見出し画像

時に自分を裏切りながら

自分が変わることばかりを求めていては自分がなくなりそうだ。

今更何をいう、と思われるかもしれないけど私は大の"優柔不断"で。迷うことを得意とする。たぶん純粋に、沢山ある選択肢の中で出来るだけ気持ちの良くなる選択をしたいからだと思う。だから時間が許す限りはとことん悩むのが、いつものことで。

ただ自分以外の人がいるときはそれが崩れる。それは"人を待たせることを好まない"から。逆にそのことを好む人はいないとは思うけど、出来るだけしたくないと思う気持ちが私は尋常じゃないくらいに強いのだと思う。だから " 他者が関わった時の選択 " は私の中では難易度が高い。それ故に出来る限りその機会を自分でつくることを避けるようになって。そしたら待たせることもなければ決めることを急ぐこともないから、きっと他者にとっても自分にとってもwin-winになると思って。いつにする、どこにいく、全部が苦手でさ。自分から誘うことも稀にしかない。いやいやそんなことないだろ誘ってるじゃんと思われるかもしれないけど、それは感情の高まった時の勢いだったり、日付を決めることを第一としてないただ会いたい話したい一緒にどこかへ行きたいといった気持ちに身を任せた連絡だったり、直近の日(例えば明日とかその日の夜のこと)の提案だったりが多い。ひたすらのんびりを求めてしまう。

今のこの話の中で私は"優柔不断"と"人を待たせることを好まない"、他にもいくつか"自分はこういう人"というレッテルを貼っている。他にもいっぱいあってさ。これはいくらか自分の行動を狭めてるじゃないかなって最近思うんだ。

人に対して、この子ならしょうがないと思えて普段は許せることが、許せなくなる瞬間がある。
この子はいつも約束に遅刻する子だ、だから遅刻をしてもいつものことだと思ってあまり気にならない。でもふとした時に腹立たしく思ってしまう瞬間がある。この子ならしょうがない、が通用しなくなる瞬間が。
(これは例え話で、誰か一人に向けて言っているわけではないよ。)この気持ちの矛先が自分になることがあるんだよな。自分のことを決めつけるには早いんじゃないかって。けどその全てを変えていくと、私が私で無くなる気がして。だから今日も私は優柔不断な私。

でも最近はね少しずつチャレンジもしてる、例えば食わず嫌いを無くすとかね。そのおかげでキャラメルが大好きになったよ。変化ばかりに気をとられることは悩みの種になりやすいから避けようとは思うけど、変わることも時に悪くないなと時々身をもって実感する。

ほどほどに自分を自分で知っていきたい、自分は〇〇な人だと言い切るにはまだ早い。時に自分を自分で裏切りながら、時に自分自身に安心したい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?