得意とする。たぶん純粋に、沢山ある選択肢の中で出来るだけ気持ちの良くなる選択をしたいからだと思う。だから時間が許す限りはとことん悩むのが、いつものことで。 ただ自分以外の人がいるときはそれが崩れる。それは"人を待たせることを好まない"から。逆にそのことを好む人はいないとは思うけど、出来るだけしたくないと思う気持ちが私は尋常じゃないくらいに強

          時に自分を裏切りながら

          今日もまた終わっちゃったよ

          入学式から今日で早3週間が経った。 ありえないほどに早い、毎日が誇張表現一切なしに楽しいんだよ。私の学科(工芸工業デザイン学科)は毎日月から土まで週6で1、2限が必修なんだけどさ、不満が一切無い。今日になって作品がひと段落してやっと疲れが出てきたけど、毎日が終わってしまうのが本当に惜しい。今日という日が本当に楽しかったなァと噛み締めながら、秒で床に就く。どうしよう楽しい。 これ以上に楽しさを言葉にすると、神様に幸せすぎだと罰を与えられそうで、誰かに憎まれそうで、けど私楽しいん

          今日もまた終わっちゃったよ

          いいこと考えた、

          私の中の気持ちのジレンマをどうにかするためにブログを書くね。 私の中で、感情が溢れてしまうことも、その感情の全てを自分の言葉で自分自身が知っておきたいと思うのも、そうしないと気が済まなくなってしまうことがあるのも今に始まったことじゃないんだけどさ。だからそれを紙に書くこともTwitterに残すことも日課として慣れてる。Twitterのホームを突如私の長文読解が占めてしまうこともしばしば。 私は結構どうでもいいことにでも感動してしまうことがあって(私にとってはどうでもよくな

          いいこと考えた、