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どこまでも甘いケーキを食べたい

私は今路頭に迷っている。
ショートケーキから苺がなくなった、
そんな虚しさと共に。

ここに文字を残すときは決まって自分の気持ちに波があるときだ。それは調子の良い波の時もあれば悪い波の時もある。言えば今は調子の悪い波の最中なのかもしれない。

現在、私は鷹の台駅付近にたたずむ某美術大学に通っている。そして今は大学2年生の夏の終わり。
美大生としての自分でこの人生が終わるなら今はこんなにも悩んでいないだろうなと思う。もちろん美大生として過ごす時だけが私の人生ではない、人生とはこの先もずっと続くものだ。そんなのは地球が回っていることよりも当たり前なことで決まり切ったこと、ただこれまでの私の中には存在しない事実だった。
というのも恥ずかしながら私自身、某美術大学に入学することを人生のゴールのように捉えていたからだ。正しくは通過点なのだが、通過点にしてもここを通らずしてはこの先はないとまで思っていた。その熱意とは裏腹に現役受験は結果が振るわず一浪をすることになったものの、今思えばその浪人生としての私は今日1日の私よりも輝いていたように思える。
浪人時代の私はその文字通り、立場上は不安定だった。どこに所属するわけでもない、一定の拠り所がないままの身分。学生という単位で数えることもできずにただプカプカと浮き続ける身分。それはそれは水のように彷徨い続けて、大学生?とバイト先のお客さんに聞かれた時の答え方、大学の話に盛り上がる同級生へのなかなか親身になれないまま打つ相槌、映画を学生料金で観ていいものかという素朴な疑問、そのそれぞれで何者でもない自分自身の存在を何度も確かめた。
その時々は他者から見れば一見真っ暗闇にも思われるが、実際はそんなこともなかった。一心不乱な当時の私の姿は眩い光を放って輝いていた。今となってはそう思える。

ここで自分へのひとつの疑問、
学生としての立場が既に保障されていて学ぶ環境も整っている(オンライン・コロナ云々はさておき)今の私には無い輝きが、立場さえも危ういこの先を考える余裕さえもない浪人生の私にはあった。
さて、この違いは一体なんだ?
と言葉にしながらも、薄々私自身の中では分かっている気がする。だからここからは言葉選びに気をつける事を意識しながら、より真実に近づけるように心がけたい。

まずあの時の自分にあって今の私にないもの、それは”目標”だ。浪人期の目標が”大学合格”であることは言うまでもなく、それは大抵のことがない限りは揺るぐことがないであろう絶対的な目標だった。それ故に時にプレッシャーとなって襲ってくるものもあったが、私にとってのその絶対的な目標はあの暗闇の中では光のようなものだった。
光に繋がるものごとを探す間にたくさんの彷徨いや壁との衝突、自分との葛藤こそあるものの、その道標があると言う事実が私の中のバランスを保っていた気がする。

もう少し私の中の思考を丁寧に言葉で解いていくと、とりわけ目的さえあれば私はそのためのプロセスを考えることができる。そして万が一このプロセスが順調に進まなくても、どうしてうまくいかないのかを考えることができる。加えてこのプロセスにもう一度打ち込むか、プロセスを見直すかの選択することさえもできる。
想像してみてほしい。作りたいケーキの種類さえ決まっていれば、その過程でスポンジケーキがうまく膨らんでくれなくても、生クリームが思うような硬さにならなくても私にとってはなんら問題ないのだ。スポンジケーキは生地の混ぜ具合を見直せばいいし、生クリームは既にクリーム状になった市販のものを使えばいいのかもしれない。
そうでしょ?
それより何より私を不安定にさせるものの正体は、
どの種類のケーキを作るのかが決まっていない時。 
つまり目的が決まっていない状況そのものなのだ。
ケーキがタルト系なのかそうでないのか、大きさはどのくらいにするのか。作るものがケーキと決まっていたらまだいい方で、焼き菓子かもしれないし和菓子かもしれない。もうなんだっていい。
ただ何も決まっていない間の私は、スイーツの甘い香りさえも憎く思えてしまう。

今はこの先の人生が続く中で今をどう選択すればいいのかに悩んでいる。周りの人たちは今を楽しんで今の選択をしている。その姿がキラキラ輝いて見えて、眩しくて純粋に羨ましい。一方で先をどうこう気にしている自分が荒んで思えて憎いく思える。けど先を気にしている事を、先を"気にしてしまっている"とは思ってはいなかった。私自身の行動の軸に先の見通しを立てる事が安定にひとつのプロセスとして組み込まれていて、好き好んでと言うのもおかしいが、考えると言う過程が私の中では自然にあるものだった。ただこの先のことを見通すことを前提として、その為の時間を過ごすのが今だと思っていると、先に不安がある時どうしても今が果て無く不安定になってしまう。ふと思う、私は先のための今を過ごすことが得意だが、今を楽しむことを知らないのかもしれない。

やりようも無い不穏感が気持ちを占めている中で、幼い頃からお世話になっている恩師にいつかに言われた言葉が今更脳内に響いてくる。

「今から決めたって全くのその通りになることなんて無い。だから全てを決める必要はない。」

人の言葉を自分のものにするには相当な時間が必要だと思っている。時を経て改めて自分の中のいつもの思考の営みを少し崩すことも必要なのかなと言う風に感じた。自分の今に対する捉え方への疑問さえも生まれてきた。先の見通しを立てることが安定を導いていると言うことに固執しすぎているあまりに、先の見通しを立てられない今が果てのない不安定になりつつあるのはあまりに不毛に感じられて惨めだ。

今に対してもっと鈍感になるべきなんだろうか。冷静になれていない気もする。こういう時って周りが全く見えなくなるし、自分自身も分からなくなる。分からないことが多くて、どうしようも無い衝動に駆られながら文字を打ち込んでいる今の自分。

その今の自分はそこはかとなく歪んでいる気がする
どこまでも甘いケーキを早く食べたい。

*ここの写真のケーキはどれも私のおすすめのケーキばかりです。
1枚目:イタリアントマト(通称イタトマ)のショートケーキ。ここのケーキを食べて初めてショートケーキが心から好きになりました。
2.3枚目:近所のケーキ屋さんTERUのケーキ。生クリームがしつこくなく、かつ物足りなさも全くない絶妙の味わい。馴染みのお気に入りケーキ屋さんです。
4枚目:TOPSのチョコレートケーキ。いつ食べても贅沢な気持ちに包まれる、特別な味。
5枚目:母の手作りケーキ。こうして写真から汲み取れる愛に心がホッとする。

今に対して頭を抱えているのは
きっと私ひとりだけではないのだろう。
けれどもまるで私だけに思えてしまう。
そんな夜もあるよね。

周りのみんなも純粋無垢に
前だけを見て生きているのではないのだろう。
けれどもそう思えて、
比べては自分が愚かに思えてしまう。
そんな夜もあるよね。

そんな夜が続くと
そうでなかった日の夜が
 思い出せなくなってしまう。
そんな夜もあるよ

そんなときに思い出せるように
 色んな時の自分を記録しておく。

さっさと明けてしまえ、そんな夜

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