見出し画像

Essay day7. お母さんはいつだってちゃんとしてた

大人になって、自分で住むようになって、お母さんって凄かったんだなって、今までと別の次元で理解するようになった。

朝起きたら毎日しっかり布団を畳んで、しまって、週に一回お日様にあててくれて、シーツもしょっちゅう変えてくれて、朝ごはんが用意されて、家の中がいつも清潔で、毎日洗いたてのパジャマを着て、シャツにはアイロンがかかってて、夜ご飯は毎日手作りで、疲れたから食器洗うのは明日でいいや、なんてことは絶対に無くて、家にはいつも季節のお花が飾ってあって、枯れないように丁寧にメンテナンスされてて、お風呂もトイレも毎日掃除されていて、、

そんな子供の頃の当たり前を自分自身で再現するのは物凄く労力のいることだって大人になって知った。

私のお母さんは、すごくきちんとした生活ができる人だった。日曜日の昼はインスタントラーメンにしようとか、マクドナルドにしようって事は勿論あったけど、それが珍しくて「やったー!」って言っちゃうくらいには凄くちゃんとしてた。煮物も餃子も唐揚げも、焦げてたり失敗したりすることが一切なかった。麻婆豆腐は子供に容赦なくめちゃくちゃ辛かったけど。料理は盛り付けも大切と言って、いつもすてきな器によそっていた。そういう小さな日常の美意識を絶やさなかった。

私が自分の部屋を片付けないと気が緩んでると言ってよく怒ったし、本人は自分自身にも常に厳しい人だったと思う。

最近、子供を産む前も彼女はあんなにちゃんとしてたのかなぁと考えることがある。

私たちの世代は仕事と母親業との兼務のために夫婦で向き合うことがスタンダードになって来ているけど、母の世代は母親としてちゃんとしていなきゃいけないって周囲からのプレッシャーがもっと強かっただろうから、それもあってしっかりしていたのかもしれない。

私が今からタイムトリップして20年くらい前に行って40歳くらいの母に会いに行けるとしたら、間違いなく「ねえ、もう少しサボってもいいんじゃない?」って言っちゃうと思うな。そして、「いやいや、子供のあんたがもう少し手伝ってくれたら私がサボれるんでそっちを説得してください」って文句を言われる気がする。

残念ながら、お母さんがどんな思いで母親業をしてくれていたのか聞くことは出来ない。でもいつか私が母親になる機会を持ったら、子育てを通じて何か気付かされたり、思い出せたりすることがあるのかもしれない。

子供の頃、お母さんの肩を叩いてよく500円を貰った。肩越しによくテレビドラマを観ていた。時々気が向いてお花を買ったりすると、ふとそんなささやかな景色が蘇ってくる。

記事を読んでいただきありがとうございます。個人的な情報を含まない記事は全て無料で公開しているので、気に入って頂けたらサポートしてくれると大変励みになります:)