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児童から見た母との距離と関係について 守護霊(稟僧)

母とあんなことがあってから実家に戻ることも遠く感じていた日々
遠い小学校まで徒歩で通い、毎日、足がとっても痛かった。
帰り道に実家をそぉっと見に行ったことがあった。
母が妹と弟と遊んでいた
久しぶりに見たやわらかい笑顔
あ!ここにいることがわかったらダメだと帽子を深くかぶりなおして家とは反対方向へ向かって歩く
いつからこんな感じになったんだっけ?と
曽祖父の家に向かいながら考えてみた。
そうだ!私が稟僧と会ったころ。急に回りの大人が寒々しい顔つきで
私を見てくるようになってからだ。
母は豆腐屋の手伝いも来なくなったとき、
母が曽祖父の家に行かなくなってからだ。

最初は大人どおしで何かあったのかな?ぐらいしか思っていなかったが
母と私と妹と弟で遊びに行っても私だけ呼ばれて曽祖父母の部屋に行くようになってからだ。

別段なにか曽祖父母と話しという話はしていなくてただ感じたこと見たことを話すように言われていたので、あのうちの墓は反対向いているのでそのうち誰かが亡くなるよとか、今、入院している裏のおばあさんが亡くなるからクリーニングに出している喪服引き取りにいったほうがいいよぐらいな
二言三言話すぐらいでその部屋を去っていったのに。
母からよく問いだされた
「今、おおじいじの部屋で何を話してきたの?」
「最近感じたこと起こりうることを話しただけだよ」
「いいから教えなさい」とうるさく言うので話した
それから数か月以内に私が話したことに対して偶然的にも一致した
母が私に
「この前言ってたこと当たってうれしい?」
私は言ったことも忘れていたので
「別に」と言い返したら
「嫌味な子だね。なんでこんな嫌な子になったの?人を見下したみたいなことを言って」と叱られた。

ある日、母が自分の姉、私にとっては伯母に電話している声が聞こえた
盗み聞きするわけではないがもともと地声が大きい人だったので
普通に聞こえた。
私が曽祖父の力と同じになったこと・曽祖父に孫(母たち)が無力でいらない存在・私を養子に迎えたいなどが聞こえた。

最終的に聞こえたのが
「私、あんな子産むんじゃなかった」と

悲しかったけど、しかたないと思った瞬間
稟僧がそばに来て言ってくれた
「あなたは不要ではないです。必要だからこの世に降りてこられたのですよ
今は、言われてもしかたありません。いつかわかってくださる日がきます。我慢しておいてください」

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