見出し画像

自分を傷つけるために生煮えで隙だらけのnoteを31日間毎日書いた。批判されるようにならなきゃ始まらない。

こんにちは!スタジオサイタマ合同会社の加藤です。

毎日なにかしらnoteを書くというのを続けて31日目(サイの日)、ここで連続投稿は一旦終わりにしようと思います。たった31日だけど、誰に見られているわけでもないけど、自分にとってはかなり修行な日々でした。

もともとぼくは、特段賢くもないくせに批判的な性格をもっています。何か違う着眼点を持っていることが正義と思っているやつ。あえてポジティブな言い方をして慰めてあげるとすると、クリティカル・シンキングの癖が付いているとも言えるかもしれませんが...

注目されている記事を読んでも、絶賛されている映画を見ても、音楽を聞いても、何か異なる意見を言いたがる。簡単に「いいね」をあげていっしょに盛り上がることができないという病気なんです。親指を上げるにしても、いくつかの自分なりの言葉を折り重ねて、回り道して、一から作り出したオリジナルっぽい「いいね」じゃないとダメ。安易な称賛の言葉を投げることは、表現者への無礼にあたるとすら思ってしまう。

こんなひねくれた性格はひるがえって、自分が表現することに歯止めをかけます。意思表明をするにも細かく推敲を重ねようとします。意図することを正しく伝えるための表現ができているか、論理構造はどうか。できないなら、やめとけ。自分からの、自分への目線が気になる。

だけど、どこまで突き詰めたところで、そんな上手いことできるほどに賢くないんですよね。圧倒的に情報の整理がうまいわけでもないし、誰にでも共感してもらえるような言い回しを紡ぎ出せるほど、クリエイティブでもない。

「自分ってこんなもん」

一つだけ弁明すると、これまでの人生で何度もそうやって自分のサイズを測る機会があるほどには人に恵まれてきました。アメリカのベンチャーキャピタルでインターンをしていたとき、社会人になって1年目客先チームでエンジニアとして働いていたとき、アカデミックで確かな裏付けを持つ人々と働いたVRベンチャー時代、埼玉で友達と起業して過ごした1年間。

機会を与えてくれた先輩や上司や友達、家族、本当に感謝しています。身の程を知ってこそ、次に破るべき殻がなんなのかがわかるから。

そんなわけで、自分がどの程度の能力の持ち主かなんてことはとっくに理解したつもりでいたんだけど。。。まだ何か勘違いしている、わかっていないんだなぁということに気づくための時間(ここでは割愛しますが)が2020年末にありました。

「自分ってこんなもん」もっと身にしみてわからせる必要があるな、そのためにはある程度自分を傷つけないと、と思って始めたのが毎日noteを書くことでした。

生煮えで隙だらけの自分を発信し続けること。大したことしてるわけでもないんですが、それはぼくにとって怖いことでした。内容の無い発信をしてしまう、それなりに想いを込めて書いても表現しきれない、リアクションを貰えるようないいものを出せない、なにより自分からの批判が怖い。

31日間noteを書き続けてみて(深夜帯になって日をまたいだり、写真で繋いだり、ごまかしもありましたが)、当初期待していたほどには自分を傷つけることができました。

収穫があったとすれば、この程度の傷はたいした傷にはならないということ。そして、自分が日頃批判対象としているものは、自分なんかのところにまで届いてきた、どこかの誰かの至極の存在証明なんだということ。今は万物へのリスペクトしかありません。ニュースフィードの先にいる全ての人々にリスペクト。

これから先の目標としては、批判されるようになりたい。それはどこかの誰かに自分の存在を知ってもらうことに他ならないから。そして自分で自分のことを理解するための手段でもあるから。そのためには発信することをやめちゃいけないな、未熟な表現だとしても。

以上です!

ここからはひねくれた自分のかつての姿を自分への備忘録として書いておきます。

中学生時代なんかはJ-POPを聞いてるのはダサいと思っていて、ひたすらにディスクユニオンに通ってはレッド・ツェッペリンとかピンク・フロイドの紙ジャケを買いあさり、6,70年代のブリティッシュロック、プログレッシブロックを聞いていました。”流行りの曲を無限ループするように聞く”という考え方にアレルギー反応を示していて、アルバム単位で聞け、とか、聞くアルバムの順序はこう、とか、プログレはスピーカーの前に座って聞け移動しながらとかダメ、とか、そんなことを唱えていました。

高校生になるとジャズやフュージョンというジャンルの音楽を好きになって、CDショップにも置いていない、アメリカのバークリー音楽院講師のAllen Hindsとか、当時は誰も知らないようなギタリストのCDを直接輸入して聞いていたりして、満足感を得ていました。

大学に入学しても、受験合格なんて喜ぶもんじゃないと思っていたし、試験を無事に通過して意気揚々としている人達を見るのが嫌いで関わることを拒んだ結果、高校からエスカレーターで上がってきていて地に足のついて見えた内部生(慶應義塾高校出身の生徒)の内輪で始めた歴史浅い野球サークルに入りました。(今ではかなり大所帯で学内1の野球サークルのようです)

就活だって、OB訪問をしては大手の会社を手当たり次第に片っ端から受けまくって内定を得るのはなんか違うと思っていたために、選べる立場でもないし、明確に道が決まってもいないくせに就活をほとんどしなかったし。

中学生になる頃まではかなり素直な性格だったはずなんだけどな。いわゆる優等生キャラであろうとして、まじめ。一人称もぼく。小学生なりに思いつく限り一番公益に寄与していそうなお医者さんになりたいとかいっちゃうような。

かつての純真な素直さを取り戻すことはできないかもしれないけど、自分にたいしてまっすぐ批判的であることはやり続けられる気がする。身の程をわきまえないで間違いそうになっていたらまた修行させよう。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?