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結婚制度を廃止すべきという意見に対して思うこと

一見すると馬鹿げたことを言っているようで、実際に中身を見たらなかなかまともなことを言っていると感じた記事がありましたので、ご紹介したいと思います。

結婚という法制度は、結婚とさまざまな権利・利益を結びつけて、結婚している人々を優遇する。
(中略)
自分にとって家族とは誰なのか。家族とはどういうものなのか。これについては、個々人の好きにさせてしまおう。法はこれに関わらなくていい。この家族があの家族よりも大切だなんて言うべきじゃない。これが、この記事の提案のひとつだ。

引用元:愛のために「結婚制度」はもう廃止したほうがいい、法哲学者の私がそう考える理由

恋愛・性愛の証としての結婚制度が存在しているという法の背景は裁判の場でも肯定されていることであり、また事実として結婚制度には様々な優遇措置が伴います。

上記の記事は、恋愛のあり方そして家族のあり方が多様化してきている現代の世の中に対して法的な意味での結婚制度は追いついていないのではないかと問いを投げかけ、そして同性愛カップルなどをはじめとする結婚制度が想定していない家族の形態は、結婚制度に伴う優遇措置から取り残されていると指摘します。

また現代では子供を持つことも結婚制度の対象となる異性愛カップルだけが出来ることなのではなく、養子縁組制度等の活用で同性愛カップルも子供を持つことが出来ると指摘し、「結婚制度は子供を持つことを前提としているから、それに伴う各種優遇措置が肯定される」という建前は成り立たないと主張します。

本日はこの記事を読んでの雑感について簡単に書いていきたいと思います。

1.時代にそぐわない制度であるという事実


恋愛結婚が結婚全体の9割を占める多数派となった現代では、「嫁入り」、「婿入り」という言葉はずいぶん縁遠くなったように思います。

現代においては古くからの名家といった特殊な環境を除き、「氏」を重んじるイエ制度は衰退し、時代遅れになりつつあるというのは、肌感覚でも実感するところです。

明治から昭和にかけて、戸籍法が改正されましたが、それ以降は半世紀以上戸籍制度・結婚制度に大きな変更は行われていません。

イエ制度に最適化された明治時代の戸籍制度が時代遅れだと判断されたのと同じように、昭和時代の価値観のもとに設計された結婚制度は令和の時代にそぐわない、時代遅れだというのには一理あるように思います。

思うに、個人主義と自由主義が広く社会に浸透した現代では、イエも戸籍もさほど世間では重要視されておらず、結婚という最愛の人と結ばれる儀式、いわばロマンスの部分だけが生き残っており、そこに際する法的な太鼓判の必要性に関しては、もっぱら後述する優遇制度だけが関心事なのではないでしょうか。

結婚制度自体をリセットし、社会的な要請に応じて儀式としての結婚の認定を行う、そのような枠組みへの再構築は、若い世代にとっては意外と受け入れられやすいような気がしています。

半世紀以上前からのステレオタイプ的な夫婦のあり方を前提とした結婚制度は、元記事で触れられている同性愛の観点以外からも様々な問題点が指摘されています。

例えば最近よく議論に上がる夫婦別姓制度の導入などの議論においても、現行の結婚制度が足枷となっているとの指摘があります。

本筋の議論からは多少それてしまうのですが、夫婦別姓制度の導入を検討するにしても、結婚制度の同姓の部分だけ強引に変えて別姓を認めるという魔改造を行うより、むしろ様々な問題を孕む結婚制度自体をリセットする方が合理的なのではないかと、個人的には思っています。

2.法的な優遇措置は何のために行うのか


人々が営む多様な関係のうち、特定の家族だけをとりだして特別扱いするような法こそ、家族を破壊してしまう」、「異性カップルだけを特別扱いする法制度は、同性カップルが築く家族を不当に引き裂いてきた」という元記事の指摘はもっともだと思います。

結婚制度の優遇措置といえば、配偶者控除と扶養控除がまず思い浮かぶことでしょう。

配偶者控除が出来たのは1961年で、「夫が外で稼ぎ、妻が家で支える」といった昭和的な価値観が背景にあることは否めません。現代では「103万円の壁」などとして女性の社会進出を阻害し、日本経済にはマイナスの影響を与えているというような指摘もあります。

「配偶者」の意味するところを異性に限定するのか同性も認めるのかといった部分も含め、配偶者控除のあり方については根本的な見直しを考えても良いかもしれません。

扶養控除の背景は、言わずもがな夫婦間にうまれる子供の存在でしょう。子供を持てばお金がかかる、だから税金の面で優遇しようというのは考え方として筋が通っており、出産・子育て支援の一環として一定の合理性があるように思います。

以前の記事でも述べたように、子供は未来の納税者です。

事実として、子供は生まれてから成長し、働いて給料を稼ぐようになる平均20年程度の間は、家庭にとっても国にとっても金食い虫ではあります。しかしそんな子供が成人して働くようになると、向こう数十年間にわたって税金を納め続け、年金を払い続けてくれる存在になるのです。

家庭にとって子供を生まないという選択肢はそれぞれ自由ですが、国や社会が人口再生産性に対する投資を怠ってしまうと、人口減少に歯止めがかからず、その国や社会は穏やかに滅びていくことになります。

個人的には、あくまで国の維持、社会の維持のために人口再生産が必要という観点で、出産および子育てに関しては特別の支援が法的に行われてしかるべきだという立場です。

子供を産んだり、育てたりしていれば良いわけですから、そのトリガーが結婚制度である必要はないと思っています。

結論としては元記事でも述べられているように、法的あるいは社会的な優遇措置を結婚制度に紐づける必要は薄いのではないかと考えています。

3.問題はシームレスな移行案がないこと


ここまでは元記事について基本的には肯定し、批判・否定してきませんでしたが、ではどのようにして結婚制度の廃止を実行するか?という部分に関して、元記事では単なる思いつきになってしまっているという点は批判できそうに思います。

例えば記事中にある、「医療を巡り家族の同意が必要になる場面に際して健康保険証に自分の医療について権利を持つ人の名前や連絡先を各自が書いておけばよい」とか、「パートナー以外とセックスをするかしないかの合意については契約法をはじめとする私的自治の法律で対処すればいい」などといったアイデアはどこからどう考えても問題だらけであり、もう少し練る必要があるように思われます。

上記以外にも結婚制度をリセットする弊害は幾らでも予想できます。

例えば税金の面では、結婚がなくなれば相続の仕組みも当然大幅に変わることになります。自由な家族のあり方が肯定されると、資産家の税逃れの方法は当然多様化するでしょうし、高齢者をターゲットにした資産の詐取は、犯罪とみなされるものであれ、グレーなものであれ、こちらも多様化が容易に想像できます。

パートナー以外とセックスなどと書かれていた部分については、結婚がなくなり家族のあり方の多様性を認める方向で進めるのなら、セックスどころか重婚がそもそも肯定されるのではないでしょうか。

私的自治で何とかするといっても、全ての未来を先回りして取り決めをしておくなど土台無理な話で、カップルの片方が重婚したい、もう片方が重婚されたくないといったトラブルは目に見えているでしょう。

結婚制度が時代遅れであり、リセットの検討余地があるという部分は同意できるのですが、具体的にどう変えていくのかについて、たたき台に値するプランがない限り、建設的な議論にはならなさそうだと思いました。


本日は以上です。

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それではまた次回。

2022.2.12 さいとうさん

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