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詩 『コトバの芸術』

作:悠冴紀

シーザー ・・・・・・

歌を歌って聴かせる最後の相手を失って
私は歌声を喪失した

今は 代わりに私のコトバが歌う

私の混沌が生み出したコトバたちは
二次元の紙の上から踊り出し
思い思いの旋律を奏で
創造主である私さえ置き去りに
誰も踏み入ったことのない
四次元の別世界へと透過していく

私はそんな
独り立ちしていくコトバたちの後ろ姿を
静かに見守る

コトバは今や 別個の生命

リズムに乗ったコトバたちは
やがて絵筆を手放した私に代わって
色形を表現しはじめ
私を超えた芸術を実現する

作品のためだけに残された私の抜け殻から
技術と知識を抽出し
文学という枠組みから はみ出した物語を創る

魂の深淵でしか聴くことのできない声で
楽譜のない歌を歌いながら ──

※ 2002年(当時25歳)のときに書いた詩。

注)シェア・拡散は歓迎します。ただし、この作品を一部でも引用・転載する場合は、必ず「詩『コトバの芸術』悠冴紀作より」と明記するか、リンクを貼るなどして、作者が私であることがわかるようにしてください。自分の作品であるかのように公開・配信するのは、著作権の侵害に当たります!

 この詩を書いた当時の私は、かけ替えのないものを尽く失ったために、一時はこの世に存在し続ける意義さえ見失っていたのですが、自分の内側に残留している不世出の詩や物語に形を与えて仕上げるという使命のために、どうにか今一度自分を奮い立たせようとしていました。そしてやがて、自己の幸福や自由ばかり追求していた過去の自分から、作品にすべてを捧げる『創作家』としての新しい自分に生まれ変わっていった。そんな転換期に書いた詩です。

 因みに、冒頭に登場する " シーザー " というのは、今は亡き愛犬(ゴールデンレトリーバー)の名前です。 シーザーは、私が付きっ切りで育てた息子であり、苦楽を共にした相棒であり、言葉もなく通じ合える友であり、誰にも引き裂くことのできない恋人のような存在でもありました(笑)

 しばしばシーザーを連れて自然観賞に出かけていた私は、人気のない森の奥や山の頂で、シーザー1人(1匹)を聴衆に、歌を歌ったものです。そうした緩やかな時間の流れの中で、私の創造力が高められ、新たな詩のアイディアが降りてきたりもしました。

 作中にそのシーザーの名前を取り入れたのは、シーザーへの思い入れがあまりに強く、あの世のシーザーに向けたメッセージのような気持ちでこの詩を書いたためであり、また言葉を綴る時の感覚それ自体が、シーザーを隣に歌っていた時の感覚に似ていると感じたからです。

 ちなみに、この記事の中央に乗せている鶴のイラストは、芸大(日本画科)出身の私の姉が描いたもの。この掲載画像自体は、以前私が旧いガラパゴス携帯で撮った写真を、自分好みのグレー寄りの(地味な)色彩に色補正してしまったもので、原画はもっと爽やかで明るいパステルカラーなんですけどね (^_^;)

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